ちかなり | ナノ



引きずり下ろすのは引きずり上げるよりも簡単。
その理由は自明の理、重力があるからだ。人間みな平等に重力が働く。意思有るものは立ち上がり、意思無きものは這い蹲る。

机上の花瓶が落ちる。
同時に、はなせ、と奴が言った。
それは鼓膜をあまくあまくとろかす。今の己に言葉は意味など持たない。音。純粋な音。奴の発する音だ。奴の喉が、舌が、己のために生み出した音。奴の視線が、奴の興味が、己に向いていることを知覚する。ぞく、と脳髄が痺れる感覚。もっと欲しい。奴の腕をぎりりと掴み直した。その細さをに改めて驚く。やめろ、と奴が言う。心地良い。音が耳に心地良い。気持ちが良い。溺れてしまいたい。貪らせて欲しい。堕ちて欲しい。欲しい。欲しい。
腕を捩り手を振りほどこうとする奴をふわりと抱きしめた。身を屈めて首元に顔を埋める。埋めるだけでは物足りなくて、衝動的に歯を立てた。ヒュ、と耳元で息をのむ音。ああ、なんてうらやましい。生まれ変わったら酸素になろう。酸素になったらこいつに吸われて、こいつの血液に運ばれて、その心臓に喰らい付こう。回した両腕に力を込めた。腕の中で奴が身を捩る。
意思有るものは立ち上がることができる。意思有るものは自ら這い蹲ることもできる。意思有るものはその手で誰かを引きずり上げることができるし、意思有るものは誰かを奈落へ引きずり下ろすこともできる。
そして、引きずり下ろすのは引きずり上げるよりも簡単。
さて、現状で利が有るのは。

花瓶から零れた水が、ゆるりと畳に染みる。





 


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -