恋は心の外


「その腕はどうされたのですか?」

幸村が慶次の腕を見たのは偶然だった。
たまたま、めくれた着物の袖。そこに無数に広がる傷。
それは引掻き傷で、戦場で出来たものとは思えないものだった。

「あー・・・」

困惑した表情を一瞬し、慶次は天を見る。

「ねこだよ、ねこ」
「ねこ?」

疑問を返せば、そうそうと頷く。

「それも大きなねこな」

手で大きさを表現して見せた。
いくらなんでも大げさだと、幸村はそれを見て思った。

「今度、見せてはくれないですか?」

その言葉に慶次は眉を顰めた。

「その内、な」

だが、それもほんの一瞬で、すぐにいつもの慶次に戻った。

(何か・・・悪いことを言ってしまったのだろうか)

幸村は慶次の反応にそう感じた。
しかし、慶次を見てもいつもと変わらず笑っている。
違和感を感じたものの、それ以上慶次に何か聞くことはなかった。


数日後、兼続の屋敷を訪ねた。
用事がある訳ではなかったが、何となく顔が見たかった。

(兼続殿はいつでも好きな時に屋敷を訪ねてくれと言われていた・・・きっと大丈夫だろう)

家臣が庭にいると言うので、庭へと足を運んだ。兼続は庭でぼんやりと鯉を見ていた。

「兼…」

声を掛けようとして止めた。
時々、兼続はどこか寂しそうでいて、それでいて艶やかな…言葉だけでは説明しにくい表情をする。
その表情を見ていると、やけに胸が騒いだ。
暫く、ぱたりぱたりと動く睫の動きを追った。

見つめていると、歯がゆくて、切なくて、苦しくて、痛い、そんな感情に襲われた。
それなのに嬉しくて顔が緩む。
声が聞きたい。名を呼んで欲しい。着物から伸びた白い手に触れたい。その身体を抱きしめてしまいたい。
この感情に言葉があるとは知らなかった。ただ、兄のように兼続を慕っているからそんな感情が生まれているのだろうと思っている。
苦しい胸の前でぎゅっと拳を握った。

ふと、目線に気付いた兼続がこちらを見た。

「幸村!」

笑顔が零れる。
先ほどの表情とは違い、いつもの兼続だった。

「どうした?」
「いえ、近くを通ったものですから寄らせていただきました」
「そうか」

幸村は小さな嘘をついた。
何故か、兼続に逢いに来たとは言うことが出来なかった。

その後、二人は他愛のない話をした。幸村はつい、自身の話ばかりしてしまっていた。
最近あった出来事や誰かから聞いた話など、兼続は相槌を打ちながら、幸村の話を聞いてくれた。
暫くして、幸村は自分の話ばかりしていたことに気付く。慌てて謝罪した。

「す、すみません。私の話ばかり・・・」
「いや?謝ることはない」

すっと顔を上げた兼続との距離の近さに、どきっと心臓が高鳴った。

(まただ。どうして触れたくなってしまうのだろうか)

さっと、顔を逸らして悪戯に動いてしまいそうな手を胸の前で組んだ。

「そういえば、慶次殿はねこを飼っていらっしゃるんですね」

自分の話ばかりも何なので話題を変えようと、先日慶次から聞いた話を持ち出してみた。

「ねこ?」
「手に傷があったので、訪ねてみましたところそうだと…」

兼続も知らなかったのだろうかと疑問に思った。

「あぁ…」

ふっと笑う兼続を見て、どきんと心臓が高鳴った。

「ねこか…ふふっ…慶次は、ねこと言ったのか……」

鼓動がどんどん速くなっていく。
煩かった。止めてしまいたくなる程、煩く喚いた。

すっと兼続が幸村に顔を向けた。
また、知らない誰かのようで
吐き気がした。

目が合うより先に目を逸らし、用を思い出したので帰りますと言った。
兼続からは残念そうな返事が返ってきたようだったが、あまりの鼓動の煩さに耳には届かなかった。


そこからの記憶が無い。
どうやって此処まで来たのか分からなかったが、気付くと慶次の屋敷の前に居た。
自分の槍も持っていた。
どうしたいというのだろうか。全く別の人物に乗っ取られてしまったような感覚だった。

「慶次殿ー!!」

幸村は叫んだ。
出てきた慶次の顔を見るなり、勝負してもらいたいと告げた。

「どうしたんだ?一体・・・」
「いいから、私と勝負してください!!」

怒鳴る自分の声に驚いた。
何がしたいのだか解らなかった。
ただ、解ったのは

「慶次殿が言われたねこは…白いねこなんですよね」

知りたくもない心情だった。

身体の中の汚いものがどろどろと己の中で暴れているようだった。
吐き出してしまいたいのに、奥で渦巻く。

慶次はぼりぼりと頭を掻くと、解ったよと言った。


決着はすぐについた。
何処か焦りがあった幸村は、勝負を急いでしまい、大振りに槍を振った。ばちんと槍は弾かれ、地面に落ちた。
その身体に向かって、慶次は思いっきり柄で突きを食らわせた。地面に叩きつけれらる形で、幸村はどすんと地面に落ちた。
慶次がやりすぎたと呟く。

「大丈夫かい?」

差し伸べられた手を幸村は叩いた。

「っ……」

身体の痛さよりも心の痛さのが何倍も強かった。
慶次にこんな感情を抱いてしまう己が悲しかった。慶次はこんなにも優しいのに、それすら憎くて仕方ない。
慶次の手を叩いてしまった手がじんじんと痛む。

「…この感情は何ですか?」

ぽつりと幸村が言葉を落とした。

「その…慶次殿の腕の傷が誰からつけられたのか解った途端、私の中に…不快な気持ちが生まれました。何ですか?どうして、私は…こんなにも慶次殿が憎いのですか?」
「幸村は、俺に嫉妬しているんだ」
「嫉妬?」
「あぁ。幸村は兼続に恋い慕っているんだよ」

何も言えなくなった。胸元をぎゅっと掴む。

(嫉妬…私が、嫉妬…そして、兼続殿を…)

慶次の言葉を何度も頭で反芻させた。
立ち上がると、慶次の前へと寄った。

「兼続殿のことは、兄のように慕っています。ですから、それは恋愛感情とは違います」

幸村はきっぱりとそう言い放った。

「違うな」
「どうしてそう言えるのですか?」
「見てれば解る」
「私が解らないのに、慶次殿が解るなんて!!」
「そりゃ、あんた見てれば解るさ。兼続を思い出してみなよ。特に笑った顔をさ」
「兼続殿の…」

幸村は言われたまま、兼続を思い出した。
自分自身では自覚はなかったが、自然と顔が緩んでいた。
「やっぱりな。あんたの顔は恋してるそれだ」

幸村はそう言われ、ぺちぺちと緩んでしまった頬を叩き、引き締めた。

「慶次殿はしつこいですね。私が兼続殿に恋心を抱いているとしたら、慶次殿はどうされるのですか?」
「どうもしないさ」

急に柔らかな表情になった。

「兼続を想う相手が、俺の他にいるのは嬉しいよ」
「嬉しい?」

ふっと慶次は笑うと、遠くの山へと目線を移した。
その横顔は酷く哀感が漂っていた。

「俺はこんな性格だからな。いつ死ぬか解らない」

その一言で全てを察し、幸村は言葉を失った。

戦好きの慶次はいつ戦で死んでも未練はなかった。だが、唯一の未練が出来てしまう。その唯一が兼続。
常に兼続を見ていた慶次は脆さを知っていた。知っている分、兼続がどうなるか容易に想像出来る。
その時、兼続を愛し、支えてくれる誰かがいたなら自分もこの世に未練なく、潔く散ることが出来る。兼続に言わせたら、身勝手と言われるかも知れないが、慶次は生き方を変えることはない。
傍にいれぬのなら、誰かに託す…こういう愛もまた、一つの愛の形だと思っていた。

「諦めろとは言わないのですか?」
「それは、言われて諦められる恋なのか?」
(恋…これが…恋)

兼続を考えただけで胸が熱くなる。これはやはり恋なのだろう。

「これが慶次殿が言う恋ならば…私は諦めたくないです」

だから自ら慶次のところに来たのだと、今更ながら此処に来た行動の意味を知った。

「俺もな…諦められねぇんだ」
「…慶次殿も?…どうして…」

関係はあったが、兼続には未だ想う相手が居た。
もう逢えもしないのに、ひたすら想っている相手が。

慶次の困ったような瞳に幸村はとある人物が頭に浮かんだ。
慶次もまた、焦がれる恋にもがいていた。

「大の男二人がどうしようもねぇな」
「そうですね」

二人は笑い合った。

慶次は飛ばしてしまった幸村の十文字槍を拾うと、それを手渡した。
幸村は微笑すると、それを受け取った。慶次の心をも受け取ったような気がした。

(私が先に死ぬことになっても、慶次殿になら・・・)

幸村の心の中にも、慶次と同じ感情が芽生え始めていた。
あれだけ渦巻いていた心の中の靄がすっと晴れ、軽くなった。


こんな時代だからこそ幸せになって欲しいと思う。
例え、隣にいるのが自分でなくとも。









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後記

幸村が慶次に対して嫉妬してみたものの、慶次も片想いだったよという不義以外の何ものでもない話になってしまいました。
最初は慶次→←兼続←幸村だったのですが・・・・。
何故かみんな片想いになりました。






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