sorrow of slave girl

「島が見えたぞーっ!」
 襲撃からまた数日。見張り番の声に、甲板にいたクルー皆がわっと歓声を上げた。襲撃の時に怪我をしていた人も大分良くなったようで、傷が開くような仕事はできないながらも、昼間の見張り番などできる仕事には復帰している。聞けばあの人とシャチさんで船室への入り口を守っていたのだけれど、怪我をしてしまい、シャチさんが応急処置に気を取られてしまったために扉ががら空きになってしまったのだそうだ。大怪我をしたのは彼なのに、心底申し訳なさそうに謝られてしまった。怖い思いをさせたから、とは言われたけれど、焦りを覚えただけで怖いとは思わなかったというのが本音。けれどそれを上手く伝えることもできず、なんだか嘘をついているようで、こちらの方が苦しくなった。……加えて元はといえば、足手纏いな私がいることがいけなかったのに、と。そうも思ってしまう。
 考えるのを止め、クルーが指差す方を見て、目に意識を集中させる。海岸が整っていて、島の奥に行けば街が豪奢になっていく、一目で経済的に豊かなのだとわかる島だ。
「今回は早かったですね」
 ペンギンさんが近づいてきて、島の方に顔を向けながらローさんに話しかける。ローさんもまた手すりに手をかけ島を眺めたまま答えた。
「あァ。記録指針(ログポース)の通りに行けばくの字にでもなってたんだろ」
「そうですね。この速さで行けば着くのは夕方ですかね。今日は天気がいいから見晴らしがいいだけだし」
「だな……、着いたら二、三人情報収集に行かせろよ」
「わかりました」
 指示を仰ぐとすぐにそれを伝えに行ったペンギンさんを見送る。
「イオリ。島に降りてェか?」
「はいっ」
 訊かれて即答すると、ローさんはからかうように喉の奥で笑った。
「なら、絶対に一人にならないと約束しろ。今のお前は万が一のことがあっても一人じゃ何もできねェ。それはこの間よくわかっただろ」
「……はい」
 元より、一人になるつもりなんてない。今は船の上だからいいけれど、ローさんやベポちゃん、この船のクルーが視界に入らない場所に置いていかれたとしたら。そんなことを想像すると、お腹の底が冷えるような感覚がした。
 不安が表に出たのか、ローさんは安心させようとしてくれるかのように髪を撫でてくる。そうして目を細めて、言葉を続けた。
「まァ、何かあったとしてもお前が勝手に船を降りるわけもねェから、絶対に探し出してやる。万が一の時でも置いていかれるかも、なんて心配はするなよ」
 一番欲しかった言葉をもらえて、安堵からほっと息を吐いた。何かあっても探してくれるというのなら、それだけで心強かった。
「イオリーっ」
 クルーの力仕事を手伝っていたベポちゃんが戻ってきて、もふ、と毛皮を纏った手で私を抱きしめる。
「ベポちゃん。どうかしましたか?」
 顔を見上げると、島に上陸するのが楽しみだと言いたげな目と視線が合った。
「島見えたって言ってたでしょ! イオリはどうするのかなぁって思って」
「一人にならなければ、降りてもいいと……」
「そういうことだ。連れて行くのはいいが、お前はイオリから目ェ離すなよ」
「アイアーイ!」
 元気よく答えるベポちゃん。お守りのようなその仕事を嫌がる様子はない。よろしくお願いします、と言うと、やっぱり嬉しそうに"うん!"と答えられたのだった。
 必要なお話も終わり、ローさんもベポちゃんも暇で、空は快晴。もはやその条件が揃えばお約束となったお昼寝をして、島に着くまでの時間を潰した。


 空がオレンジ色に染まってきた頃、島に着くということでシャチさんに起こされた。ベポちゃんは寝起きが悪くて、ローさんの言葉もありそのまま眠り続けている。
 ローさんは寝起きで多少不機嫌だけれど、そんな空気を纏いながらもてきぱきと指示を出していた。
「こっちの海岸は海水浴場みたいですね。回り込んで船を着けられるところを探します」
「あァ」
 ペンギンさんが指示を出すと、船は方向を変えて島の外周を進み始める。少し進んだところで、人がいないけれど船は着けられそうな海岸が見つかった。
 海岸に船を着けて錨を下ろし、木の板をかけて橋にする。忙しなく甲板を駆け回っていたクルーたちは、一通り仕事を終えると甲板の端に集まり島に視線を向けて談笑していた。
 ローさんは船室の壁に寄りかかり、そんなクルーを温かい目で見ている。ペンギンさんが近づいてくると、桔梗色に染まり始めた空にぐるりと視線を向けた。
「島に降りられるのは明日になりそうだな」
「ですね……。おーい、誰か情報収集行ってきてくれ!」
「あ、おれ行ってくる!」
 真っ先に手を上げたシャチさんと、他に二人が名乗りを上げて意気揚々と船を降りていく。
 この数日の航海の間に、偉大なる航路(グランドライン)の航海の仕方を教えてもらったから、何をしに行ったのかはわかる。記録(ログ)が貯まるのに必要な時間を、聞き込みに行ったのだ。あとは海軍や他の海賊がいるのか、数日かかるようなら宿や酒場、今は財宝があるからそれを換金できる場所など。島に着いたらまず、滞在中に必要な情報を集めてくるのだという。情報がある方が有利だというのは、どこの世界に行っても変わらない。
「晩飯できたぞー! 手の空いたやつから食堂来いよ!」
 コックさんが船室の窓から顔を出して、そう叫んだ。偵察に行かなかった人たちは食堂に行き始めて、ローさんも肩に立てかけていた太刀を手に取る。
「明日は島に降りるんだろ? 早めにやることやってたくさん寝とけ」
「はいっ」
 ベポちゃんを揺り起こして、晩ごはんだと伝えると、睡眠欲より食欲が勝るようで、ぱっちりと目を覚ましてくれた。
「うわー、おれ上陸作業サボっちゃった」
「ローさんがそのまま寝かせておけ、と言っていたので大丈夫だと思いますよ」
「そっかぁ。ゆうべ不寝番代わってあげたから眠かったんだ……。キャプテン、わかってたのか」
 ローさんは船室に続く大きな扉に寄りかかって待っていて、気遣われたのだと知ったベポちゃんに思い切りよく抱きつかれていた。
 食堂に行くともう皆はがつがつと夕飯を食べ進めていて、島への期待で話は持ちきりだ。豊かだから、娯楽施設もあると思ってのことだと思う。
「イオリちゃんはこれなー」
「ありがとうございます」
 コックさんは毎食、私に合わせて食べやすいものを作ってくれる。今日の晩ご飯は野菜が多めに入ったスープで、輪切りにされたウインナーソーセージも入っている。初めは大変じゃないかと思ったのだけれど、先に薄味で作っておいて、私の分を分けた後クルーの好みの味に仕上げるのだという。そんなに手間じゃないから気にするなと笑われてしまえば、感謝を伝えて受け入れるのがいいのだという考えに行き着くわけで。最近は萎縮することもなく、ごく自然に受け答えができていると思う。
 ベポちゃんがローさんの分も受け取って、一緒に定位置となったテーブルに向かった。席に着くとベポちゃんはもりもりと食べ始めて、合間にこちらをちらりと見てきた。
「イオリの分、味薄いよね……。イオリは物足りなくないの?」
「満足していますよ。今ぐらいがちょうどいいです」
 こってりしたものだと、量はそれほど食べていなくても限界がきてしまう。まともに食べてこなかったから、胃が弱ってしまったのだろうな、と思う。
「まァ、今はとにかく量を食ってくれりゃいいからな。いきなり重てェモンを食ったら胃も驚くだろ」
「それもそうだね。おれ、島に降りたらイオリと一緒にクレープとかアイスとか食べたかったんだけどなぁ」
「そのうちできるようになるだろ」
 ローさんの言葉にベポちゃんがあまりにも嬉しそうに頷くものだから、"一口ぐらいなら付き合ってあげられる"と言ってみる。ベポちゃんはそれを聞くとまた笑顔を浮かべて元気よく"楽しみにしてるね"、と言ってくれた。
 お腹がいっぱいになって食べる手を止めると、ベポちゃんが首を傾げてもういらないの、と尋ねてくる。私が頷くと、ベポちゃんの手には少し小さい器を手に取り、残してしまった分を一口で飲み干した。
「うーん、やっぱり薄いや」
 飲んだ気がしない、というベポちゃんに、思わず笑ってしまった。
 多分、まともに食事を摂っていなかったせいというのもあるのだろうけれど、私が育った国の文化も影響している。もうほとんどわからなくなってしまっているけれど、私はあまり濃い味付けをしないジャポンのものと同じような文化が発展した国で育ったのだ。どことなく、平和だった生活の片鱗がわかって、ずいぶん変わってしまったんだな、と少しだけしんみりする。今はもう生活にも慣れたし、戻りたいなどとは少しも思わないけれど。
「ローさん、私お部屋に戻ってシャワーを浴びてますね」
「あァ」
 短い返事をしっかり受け取って、食器を下げてお部屋に戻る。寝るのにちょうどいいシンプルなワンピースとバスタオルを持って、シャワールームに入った。服を脱いでシャワーを被り体を洗おうと視線を落とすと、お腹に見えた青痣。どこかにぶつけただろうか、と今日あったことを思い起こしてみる。
 そういえば、朝寝ぼけて食堂のテーブルでぶつけてしまったような気がする。擦る程度のものだったし、痛くもなかったから気にもしなかったのだけれど。今見てみれば結構大きな痣に思える。先日の襲撃の後教えてもらったように意識を集中させてみると、す、と痣が消えた。
 とはいえ、知らず知らずのうちに傷ができているというのは少し驚く。痛みを感じないのにも理由があるのだろうか。ローさんに聞いてみなければ。忘れないように頭の中で反芻しながらシャワーを浴びた。
 熱と湿気のこもったシャワールームから出ると、夜の気温に冷やされたお部屋は涼しく感じる。ほかほかと体から出る湯気に包まれながら、ソファに座ってローさんを待つことにした。
「……なんだ、まだ寝てなかったのか?」
 しばらくして戻ってきたローさんは、ソファに座る私を見るなり、少し驚いたような声でそう言った。
「聞きたいことがあって……」
「あァ、なんだ?」
 ローさんがテーブルの向かいのソファに腰を下ろし、太刀を置いて落ち着くのを待って口を開く。
「この間の襲撃の時もだったんですけど、今日も、痛みもないのに痣ができていて……」
 聞きたいことは自分の頭の中ではっきりわかっているのに、上手く言葉が紡げない。
 けれどもローさんはその質問の意味も答えもわかっているようで、そういえば言っていなかったな、とこぼした。
「お前の能力には、相応の制約があるんだ。おれが悪魔の実の能力者で海に嫌われているのと同じように、力を得る代わりに、不利な条件も背負わなければならない」
 ここまでは理解できるか、と問われて、こくりと頷く。
「意識を集中させることで傷を治せるのは、その能力を得る時にお前が痛覚を捨てたからだ。痛覚っていうのは、言わば人間に備わった危険信号だ。だがお前はそれを捨てたから、傷ができても気がつかない。痛みを感じなければ、体には異常なんてないも同然だからな」
「なるほど……、それで」
 傷があることがわからないから、放っておけば命にだって関わるかもしれない。そのリスクを背負っての能力なのだそうだ。自分でつくったというのに、今は他人事のような考え方しかできないのが少し複雑だ。
「ついでだから教えておくが、お前の頭の回転が悪いのも制約によるものだ。五感を鋭くできるのもお前の能力のひとつだと言ったのは覚えてるか?」
「はい」
「その能力が使えるのと引き換えに、複雑な思考ができなくなってるんだ」
「……それなら、良かった……」
 私の言葉不足で、会話が噛み合わないというのはよくある。皆、そうなると少し首を傾げて、理解できると質問の仕方を変えたりしてくれるから、助かっているのだけれど。その原因がなんなのかわからなくて、とても申し訳なかった。けれど自分で背負ったものなのだとわかれば、今までの自分は上手くそのリスクと付き合ってきたか、周りの人に恵まれていたかのどちらかだとわかる。今の私は、間違いなく後者だ。
「会話に関しちゃ、あいつらもきちんと心得てる。話しててわからねェことがあるなら訊けばいいし、あいつらもお前の言葉が足りなければちゃんと聞き返してるだろ」
「はい……」
「細かい事情までは話しちゃいねェが、必要なことは伝えてある。お前は何も心配するな」
「……はい、ありがとうございます」
 ローさんは私の知らないところでも、私が困ることのないように手を回してくれている。皆が私との会話の仕方をわかっているかのように受け答えしてくれたのは、彼の気遣いがあったからこそなのだろう。
 ――でも、そこまでしなくたって、私はここから離れたりなんてしないし、できません。
 おぼろげな意識の中で聞いた、私の力が欲しいのだという言葉。もちろん、彼が元々医者であるが故か面倒見のいい人だからというのもあるのだろうけれど、"囲いこんででも離さない"という言葉が、頭に染みついて離れない。
 ローさんは私に対して"普通に生活していい"と言う反面、やっぱり"力が欲しい"というのが本音なのだと思う。記憶と一緒に力を取り戻すのは時間の問題だから、手元に置いておく。そうしておけば、面倒を見る必要はあれど、他の勢力に力が渡ることはないから。結果的にその力も時間が経てば手に入るのだから、彼にとってこの行動も"価値のある"ものなのだろう。
 彼の口から聞かないうちは、憶測で私が勝手に傷つくだけ。彼の真意がどうであれ、聞きさえしなければただの想像にしておける。これから先、ローさんから真意を聞くことがあっても、どうか"ただ力が欲しかっただけだ"とは聞くことのないように、と思う。
 奴隷であることを受け入れていた私が、こんなことを思うなんて。この数日で、ずいぶんと欲張りになってしまった。
 自嘲的な笑みが気づかないうちに浮かんでいたのか、ローさんは"まだ何かあるか?"と訊いてくる。ただ不完全燃焼で曖昧に笑っただけのように見えたのだろう。良かった、本音には気づかれていない。
「いえ……、何も。気になることは解決しましたし、もう休みますね」
「あァ。おれはまだ起きているから多少うるさいかもしれねェが、我慢しろよ」
「大丈夫です」
 今の私は、目を閉じればすんなりと眠りに入れる。以前ならそこまで深い眠りに入ってしまえば周囲への警戒を怠ることを意味するからとても危険だったのだけれど、寝ていると思って為される会話が私に届かないことが、今はとてもいいもののように思えてしまった。
 どんな蔑みの言葉を向けられようと、ただ道具であればいいと思っていた、のに。
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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
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