風
紗霧と佐助は二人、寺の門の前にいた。
柄のない鈍色の香染の着物に身を包み、腰まであった長い髪を肩のあたりで切りそろえ、それを布で覆い隠していた。
紗霧は、佐助に一言も言わずに尼になる決意をし、俗世を捨てた。
だが、佐助は納得出来ないでいた。
紗霧に会いに来たものの、既に紗霧の心は決まっていた。
半刻ほど二人に時間が与えられた。
おそらく今生の別れとなるだろう。
「今度は私の番…どうぞ、心おきなく幸村様のもとへ…」
佐助はもう何を云っても揺るがないだろうとは思ったが、言葉を口にした。
「し…しかし、お前幸村殿のことは…!?」
その言葉を聞き、紗霧がすすすと傍へ近付いてきた。
佐助の手に手を添えると、顔を上げ、にこりと微笑む。
「私…幸村様が好きなの…」
「あぁ…だから…」
紗霧の肩を掴んだ。その手をそっと紗霧は拒んだ。
ふるふると頭を振る。
「…お兄様も…でしょ?」
その言葉に佐助は驚愕した。己れの心の内は誰にも話したことはなかったからだ。
目が見えなくなったからこそ、見えるものがあった。
紗霧には判っていたのだ。佐助の心の内を。
答えはなかったが、佐助が頷いたのが紗霧には判った。
紗霧はきゅっと佐助の腕を握った。
泣いてしまうのを我慢しているのだろう、小さく震えている。
「私の代わりに、お兄様が幸村様を幸せにして」
紗霧はただ、無駄に捨てたわけではなかった。
己れのために夢を捨てた兄の佐助に全てを託すつもりだった。
「私では出来ないから…お兄様だから頼むの…」
より一層、紗霧が佐助の腕を強く掴んだ。
「ね?お願い…」
佐助は紗霧の手を掴むと両の手でがっちりと掴んだ。
紗霧は唇を泣き出してしまわないように噛み締めながらも、にっこりと微笑んだ。
その時、佐助の背後から暖かな春の日差しを含んだような風が吹いた。
見えなくなった瞳のはずなのに、とある風景を映し出した。
「あぁ…」
紗霧は思わず歓喜の声を発した。
真っ赤な甲冑を着た幸村と、同じく甲冑に身を包んだ佐助が、共に馬に乗り雄々しく駆ける姿が見えたからだ。
佐助にそのことを伝えると、静かに頷いた。
「…判った」
短くそう云うと、佐助は紗霧の手を離した。
離した手をぎりっと握る。
別れの刻だった。
名残惜しそうに振り返ると、紗霧は門のところへと歩みを進める。
門をくぐったところで歩みを止めると、振り返り、佐助に再び笑みを浮かべた。
「俗世のことは、もはや夢のまた夢…されど、楽しき夢であったとお伝えください」
一つ瞬きを落とすと、紗霧は背を向けた。
その後ろで硬い門がばたんと閉じた。門はもう開くことはない。
佐助はその場で動けないでいた。
「さよなら、お兄様……幸村様…」
風に流れて、そんな声が佐助の耳に届いた気がした。
雪が降り続く、寒い日のことだった。
雪が積もり白く染まっていく景色を佐助は一人で何時までも見つめていた。
終