first enemy raid

 船に乗って数日経ち、私も半日ぐらいは起きていられるようになっていた。とはいっても、どうしても眠気が離れなくて、お部屋にいるとベッドやソファでうとうとしているのが常だ。今日もまた、ローさんが読書をする傍でうとうとと舟を漕いでいた。
「敵襲――ッ!!」
 突然甲板から聴こえたその声に、びくりと体を跳ねさせる。一番聞きたくなかった言葉だった。
 自分がただの足手纏いであるということはよくわかっている。だからこそ、こんなことはなくていいと思っていたのに。望まないことほど、降りかかってくるものだとつくづく思う。
「チッ……」
 ローさんは不機嫌そうに顔を歪めて舌打ちをし、読んでいた医学書を栞を挟んで閉じて立ち上がる。傍に立てかけてあった太刀を手に取り、イオリ、と名前を呼んできた。
 ローさんはそれだけ言うと、こちらをじっと見て何か考え込むような表情をする。多分、私をどうすべきか迷っているのだろう。船長室や倉庫は金目の物があるかもと目をつけられるし、奥は追い詰められやすい。
「あの……?」
 居心地が悪くなって、ためらいつつも声をかけてみる。
 ローさんはついてこい、と言い、船の入り口に一番近い空き部屋に私を入れた。
「いいか、もし敵が入ってきたら、振り切って迷わずに甲板に来い。迷惑だのなんだのと考えるな、近くのクルーを頼れ」
「は、はい……!」
 頷いたのを確認すると、ローさんはすぐに扉を閉めて甲板に向かう。
 外の様子が気になって、耳に意識を集中させた。
『キャプテン、イオリは?』
 どか、と何かを蹴り飛ばしたような音の後、一番最初に耳に飛び込んだのはベポちゃんの声。
『一番近い空き部屋にいる。何かあったらこっちに来るよう言ってある』
『アイ!』
『おれは向こうを攻め落とす。船とイオリは任せた』
『アイアイ、キャプテン! 行ってらっしゃーい』
 ローさんの愉しげな声と、ベポちゃんの陽気な声。敵襲自体はそれほど大事でもないみたいだけれど、今現在足手纏いである私がいるということが、皆に懸念を抱かせているようだった。
 頼っていいとは言われたけれど、一番は敵がこの部屋に入ってこないことだ。
 外から聴こえるのは武器や拳のぶつかり合う音、怒号、呻き声。不思議と怖くはない。慣れているというか、覚えているような気がするというか。きっとこれも私が忘れてしまった感覚のひとつなのだろうと、どこか他人事のように考える。
 扉が開いたら、すぐに開けた人を確認して出られる位置。そこに落ち着いて、ただただ周囲の音を拾う。
「なんだァ、案外守りは薄いなァ?」
「はは、まったくだ! さァて、何があるかなァ。期待のルーキーの船だ、さぞかし良いモンが載ってるんだろうな!」
 足音と共に近くなってくる、声。この人たちはハートの海賊団のクルーじゃない。
 でも、こんな何もなさそうな部屋に、わざわざ来るだろうか?
 そんな考えのもと、どうかここには来ないで欲しいと祈ってみても、そういう時に限ってそれは叶わないもので。
 扉が開けられた瞬間に、確認すら無意味とそちらを見ることもせず駆け出した。……はず、だったのだけれど。
「きゃっ……!」
 ガシャン、と鎖が派手な音を立てて、何があったのか理解する前につい今まで居た部屋に引き摺り戻される。
 足元を見ると、船に侵入した男の手が鎖をしっかりと握っていた。まずい、捕まってしまった。
「若い女の奴隷なんか乗せて……。いい身分だなァ」
 部屋の奥の壁に頭をぶつけられて、痛みは感じないながらもくらりと目眩がする。
 なんとか意識を保ちながら二人の侵入者を見上げて睨みつけると、厭らしく細まる目と視線が絡まった。
「なァおい、この女、船長のとこに連れ帰ったら喜んでくれんじゃねェか?」
「バカかおめェは。その前に人質にでも何でもできるだろ。……いや、連れ帰る前に少し楽しむか?」
「そりゃあいい!」
 言葉の意味を理解できてしまって、どうにかしなければ、と焦りが生まれた。
 掴まれた手首を自由にしようと暴れても、男たちの手は離れない。それどころか、どこか苛立ちが纏う空気に含まれ始めて。
「……このっ、鬱陶しいんだよ!!」
「……っ」
 拳が飛んできて、それが頬に直撃する。どうしてかはわからないけれど、やっぱり痛くはない。
「はは、なんだこの女。殴っても悲鳴ひとつ上げやしねェ! 慣れてんのか? 可哀相になァ……」
「はなして、ください……っ!」
 口元を液体がつうと垂れる感覚がして、切れてしまったのだろう、とぼんやりと考える。
 立て続けにあちこち殴られて、痛くはないけれど苦しい。それなのにその間にも、隙を探そうと視線だけは周囲に走らせる。そうだ、確かこうやって難を逃れていた。
 足の鎖は握られたところで元々長いものだから蹴るぐらいの自由は利く。
 私の肩を掴んで壁に押しつけ、お腹ががら空きになった瞬間に思い切り蹴り飛ばした。苦しげな声を上げた男は私が想像していた以上に吹っ飛んで、壁に強かに背中を打ちつける。
「え、あれ……?」
 自分で生み出したとは思えない光景に、呆然としてしまう。
「やりやがったな……!? くそっ、ただで済むと思うなよ女ァ!!」
 もう一人の男はまだ近くにいたままだったとその怒号で思い出し、慌てて自分の足元の鎖を手繰り寄せて部屋を出た。
 大きな部屋を抜けて、開いたままの扉から甲板に出る。誰を頼ればいいのかと、周囲を見回した。
 ベポちゃんは数人を相手に立ち回っているし、ペンギンさんも戦いに慣れていない人を庇いながら戦っている。
 声をかけても大丈夫そうだったのは、怪我人に応急処置を施しているシャチさんだった。
「シャチさん……!」
 呼ばれたシャチさんは私を見て驚いた顔をし、それから私の後ろに視線をやって青くなる。
「イオリ!? って、やべっ」
 シャチさんは私の腕を引いて、頭を抱え込んで庇うように伏せる。その上を、銀色の刃が通った。攻撃を仕掛けてきたのは、私を追ってきたのであろう先程は蹴らなかった方の男だった。
 すぐに身を起こしたシャチさんは、再び武器を向けてくる相手に足払いをかける。
「あー、やばい、おれ船長にバラされる……」
 避けて距離をとった相手から目は離さずに、冷や汗を流しながらそんなことを呟くシャチさん。今目の前にいる相手より、ローさんの方が怖いようだった。
 素手であっという間に相手を伸して、手を引いて私の身を起こす。
「ごめんな、怖い思いさせたよな!」
「いえ……。それより、彼は大丈夫ですか?」
 私が来るまで怪我の処置をしていたクルーを示して問いかけると、シャチさんはからからと笑った。
「あぁ、処置はしたから、あとは船長に診てもらえば大丈夫。そんなに柔じゃないしな! それよりお前だよ。頬っぺた腫れて口の端切れてるし……、もしかして他のとこも殴られた? あ、腕とか痣になってる」
「はい、お腹にも何発か受けました」
「なんでそんな飄々としてんだよ……。痛くねェのか?」
 頷くと、変だな、とシャチさんは首を傾げた。
「もしかして、今までの経験の所為で感覚が麻痺してるとかはねェよな……?」
「……ローさんなら、わかると思います」
「それならいいけど……。とりあえず船長に診てもらえよ、絶対に」
「はい」
 真剣な表情で言うシャチさんに気圧されたように返事をして、そのまま甲板で戦闘が終わるのを待った。
 怪我をしたクルーと私を庇いながらも、シャチさんは上手に立ち回って敵を伸していく。横付けされた敵船では、ローさんの能力の効果範囲を示す青い半透明の円(サークル)が広がっていて、混乱の渦が出来上がっていた。
 そんなことがあれば戦闘が終わるのもすぐで、ローさんは敵の船長が降伏するとすぐに戻ってきた。
「元気なやつは船を漁ってこい。怪我したやつはすぐにおれに言え」
「アイアーイ!」
 ベポちゃんが元気に返事をして、一番に敵船に駆けていった。
「船長! こっちに怪我人が二人!」
「あァ……、って、イオリもか?」
 シャチさんの言葉に答えながら近づいてきたローさんは、床に寝かされたクルーと頬や腕に痣のある私を見て、目を僅かに見開く。
「すみません……、中で捕まってしまって……。あ、中に一人いるはずです……!」
「シャチ、見てこい」
「わかりました」
 返事をしたシャチさんは、敵が落としたナイフを拾いそれを持ったまま船内に入っていった。
「さて……先にこっちだな。おい! 誰かこいつを医務室に運べ! イオリも一緒に来い」
 近くで言葉を聞いたクルーが返事をしながら、怪我をしたクルーを抱えた。
 後始末をクルーに任せて船室に戻るローさんについていき、途中で私が蹴り飛ばした敵を引きずるシャチさんと擦れ違った。
「あ、イオリ! こいつで間違いねェな?」
「はい、確かにその人です」
「んじゃー船長、こいつ放ったらおれも船漁りに行ってきます」
「あァ」
 医務室に行きクルーをベッドに寝かせると、ローさんは傷を調べて手際よく処置を施していく。私は近くにあった丸椅子に座って、ぼんやりとそれを眺めていた。
 処置が終わると、ローさんは救急箱と丸椅子を出してきて、私と向き合う形で座った。
 まず私の左腕を取り傷を診て、骨の異常を確かめたかったのだろう、ぐ、と指で痣を押した。それから、少しだけ考え込む様子を見せる。
「……試す価値はあるか」
「?」
 言葉の意味がわからず首を傾げると、名前を呼ばれた。
「ここに傷があることは認識できるな?」
 とん、と人差し指が痣に触れた。
「? ……はい」
「音を聴く時と同じように、ここに意識を向けてみろ」
 よくわからないまま、とりあえず傷を見つめて意識を集中させてみる。ゆっくりと、青くなっていた部分が元の肌色に戻り、痣が消えた。
「……やはりな」
 ローさんは笑みを浮かべて、痣のあった箇所を指で撫でる。また、その場所を指で押した。
「骨も痛んでいたんだが、治ってる」
「え……」
「お前の能力の、ひとつだ」
 傷を認識して意識を集中すると、その傷を治すことができる。ローさんは簡単にではあるが、と前置きしてそう説明した。これも、五感を鋭くできるのと同じように、思い出すまであるものとして使った方がいい、と判断したのだと思う。
 顔の傷も鏡で"認識"することで治すことができた。他の場所の打撲によってできた痣も、ローさんが見落とさないようにひとつひとつ確かめて、言われるがままに治した。
 すべての傷が治ったのを確認されると、体を倦怠感が襲ってくる。
「疲れました……」
「能力の使い方をしっかり思い出しちゃいねェからな……、無理もねェか」
 お疲れさん、と頭を撫でる手に甘んじていると、突然くら、と眩暈がして額を押さえた。思い出したのは、"奴隷"として仕事をしていた時のこと。
「おい、また眩暈か?」
「……はい。でももう、平気です。……あの、ローさん」
「なんだ?」
 言葉一つ一つに返事をしてくれるローさんの顔を見上げ、まっすぐに目を見つめる。
「傷が瞬時に治るのは……、気持ち悪くありませんか?」
 ローさんは一度目を瞬かせると、はぁ、と呆れたように溜め息をついた。
「過去に、そんなことを言われたのか?」
「……はい」
 ある依頼人に、言われた。"瞬時に傷が治るなど化け物でしかない、気持ち悪い"、と。それは多分、私の能力を見た誰もが思っていたことで、間違ってもいない。裂かれた箇所が短時間で修復されていく様は、実際に見たらさぞかし気持ち悪いことだろう。今回は打撲だったから、良かっただけなのかもしれない。
 ローさんは俯いた私の頭上でまたひとつ、大きな溜め息をついた。
「ったく……、気にしなくてもいいことを……。別に気持ち悪くねェよ。傷ついても治せるなら、それが一番いい。おれの医療技術がいらねェってのは、まァ……医者としては気に食わねェがな」
「……そう、ですか」
「あァ。だから、つまらないことを気にするな。この海では、力のあるやつが生き残る。気持ち悪い能力だろうが、人に恐れられる能力だろうが、最大限に利用したやつが生き残れる場所だ。お前もそうするべきなんだよ。それでも気になるなら、おれだけは決して傷をすぐに治せるお前を"気持ち悪い"なんて言わないことを、しっかりと覚えとけ。ベポにも、そう言ったんだろう?」
 ベポちゃんが、初めて会った時にした話を彼にも伝えたのだろう。確かに、私は言った。大好きな人が自分を否定しないのなら、それでいいのではないか、と。
「……はい」
 二度目の返事はとても穏やかなもので、ローさんもそれを聞いてふ、と口元を緩めた。帽子でできた影や目の下の隈のお陰でどうにもいい印象は持たれそうにない、けれど見ればわかる、優しい笑み。
「昼寝でもするか」
 ローさんはベッドに立てかけていた太刀を持つと、不要となった救急箱を元の場所に戻した。
「え? でも、この人は……」
「心配ねェよ。安静にしてりゃあ、すぐに良くなる。誰かしらここに来るしな」
 そう言われてしまえばそれ以上は何も言えず、甲板に出るローさんについていく。
「ベポ、片づいたか?」
 途中でベポちゃんを見つけると、呼び止めてそう尋ねた。
「キャプテン! 終わったよ。収穫はまぁ……それなりって言ってた。でもいいお肉があったって! それより、二人とも大丈夫だった?」
「あァ。イオリは心配ねェし、あいつも大人しくしてれば問題ねェ」
 ベポちゃんはそれを聞くと、満面の笑みを浮かべた。
「そっか! 真っ先に掃除したし、今日は天気もいいから、甲板乾いてるよ! お昼寝する?」
「そのためにお前を探してたんだ。手は空いてんのか」
「大丈夫! イオリも行こ!」
 ぷにぷにとした肉球のついた手が私を抱き上げた。ベポちゃんは私の体を観察して、首を傾げる。
「イオリ、一体どこに怪我したの?」
「頬は殴られて腫れてて、腕や腹に打撲があったんだがな。イオリの能力で、全部治せた」
「へぇぇ……! 良かったぁ、女の子に傷が残ったら大変だもんね! シャチが言ってた」
 きらきらとした視線を向けられて、安堵から小さく息をつく。良かった、ベポちゃんの目にも嫌悪は浮かばない。
「イオリ、すっごく眠たそう! 寝てていいよ」
 ベポちゃんに指摘されたとおり、安心感を得られて、途端に眠たくなった。
「……おやすみ、なさい」
「うん、おやすみ!」
 重たくなる瞼に抗いながら一言だけ言って、ベポちゃんの返事をぼんやりと頭のどこかで聴きながら眠りに就いた。
[BACK/MENU/NEXT]
[しおり]



「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -