retrospection

 ふわ、と意識が浮上する。少しだけ重たい瞼を持ち上げると、青くて高い空が視界いっぱいに映った。
 ローさんに寄りかかって寝ていたことに気がついて、慌てて体を起こす。
 ベポちゃんもぐっすり眠っているし、ローさんも私が動いたせいで起きてしまった、ということはなさそうだ。今は特に眠くはないけれど、だからといってできることもない。呼吸に合わせて上下に動くお腹にもう一度背中を預けて、ふわふわと流れていく雲を眺めていた。
 陽の高さからして、お昼と言っていい時間帯だ。
「……起きてたのか」
 ふと横から聴こえた声に、空に遣っていた視線を向ける。
 ローさんが少しばかり眠そうな目で、私を見下ろしていた。
「珍しいな、お前が先に起きてんのは」
「そういえば……、そうですね」
 船に乗ってから私が起きていた時間は、思い起こしてみるとかなり短い。商船に買い出しに出た時と、シャチさんにつなぎを作ってもらうために採寸や相談をしていた時。それから、今日は朝遅めに起きるとすぐにベポちゃんのところに連れて行かれて、少しお話をしてから今までお昼寝をしていた。
「ん……? お前、最後に飯食ったのいつだ」
「? えーと……、一昨日の……、朝、だったかと」
「はァ……。おれとしたことが……」
 ローさんは額を押さえて深く深く溜め息をついた。
 カン、カン、と鉄の梯子を登る音がして、ひょこりとシャチさんが顔だけを覗かせた。
「船長、昼飯ですよー」
「あァ、今行く。ベポ、起きろ」
 ゆさゆさと大きな体を揺すると、ベポちゃんは眠たげな声を出しながら目を開ける。
「キャプテン、どうかしたー……?」
「昼飯だ」
「えっ、もうそんな時間?」
「あァ」
 ごはんだー、といそいそと身を起こすベポちゃんを見て、シャチさんとローさんは小さく笑う。
「そうだ、イオリはどんくらい食べる?」
「えっと……、パンひとつで足りるかと……」
 今だって、別にお腹は空いていない。丸々二日何も食べなくても支障はなくて、それは前からだったような気もする。
 シャチさんはどう返すべきか迷ったのだろうか、困ったように笑った。
「ん、そっか。じゃあコックに伝えとくな」
「はい、お願いします」
 シャチさんはローさんに向かって先に戻ってます、とだけ言って梯子を降りていった。
「イオリ、掴まっててね」
 ベポちゃんは私を持ち上げると、しっかりと腕で抱えて掴まるようにと言う。言われるがまま、首に手を回した。
「じゃあ、行くよー」
 そう予告すると、ぴょん、と軽い身のこなしで船室に続く扉のあるフロアに降り立つ。
 ローさんも手摺りを越えて後を追って降りてきた。
 見張りなどの仕事がある人以外はほとんどが食堂にいるようで、近づくと賑やかに話す声が大きくなってくる。
 そういえば、初めの挨拶以来、四人以外とはまったく会っていない。
 不安に思ってベポちゃんに握られた手に力を入れると、それに気がついたベポちゃんが安心させるようにぽんぽんと肉球のある手のひらで頭を撫でてくれた。
「大丈夫だよ。イオリは悪い子じゃないし、皆も少しずつわかってくれるよ!」
「そうだといいんですけど……」
「心配なら、おれずっと傍にいるよ!」
「……はい、そうしていただけると嬉しいです」
 食堂に入ると、クルーは船長であるローさんへ口々に挨拶をして、それからベポちゃんと一緒に歩く私に視線を向ける。向けられる視線に身を竦めると、ベポちゃんが私の手をしっかりと握り直してくれた。
 ハートの海賊団は他の海賊に比べれば規模はさほど大きくないけれど、ほぼ同じ時間帯にひとつの部屋に集まるとなると、結構な人数だ。ここではカウンターでコックさんからトレーに載った料理を受け取って、空いた席で食べるのだと教えてもらった。私には縁のない話にも思えるけれど、おかわりもできるらしい。
 ベポちゃんに連れられてカウンターに行くと、コックさんがこちらに気づいて料理を盛りながら話しかけてくれた。
「お、例のかわいい新人さんじゃないか。イオリちゃんだっけ?」
「は、はい。よろしくお願いします」
「あぁ、よろしくなー。シャチから聞いてサンドイッチにしてみたけど、ほんとに足りるか? 何か追加で欲しかったら遠慮なく言ってくれよ」
「ありがとうございます」
 渡されたのは、野菜やハムが挟まれたサンドイッチ。パンだけじゃなんだからと、他のものも摂れるように気を遣ってくれたのだろう。
 ベポちゃんの受け取ったトレーには、体に見合った量を食べるのか、大き目のお皿に山と盛られた料理が載せられている。
「こっちは船長の分な」
「うん!」
 ローさんはカウンターの傍のひとつだけ空いたテーブルに先に座っていて、ベポちゃんがトレーを目の前に置くと、私たちが座って落ち着くのを待って食べ始めた。
「なんかうれしいなぁ」
 ほわほわとお花でも飛ばしそうな雰囲気で柔らかく笑いながら、ベポちゃんが言う。何のことだろうと思い齧った一口を咀嚼して隣に座る巨体を見上げると、視線に気づいたベポちゃんがちゃんと教えてくれた。
「イオリ、船に乗ってからずっと寝てたでしょ? 新しいクルーがいるのは知ってたのに、全然会えなかったから気になってたんだ。こんなにかわいい女の子だと思わなかった!」
「女の子って……なんだか恥ずかしいです」
「え? なんで?」
「なんでって……、だって、"女の子"って、もっと若い人に使うイメージがありますし」
「うん……?」
 素直に思ったことを言うと、ベポちゃんが首を傾げる。私の正面で話を聞いていたローさんも、訝しげにこちらを見てきた。
 何か、噛み合わないことでも言っただろうか。時折ローさんは私との会話の最中に眉を顰めるから、そういう時があるというのは自覚している。
 "女の子"というのはシャチさんにも言われたけれど、あの時はまだひどくぼんやりしていて、ひたすら眠かったから気にしていなかった。けれど今ベポちゃんに言われて、気になりだしたのだ。
 ふと、どこか"合点がいった"とでも言いたげな表情をしたローさんが私の名前を呼ぶ。
「イオリ」
「はい、なんでしょうか?」
「おまえ、歳はいくつだ?」
「24です」
「へぇー! にじゅうよ……24!?」
 周囲がざわついて、視線が一斉に私を向いた。
「え……? あの、え?」
 何かおかしなことを言ってしまっただろうか。視線に居心地悪く感じながらローさんに説明を求めて視線を送る。
 ローさんもまた私をまじまじと見つめていて、一体どうしたというのかと、今度はベポちゃんに視線を向けた。
「待って待って、イオリ、24歳なの?」
「? はい、そうですよ」
 ざわざわと同じテーブルの人同士で話す声が気になって意識を集中させると、自然と声が耳に入ってくる。別に隠しているわけでもなさそうだから、耳に入れても問題はない、はず。
「24って……」
「見えねェよな。しかも、24って……」
「船長とタメじゃねェか!!」
 最後に聞こえた言葉に、思わずローさんを見る。
「あの、ローさん、同い年なんですか……?」
「……お前が24歳だというのが本当ならな」
 ローさんは信じられないものを見る目をしている。確かに、前の世界でもよく童顔だとは評された。ジャポン特有の顔立ちであるとも言える。それに、何かもうひとつ、幼く見える理由があったはずなのだけれど……。
「と、とりあえず、私は嘘は言ってないです。24歳だっていうのは本当です」
「おれ、イオリは18か19くらいなんだと思ってた!」
「あ、おれも!」
「おれもそうだった!」
 口々に言うクルーたち。実際よりも若く見られて、女としては喜ぶべきなのだろうけれど……。どこかそれが当たり前だったような気もする。喉の下のあたりにわだかまりを感じて首を傾げたけれど、やっぱりわからなくて考えるのをやめた。
「ところで船長ー、イオリの歓迎会はいつやるんですか?」
「あァ、そういや……。お前らはどうせ歓迎会にかこつけて酒が飲みてェだけだろ」
「それもありますけど、おれらだってイオリのこと知りたいです! ベポたちばっかりずるいし!」
 クルーの一人が発した言葉に、思わず食事の手を止めた。歓迎会をしようとしてくれて、私のことを"知りたい"と思ってくれている。受け入れられるかどうか、そんな心配は端からしなくても良かったのかと思ってしまうほど、すんなりとクルーの口から紡がれた言葉。
 ローさんは少し考える素振りを見せて、私に視線を向ける。
「仕方ねェな……、イオリ、夜起きていられるようにできるか?」
「午後いっぱい寝ていれば、多分……」
「なら、そうしてくれ。コック! 晩飯は豪華にしろよ」
「あいよ、キャプテン!」
 ローさんとコックさんのカウンター越しのやりとりに、周囲が歓声を上げた。
「海賊っつーのは、大概宴が好きでな」
 仕方ないと苦笑するローさん。彼自身も、お酒を飲むのは好きなのだろう。
「イオリちゃん、甘いものは好きかい?」
「はいっ。……あ、でも、少ししか食べられませんから……」
 あまりたくさん作ってもらっても、残ってしまうからもったいない。
 コックさんはそう伝えても、"そんなこと気にするな"と豪快に笑う。
「残ったらベポが食うさ!」
「うん! おれ食べる! イオリは気にしないで好きなように食べて良いよ!」
「ありがとう、ベポちゃん」
「どういたしまして!」
 嬉しそうに笑うベポちゃんに心が温まるのを感じながら、最後の一口を咀嚼。
 夜に起きていなきゃならないなら、もう寝ていた方がいい。
「ローさん、私お部屋に戻りますね」
「あァ」
 彼が頷いたのを確認してトレーを持ち席を立つと、ベポちゃんがしょんぼりと眉を八の字にした。
「イオリ寝るの?」
「夜に起きていられるようにしておかないと」
「そっかー……。じゃあまた夜ね!」
「はい、またあとで」
 少しだけ寂しそうな様子を見せたけれど、夜にまたたくさん話せるのだとわかると笑顔に戻ってくれた。
 カウンターにトレーを置いて、鍋の様子を見るコックさんに声をかける。
「ごちそうさまでした、おいしかったです」
「おう! 良かった良かった。夕飯も期待してろよー」
「はい、楽しみにしてますね」
 食堂から出る途中にもクルーが"また夜なー"と声をかけてくれて、それがとても嬉しかった。
 主のいない部屋に戻ってきて、さてどこで寝ようかと少し迷う。前のように入り口の傍で寝るか、ソファを借りて寝るか、……あれ?
「わたし、どうしてたんだろう……?」
 くら、と眠気が襲ってきて瞼が重くなる。考えてはだめ、だめなのに気になりだしたら止まらない。
 すぐ傍の壁に手をついて支えにしたけれど、ここから眠りやすい場所に行くことなんてできそうにない。ずるずると膝を折って、額を押さえる。硬い壁と床の感触。どこか懐かしい感じがする。
 元々遅い頭の回転が更に遅くなって、もう何も考えられない。
 ほとんど回らない頭で何かを考えるのすらいやになって、もうここでいい、と床の上で丸くなって睡魔に身を預けた。
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