feast to welcome

「おっ! 来た来た、今日の主役だ!」
 甲板に出ると、クルーの一人が気づいて声をあげた。その声に、甲板に集まっていた皆の視線が一気に集まる。
「あれ、昼間となんか違う?」
「バカかお前、どう見たって違うだろ!」
「べ、ベポちゃん……」
 賑やかな会話と視線に耐え切れなくなって助けを求めると、安心させるように肩に手を置かれた。
「大丈夫だよ! みんなイオリのこと睨んでないでしょ?」
「ほらほら、イオリがびびってんだろ! 一回散った散った!」
 シャチさんが助け舟を出してくれて、集まっていた視線は一度外れた。
「あ、そうだイオリ、お前酒飲める?」
 そう訊かれて、今までどうしていただろうかと思考を巡らせる。いろいろなお酒を飲んだことはあるけれど、おいしいと思って飲めたのは果実酒ぐらいだったような気がする。それも、蒸留されていないものだ。
「ワインやシードルぐらいなら……少しだけ」
「そっか、じゃあ最初の一杯だけにするか。……おい、果実酒あるかー? できれば弱いやつ!」
「ん? こっちにあるぞー」
 シャチさんがグラスにワインを注いでくれて、それを手渡され、椅子や料理を並べるテーブル代わりにと出された木箱のひとつに座らされた。
 ベポちゃんはお酒は苦手なようで、ジュースの入ったグラスを手に私の傍に居てくれている。ローさんはといえば、少し離れたところで船室の壁に寄りかかって比較的年長のクルーが作る輪の一部になり雑談に相槌を打っていた。傍にはペンギンさんもいる。騒ぐのが大好きなクルーと、落ち着いて飲むのが好きなクルーのグループに自然と分かれるのだろうとすぐにわかった。
 ほとんどの人が床に腰を下ろしている中で、足を楽にして座っているのがなんとなく落ち着かない。けれどもそれを気にする様子は全然なくて、思い過ごしだと考えれば少しだけ気が楽になった。
「船長ー! 乾杯しますよ!」
「あァ……」
 ローさんがお酒の入ったグラスを掲げると、他のクルーもそれぞれが手に持ったグラスやジョッキを掲げて倣う。
「今夜はイオリの歓迎会だ、存分に飲め!」
「乾杯!!」
 彼の言葉に答えるかのように、息の合った声と共に各々ジョッキやグラスを一度高く掲げて、口をつけた。
「イオリ、かんぱーい」
「はいっ」
 ベポちゃんがグラスを向けてくれたので、それに応える。軽快な音を立てて、グラス同士が軽くぶつかった。
 口に含むと、アルコール特有の風味とぶどうの甘味、酸味が広がる。赤ワインのせいか渋みもあって、あまりたくさん飲めそうなものではないけれど、素直においしいと思えた。
「イオリ、お酒飲めるんだね……」
 いいなぁ、という言葉が内に秘められた言い方に、思わず笑ってしまう。けれど私もあまりたくさん飲めるわけでもない。
「でも少しだけですよ。あとはジュースをいただきますね」
「うん! おれだけジュースだからさみしかったんだー」
 しばらくグラスの中身を減らしながらベポちゃんと雑談をしていると、コックさんが近寄ってきた。
「よっ、イオリちゃん。飲んでるかい?」
「これ一杯でやめにします」
「あぁ、適度に飲むのがいい。それとほら」
 コックさんは言葉と共に、焼き菓子の載ったお皿を出した。アイシングがされていて、男所帯の船で出るとは思えないぐらいかわいらしい。
「こういうのはあんまり作らないんだけどな、折角女の子が入ったから張り切ってみたんだ!」
 食べてみてくれと催促するコックさんにお礼を言って、食べてしまうのがもったいないぐらいのクッキーをひとつ口に入れる。甘い物が平気か、と聞いてくれたのは、これを作ろうと考えていたからだったのだろう。それでも甘ったるくはなくて、とてもおいしい。
「どうだ?」
「おいしいですっ」
「なら良かった! ところで、あいつら皆イオリと話したがってるんだが、大丈夫か?」
 コックさんは自分の後ろにいるクルーたちを親指で示して、そう言った。
「! ……はい、ぜひ」
 これから一緒に航海をしていく人たちなのだから、きちんと話しておきたい。私が逃げてばかりでは、それができないのも当然。
 コックさんは私が頷いたのを見ると、自分の背後へ向かい声を張り上げる。
「おーい、イオリちゃんが話しても大丈夫だってよ! ただし怖がらせないように少人数でな!」
「アイアーイ!」
 お酒が入ったクルーたちは明るい声で返事をし、誰から行く、などと話し合い始める。
 こんなに気を遣ってもらってしまって申し訳ないなと考えていると、表情に出たのかベポちゃんが気がついてぽん、と私の頭に手を置いた。
「皆ね、女の子が入るの初めてだからすっごく気を遣ってるんだよ。イオリが本当は強いって一応知ってるし、イオリのこと気に入らないわけじゃないから、変な態度とっても、気にしないでね?」
「……はい」
 結局じゃんけんで決めたらしい数人がグラスやジョッキを手に近づいてくる。緊張はするけれど、ベポちゃんの言葉が本当なんだと思えば、クルーの人たちも怖くはない。
 頭にバンダナを巻いた人が人懐っこい笑みを浮かべながら、自己紹介を始めた。
「おれ、バンダナっていうんだ! よろしくな」
 ペンギンさんのように、見た目と名前が噛み合った人だなぁと思いながら、よろしくお願いします、と答える。好きな食べ物だとか、好きな色だとか。そんな当たり障りのない質問をされて、時々答えられないながらも、ベポちゃんとシャチさんがフォローしてくれたのでぎこちなくなることもなく、会話ができた。
 クルー全員の名前を聞いて、今は覚えていることが少ないせいかすんなりと頭に入った名前を顔と一致させながら反芻する。
「そういや、それ船長が見立てたのか?」
「え?」
 唐突な質問に一瞬戸惑うけれど、クルーの一人が指差しているのは今私が身に着けているペンダントだとすぐに気がつく。
「あぁ……、えっと」
 シャワーを浴びている間に選ばれたものだったようだから、よくわからない。ベポちゃんに視線を向けると、代わりに答えてくれた。
「服はおれが選んだの! アクセサリーはキャプテンだよ!」
「あー、やっぱりな! 船長センスいいもんなぁ」
「似合ってる似合ってる!」
 投げかけられる褒め言葉に、顔に熱が集まるのがわかる。ついにはそのことをからかわれてしまって、シャチさんには耐性なさすぎ、と大笑いされた。からかわれこそすれど、視線の中に不満や軽蔑の感情は感じなくて、本当に大丈夫だったのだと、気づかれないように小さく息をつく。
 私と話してくれて、満足したらしい人たちはどんどんとお酒を減らしながら会話に華を咲かせていた。コックさんもお酒を飲みつつも、船室と甲板を行き来しての給仕に忙しそうだ。
「ベポちゃん、クッキー食べますか?」
 どうやら全員と会話はできたようで、落ち着いたのでベポちゃんにそう尋ねる。
 あまり減ってはいないけれど、飲み物もたくさんもらったから食べられそうにない。ベポちゃんはこて、と首を傾げた。
「イオリはもういいの?」
「はい、十分いただきました」
「じゃあ食べる!」
 さくさくと軽快な音を立てながらコックさんが張り切ってたくさん作ってくれたらしいクッキーを減らしていくベポちゃんに、近くにいた人も和んだのか、柔らかく笑む。
「イオリ、こっち来い」
「! はいっ」
 ローさんに呼ばれて、足の浮いていた木箱から降りると、カシャン、と鎖が鳴る。賑やかな中では聴こえた人もいなかったようで、床に並べられたお酒の瓶や重ねられたお皿に引っ掛けないよう、手首に巻き取ってローさんの元へ向かった。
 ローさんの傍にはペンギンさんがいて、軽く手を上げてくれたので会釈をする。
「どうだ、心配事は減ったか?」
「はい……、とてもいい人たちですね」
「当たり前だ。おれが選んだクルーなんだからな。とりあえず座れ」
 促されるままローさんの隣に膝をついて座ると、彼の手が私の頬に伸びてきた。今はランプの火しか明かりがないため、酔いで赤くなっているのかがわからないからだろう。体温の低いローさんの手のひらが頬に触れて、熱を確かめるように撫でた。
「酔うほど飲んじゃいねェな?」
「はい、一杯だけですよ。あとはベポちゃん用のジュースをいただいてました」
「そうか。まだ眠くねェか?」
「大丈夫です」
「あァ、ならいい。そういや……、お前、"こっち"に来てからのことは全部思い出したのか?」
 ペンギンさんがいる前だからと、濁された言葉の意味をすぐに理解して、記憶を思い起こす。カデットさんとこちらの世界に来て、それからローさんと交戦した。ローさんが先の見えない不安を吐き出させてくれて、それで気が楽になったことも覚えている。洞窟探検をしたことも、洞窟で何があったかもはっきりと思い出せる。それから、記憶が戻ったらローさんに尽くすと約束したことも。
「……そう、ですね。大丈夫だと思います」
「順調ではあるみてェだな」
 それ以前のことも少し思い出しているから、ということなのだろう。新しいことから順に思い出すのではないかと、カデットさんにも言われたらしい。
 けれど私には元々どれぐらい記憶があって、今どのくらい思い出せているのか、さっぱりわからない。ローさんにもわからないはずだから、彼はきっと毎日何かを思い出していけていることを"順調だ"と言っているのだろう。
「多分……」
 ローさんはくすりと笑んで、私の髪をくしゃりと掻き混ぜた。
「あまり気負うな。時間がかかるのも承知でお前を乗せたんだ。それまでは、船長としておれが護ってやる」
「……はい」
 用事は済んだみたいだったけれど、ベポちゃんはシャチさんに呼ばれてクルーの輪の中に入っている。元の場所に戻るのもなぁ、と思って、ローさんの横で膝を抱えて座り直した。
「イオリ、酒はどうだったんだ?」
 ペンギンさんが料理をつまみながら尋ねてきた。彼もかなりお酒は入っているようで、帽子で顔は見えないけれど、どこか雰囲気で機嫌がいいのがわかる。
「おいしかったんですけど、赤ワインだったので渋くて……。それもあって一杯でやめたんです」
「フフ、子どもだな」
「む……」
 からかうように笑うローさんの傍にある瓶を手に取り、見てみる。読めはしないのだけれど、誤飲防止のために記号のようなものとして覚えた"spirit"の文字がどの瓶のラベルにも印字してある。
「スピリッツばかり……」
 何本か空けていそうなわりに、ローさんは素面にしか見えない。
「読めるのか?」
「いえ、周りに強いお酒を好む人が多かったので……、記号というか、図というか。そんな風に覚えたんです」
「あァ、なるほどな」
「お店が開いているかとか、出口はどこかとか。そういうのはよく見るので、読めなくても図として覚えてはいますよ」
 "強いお酒を好む人"が誰だったのか、明確には思い出せない。なんとか思い出そうと考えると、僅かにだけれど瞼が重くなった。つまり考えてはいけない、ということだ。
「今度から甘いのも買うようにするか?」
「イオリしか飲まないと思いますけど……」
 ローさんの言葉に、ペンギンさんが苦笑して答えた。
「そ、それならいいです。少し飲むぐらいならいいですけど、酔ったらひどいらしいので」
「ひどい? どういう風に?」
 ペンギンさんの純粋な疑問に、なんだか答えるのが恥ずかしくなった。酔ったら暴力的になる、とかそうはならないだけ、ましといえるのかもしれないのだけれど……。
「……う、その……、べったり、甘えちゃうらしくて」
 意識がふわふわとしたあたりから記憶がなくなって、目が覚めるともう覚えていないのだ。あとから聞いて、からかわれた覚えがある。
「ククッ、なんだ。大した害はなさそうじゃねェか。余れば誰かしら飲むし、お前も遠慮すんな」
 ペンギンさんはなんだそれだけか、と言いたげに口元を緩めているし、ローさんも愉しげに笑って言うけれど、あとから覚えていないことを掘り返される羞恥は言いようもないほど堪え難いものだ。彼の意味深な笑みから、ラベルが読めないのをいいことにブランデーか何かを飲まされるのではないかと不安になった。
「船長、何考えてるのかわかるんではっきり言っておきますけど、やめてくださいよ」
「やらねェよ」
 ローさんは鬱陶しそうにそれだけ言って、やはり蒸留酒が入っているのであろうグラスを大きく呷った。
「思い出していることは多いみてェだな」
「日常のことは、だいぶ思い出せているみたいです」
 奴隷としてしかいられない自分、それをやめても大丈夫だと理解した自分。何がきっかけで変わったのかはわからないけれど、それでも二つの生活習慣は思い出した。ローさんが"後者の生活をすればいい"と言ってくれていることも、わかっている。
「……ふぁ」
 さきほど考えてはいけないことを考えてしまったせいか、瞼が重い。
 小さく漏れた欠伸にローさんが気がついて、顔を覗きこんできた。
「眠いのか?」
「……はい」
「おれも直に戻るから、寝てろ。ついでに運んでやるよ」
 船室の壁に寄りかかって座るローさんの肩に寄りかからせられて、グラスを持たない手で視界を塞がれる。すぐに眠気が強くなって、ふ、と意識が沈んだ。
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