幸福論
時は子の頃を過ぎた頃の、静まった薄暗い部屋の中。
景勝は兼続の膝の上に頭を預け、横になっていた。
目は瞑っているものの、寝ているわけではない。
この時が一番、景勝にとって安堵出来る時であった。
国のことも、戦のことも、死すらも、何もかも忘れて兼続のことだけを考えられる。
想えば胸苦しく、また、その胸の内を告げられないからこそ苦しくもある。愛しているなどという言葉は、互いの関係を思えば言うことは出来ない。他人に知られてはならない。
言えぬからこそ、知られてはならないからこそ、二人は深く愛し合っていた。
ゆっくりと景勝は瞳を開く。
己を優しげに見下ろしている兼続が映る。外から照らす僅かな月明かりが兼続を照らし、いやに艶やかに見せた。
「どうかしましたか?」
周りに何か異常があったわけではないことを判っている兼続は、ゆっくりとした口調で訊ねた。
「いや…」
景勝はそう返すと、のそりと起き上がった。
兼続の方向へと振り向くと、顔を近づけていく。兼続の心臓の鼓動がととと、と速くなり始めた。
どうも慣れない。心底、惚れているからだろうか。
手が兼続の頬を撫でた。心臓の鼓動が益々、速さを増す。
目線を合わせていることすら恥ずかしくなり始め、手の方向へと目線を逸らせた。
「景勝様…」
呼ぶ名と共に吐息が零れ、景勝の手の平へと当たる。それを合図に、指が動き兼続の唇へと触れた。
「景勝さ…」
最後まで呼び終える前に唇を塞がれてしまった。歯列を割って入ってきた景勝の舌が舌先に触れる。
兼続は景勝が遊びに長じているわけでもないのに、どうしてこんなにも巧みに己を弄ぶことが出来るのだろうかと思った。
景勝は兼続が合戦では冷静に、それでいて勇ましく美しく戦う漢なのにも関わらず、ほんの少しの行為でこんなにも動揺し、そして艶やかになるのが不思議だった。
しかし、そこがまた、互いに愛しい部分でもあった。
口付けをしたまま、兼続を畳の上へと押し倒す。
布と畳が擦れる音がやけに耳に響いた。
己との唇の間から、時折兼続の甘い吐息が零れ落ちていく。景勝はくらりと眩暈を覚えた。
甘い吐息に誘われ、好かぬ考えが頭を過る。その考えを兼続に話してしまおうかとすら思った。
不意に、兼続の腕が景勝の身体を抱き締めてきた。それを遮るように。
唇を離し双眼を開けば、兼続が何か言いたげな瞳で見つめていた。語らずとも全てを見透かし、それでいて全てを包み込んでくれる兼続。
堪えようもない愛しさが込み上げてきた。
強く抱き締めると、深く深く口付けを交した。
行為の最中、言葉は一切話さない。
名すら呼ばない。
ただ、部屋の中は時折零す兼続の熱い吐息が聞こえるだけだった。
景勝が朝の日差しで目を覚ますと、すでに兼続は床から出ていて乱れた髪を直していた。
「隣が寂しいではないか」
景勝が珍しくそう言うと、兼続はにこりと微笑を返した。
「何時までも、主君より寝ているわけにはいきませぬ」
兼続はすっ、と立ち上がると布団の横に落ちていた着衣を拾い、するりとそれを纏う。
乱れ一つなく着込むと、景勝の前に座り平伏した。
何事かと景勝が起き上がると、兼続は顔を上げはにかむような笑みを見せた。
「手前はただ、ただ、幸せです」
幸せを与えてくれる景勝に、感謝した兼続の一言に景勝は言葉が出なくなった。
それは己の方だというのに。
兼続がいたからこそ、こうしていられるというのに、この漢はどうしてそんな言葉をくれるのだろうか。
目頭が熱くなっていく。
何があっても兼続だけは手放したくないと、今まで以上に思った。
兼続の腕を強引に引くと、景勝は強く抱き締めた。
終