positive thinking
ペンギンさんの部屋から戻ってきて、ベッドを使っても良いとは言われたけれどなんとなく気が引けて、結局ソファに落ち着いて座ったままうとうとしていた。考え事をしようとしても少ししか材料がないから、どうしても思考が回らない。前よりひどいかも、なんて思って、その比較ができる程度には、僅かだけれど記憶が戻っているのだと実感した。
少しするとローさんが戻ってきて、出かけるぞと言う。
「買い物ですか?」
「あァ。そこの荷物確認して、他に要りそうな物があったら覚えとけ」
「わかりました」
ローさんがソファに座って待つのを横目に、荷物の置かれた部屋の隅に行く。
カデットさんが用意してくれたという鞄を開けて、中を見てみる。シンプルなデザインのワンピースが数着と、生活するのに必要だろうと予想して入れてくれたらしい日用品。なくて困りそうというものは特にない。
「あの、ローさん」
振り返って呼ぶと、言いたいことがわかったのか脇に置いた太刀を掴んで立ち上がった。
「……まァ見ただけじゃ何がないのかなんかわからねェかもな。行ってみて欲しい物があれば言え。行くぞ」
「は、はいっ」
甲板に出ると、そこにはクルーが集まっていて。ローさんはついでにと私のことを皆さんに知らせた。挨拶をしろと言われた時は回らない頭で懸命に考えてのたどたどしい言葉しか言えなかったけれど、拒絶のような空気は感じなかったのでひとまず安心した。
船に着いてから見なかったカデットさんがいると聞き、ローさんはクルーを買い出しに行かせて、私とペンギンさんを連れて彼の元へ向かう。
カデットさんは手に私が持ち帰った麻袋を持っていて、あぁこれで帰ってしまうのだと、短い時間しか一緒に過ごしていないにも関わらずかなり頼りにしてしまっていたのだと、今になって実感した。
「お、イオリも買い物行くのか?」
「あァ。一応荷物は確認してきたが、見て回れば欲しいものも出るだろうと思ってな」
「そっかそっか。商船がこっから少し北に歩いたとこに着いたぜ。クルーが向かってるから、もうわかってはいるんだろうけど。商船の旦那とは結構親しくなっててな、少し値引いてもらえるように交渉しておいた。高いもん買うなら今日にしとけよー」
何から何まで、と思うけれど、彼はそういえばこれが仕事なのだった。それでも、彼の優しさは仕事の範疇を超えていた。それがとても嬉しかった。
カデットさんは私に近づくと、少しだけ腰を折って視線の高さを合わせてくる。ぽん、と頭に手を載せられた。
「それじゃイオリ、オレはもう帰る。これからのことは不安だろうが、ローに遠慮せず頼っていけ」
安心させるように笑って言って。それから、言い聞かせるように少しだけ強い語調で続ける。
「大丈夫、おまえは強いから生きていける」
「……はい。ありがとう、ございました」
喉に痞えてうまく言葉が出ない。どうして彼と一緒にいたのか、それが思い出せなくて悶々とするけれど、確かに寂しい。
カデットさんはそんな私を小さく笑って、手に持っていた麻袋を少し上げることで示す。
「これ、ありがとな。記憶を無くす前のおまえがやりたかったこと、お礼に少しぐらいはしておいてやる。何も心配しなくていい」
私がやりたかったこと。それが何なのかさっぱり思い出せないし、考えようとすると眠気が襲ってくる。これは忘れるべきことで、考えない方がいいのだと結論づけて、頷いた。
どうしてかはわからないけれど、目から涙が零れて、頬を滑り落ちる。あぁ、また。
「あぁほら、泣くなっつったろ。また目が腫れる……」
困ったように笑って、もう癖なのか私を宥めるために頭を撫でてくれた。
それから、ペンギンさんに向けてだろうか、私のことを頼むと、そう告げる。ペンギンさんも少し間を空けつつも、はっきりと返事をしていて、カデットさんはそれを聞いて満足げにひとり頷いた。
「よし、じゃあなイオリ、達者でやれよ!」
「はい……っ!」
頷くしかできなくて、笑顔で見送れたかなんてわからないけれど。
彼が良くしてくれたのは仕事だからという理由だとしても、感謝することに変わりはない。
ローさんはカデットさんの背が林の奥に消えたのを見届けると、踵を返して私とペンギンさんを促した。
「ペンギン、イオリ。行くぞ」
「はい。……あ、イオリ、少し待ってくれ」
ペンギンさんに呼び止められて、不思議に思いながら振り向く。ゆっくりと手が伸びてきて、カデットさんが撫でたことで絡まっていたらしい髪を解して整えてくれた。
「……ありがとうございます」
「あぁ、どういたしまして」
帽子のせいで目はこちらからは見えないけれど、口元が穏やかに笑っている。
ローさんの独断だったようだから、受け入れてもらえるか心配だった。カデットさんに"強い"と評価されても、その自覚がないからわからない。以前の自分はどんなだっただろうと考えても、ふわふわと思考がまとまらなくなるだけ。
足を一歩進めるごとに鳴る鎖が、事実だけは示してくれているけれど。彼らは私を人として見ているし、これは過去のものと捉えても大丈夫なのだろうか。あるべき記憶が戻るまでは、価値観すらおかしくなっていそうだと、少しだけ先が思いやられた。
少し歩くと、大きな商船が見えた。よく見ようと少しだけ目を細めると、予想よりずっとはっきり見えることに内心で驚く。
「……?」
「どうした?」
首を傾げる私を気にしたローさんが、問いかけてきた。
「いえ、私、こんなに目が良かったかなと……」
「あァ、無意識にならできるのか。体が覚えてるといったところだろうな……」
ローさんは独り言のように呟いてから、それは私の能力だと言う。
「五感が鋭くなるんだと。味覚と触覚はそれほど鋭くすることもないだろうが、周りの音や匂いを知るのは楽なはずだ」
言われるがまま、商船の方に意識を集中させて耳を傾けてみる。あぁ、確かに。聞こうと思えば、クルーが商船の人に商品のことを尋ねる会話すらはっきりと聴こえてくる。
「そのうち自分でどういう原理なのか思い出すだろ。それまではあるものとして使っとけ」
「はい」
商船の甲板に上がると、船長らしき恰幅のいい男の人が出迎えてくれた。
「あんたが船長かい?」
「あァ」
「へェ……、また若いのが来たもんだ。"偉大なる航路(グランドライン)"はどうだい? 気候がめちゃくちゃで初めのうちは辛いだろう」
「おれは平気になってきたが、クルーがなかなか慣れなくてな」
「あぁ、そうだろうそうだろう。そういうものだ」
どこか後輩を見るような目でローさんを見て、船長さんは穏やかに笑う。
「ところであんたんとこのクルー、大分機嫌がいいようだが、この島で何かあったのかい?」
大概は、人もいない、"記録(ログ)"も溜まるまで一ヶ月もかかるという島に留まらせられて皆不機嫌なのだと言う。ローさんが言う"永久指針(エターナルポース)"も買えはするのだけれど、慣れない航海に皆疲弊していて、物資の補給で精一杯なのだそうだ。だから、払いのいい客は久しぶりだと、嬉しそうに笑っている。
ローさんは一度私を見て、それからまた船長さんに視線を向けた。
「あァ、財宝を見つけた」
「!!」
途端に、船長さんが纏う空気が変わった。穏やかだったものが、驚きで少し緊迫したものになる。
敵意では、ない。けれどどうかしたのだろうかと不思議に思う。思わず隣にいるペンギンさんの顔を見上げると、彼もまたこちらを見ていて、お互いに首を傾げあった。
「……海からかね、地上からかね」
慎重に、言葉を選ぶように問う船長さんに対して、ローさんは口角を上げてすらすらと答える。
「"この宝箱を見つけるのは、海と地上、どちらから来た者だろうか?" 航海日誌の一節だな。おれたちは地上から入って見つけた」
「そうか、そうか……! とうとう見つけてくれたのか! いやぁ、50年か。生きているうちに見つけてもらえてよかったよ」
うんうんと頷く船長さんに、ますます状況理解ができなくなる。
「おい、そこの君、今手は空いているかね?」
どこか嬉しそうにしながら、船長さんは近くを通った若い船員を呼び止めた。
「どうかしましたか?」
「カトライヤ島への"永久指針(エターナルポース)"を持ってきてくれ」
「わかりました、カトライヤ島ですね」
船員は島の名前を確かめると、すぐに船室に入っていった。
「……あんたが日誌を書いた航海士なのか?」
「あぁ、そうだ。ほら、そこに座ろう。急ぎではないんだろう? ぜひ話を聞かせて欲しい。さぁさ、お嬢さんたちも座るといい」
促されるまま、甲板の隅の木箱に座る。ペンギンさんもさっぱり事情が理解できないようで、首を傾げながら船長さんの言葉に従った。
気を利かせた船員さんがコーヒーやジュースを持ってきてくれて、それを飲みながら二人の話を聞くことにする。
「あの家は島の整備のために建てた、最近のものなんだ。カデット君が手入れしていてくれたらしくてね、綺麗なままだったよ。あそこから、どうやってあの通路を見つけたんだ?」
ローさんは私を親指で示した。
「こいつがやたら耳が良くてな。通路の中の風の音で大きな空洞があることがわかった。それで庭を掘って、扉を見つけて中に入った」
「ふむふむ、お嬢さんがねぇ」
観察するような視線を向けられて、少し居心地が悪い。それに、ローさんが言っていることをした覚えがまったくない。
考えても眠くはならないから、そのうち思い出せるのだろうけれど……。
「今は少しワケありなんで、こいつに話を聞くのは勘弁してくれ」
「あぁ、そうなのかい。わかったよ」
ローさんのフォローが功を奏して、船長さんも訳ありの人間には慣れているのかすぐに納得してくれて、私に質問が向けられることはなくなった。
「それで、先にどっちの部屋に着いたんだい?」
「あんたらが最初に着いた空洞だ」
「それで宝箱と日誌を見つけて、上の通路の先に何かあると踏んだわけだな」
「あァ」
「そうかそうか。地上からだったか。まぁ、整備してしまえば海岸の方が船をつけやすいからな。洞窟を見つけやすいのは空洞側だが、海賊たちはまず船をつけやすそうな海岸に目をつける。いやぁ、お嬢さんの力には脱帽するばかりだ」
体を揺らして笑う船長さんの傍に、砂時計の形をしたものを持った先程の若い船員が近づく。
「船長、カトライヤ島への"永久指針(エターナルポース)"です」
「あぁ、ありがとう。君は仕事に戻ってくれ」
「はい」
船長さんは受け取ったものを、そのままローさんに差し出してきた。
「これはプレゼントだ。できればでいいんだが、頼みを聞いてくれるかね?」
「その頼みに寄るが。一応は聞こうか」
「カトライヤ島には、グラープ・マールという生き残りの海賊が立ち上げた会社があるんだ。島を整備する事業と、"記録(ログ)"が溜まるまで時間のかかる無人島に今日のように物資を届ける事業をやっている。その本社に、私が海賊だった時の船長がいるんだ。彼に、この島で財宝を見つけたことを伝えて欲しい。きっと彼も喜ぶだろう。宝探しは楽しかったはずだ」
ローさんはそれを聞くと、しっかりと頷いた。
「それぐらいなら聞き入れられる。しかし、本当にいいのか? あれをもらって。かなりの大金になるぞ」
「いやいや、いいんだ。今でもこうして豊かなんでな。あの時は収穫があって財宝だけはたんまりとあったからなぁ。いやぁ、財宝だけがあってもどうにもならないことはあるものだ! それを身をもって思い知った!」
「だろうな……、日誌を見ればわかる。……ペンギン」
「! はいっ」
今まで蚊帳の外で、飲み物を少しずつ減らしながら話を聞いていたペンギンさんは、突然名前を呼ばれて肩を跳ねさせた。
「このままカトライヤ島へ行く。いいな?」
「わかりました」
「このルートの島をひとつ飛ばすことになるが、平気かい?」
「ここで一ヶ月足止め食らうぐらいなら、次へ行った方がいい」
「そうかそうか、それならいいんだ」
穏やかに笑った船長さんは、私に目を向けた。ぱちりと視線が合って、けれどどうしたらいいかわからず、逸らすこともできず。
戸惑っていると、小さく笑われてしまった。
「君が今日から彼の船に乗る子だろう。カデット君が気にしていたよ」
「え、あ……っと」
「大丈夫だ、深くは聞かない。うちの女性の船員に案内させよう。彼女の身の回りを整えることも必要だろう。この船で大概のものは扱っているから、後々困らないようにな」
「あ、ありがとうございます」
頭を下げてお礼を言うと、うんうん、と頷かれる。
船長さんは終始ローさんたちハートの海賊団や私のことを気にかけてくれていて、よほど話にあった財宝を見つけてもらえたのが嬉しかったのだろう、ということはわかった。きっと、後輩の面倒を見られるということが、彼の気分を上向きにさせているのだ。
それから、どうやら私がそれを見つけるきっかけになったのだということも話から察せられた。彼らの役に立てたのなら、良かったと思う。けれど、自覚がないのもまた不思議なもの。
はやく思い出せたらいいな、と船長さんが呼んでくれた女性の船員の後をローさんたちと一緒に追いながら、そんな前向きなことを思った。
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