兼続の口から語られたのは、闇の怖さと男の温かさや愛しさだった。
己を救ってくれたのは、その男であり、自分の命はその男の為にあるのだと云った。

兼続から聞いただけの闇に寒さと恐怖を覚えた。実際に体験した兼続には、それ以上だったに違いない。
捨丸は口を押さえた。
胃の中のものを吐き出してしまうかと思った。
目の前で横になっている兼続の周りを取り巻く空気が、そんなことがあったからだと納得は出来たが、あまりにも惨い洗脳の仕方だった。
体の心まで染み込んだ想いは、そう簡単には解けないだろう。
薬でなら、己も洗脳を解くことは出来た。絶望でしかなかった。
兼続を殺す他ないのではと捨丸は思った。
捨丸の考えを知り、慶次が首を振った。
それだけは出来ないと唸る。
かと云い、同じ方法はとれない。とれば兼続は、廃人同然となるだろう。

痺れ薬だけは絶やさないようにした。
今の兼続は、自ら死を選ぶことは判っていたからだ。
それから、半刻ほどして兼続がゆっくりと目を開いた。
見知らぬ天井をじっと見つめる。
体を動かそうと、力を入れたのが判った。だが、痺れているのだと思うと、直ぐに力を抜いた。
徐に口を開いた。
慶次はその行動に何かを感じ、咄嗟に二本の指を兼続の口の中に入れた。
兼続は舌を噛み、死ぬつもりであった。
がりっと慶次の指に歯が食い込む。兼続は、そのまま力を入れた。
慶次は無理に抜こうとせず、されるがままになっていた。
皮膚が切れ、血が出る感覚があったが、そのまま表情一つ変えない。
兼続の口の中が血だらけになった頃、力を入れるのをやめた。
慶次は血だらけの指を抜いた。骨まで見えるのではないかと思う程の傷だった。下手に抵抗していたら、指は噛み切られていた。
慶次は何も云わない。兼続をただ、冷静に観察していた。
口の中に溜まった血をごくりと飲み、兼続は云う。

「何故だ」

自分を殺そうとした相手ではないか。何故、殺さないとでも云いたいのだろう。 慶次は微笑を浮かべた。

「大切な人だからさ」

慶次は恥じることなく、そう答えた。
兼続はその言葉に疑問を感じたようだった。



慶次は敢えて、何もしないことを選んだ。
ただ、隣に添えて共にいるだけ。
食事をさせ、風呂に入り、身の回りを手伝う他は、特に何もしなかった。
夜になると、兼続は酷く闇を怖がるので、煌々と行灯を照らし闇を無くした。そして、手を握り眠った。
その生活は何ヶ月も続けられた。

近頃の慶次は、兼続の横にごろんと転がり、書物を口に出して読むと云う行為を繰り返した。
時には、兼続の書いた和歌や漢詩を読み、己が即興で考えた和歌を詠んだりもした。
兼続は、それを静かに聞いた。

「風花雪月、情に関せず、邂逅し相逢うて、この生を慰む」

「私語して、今宵別れて事なし。共に河誓。又、山盟と修す」

慶次が詠んだ歌の続きを、兼続が詠んだ。
詠んだと云うよりは、自然と口から零れ落ちた。兼続は自分で驚いた。
知りもしない筈の歌なのに。
それは、兼続が詠んだものだった。体に染み付いていたのだろう。
慶次はふんわりと微笑んだ。

この日から、慶次は痺れ薬で自由を奪うのを止めた。
兼続は逃げないだろう。もう、死ぬことも考えないだろうと感じたからだ。

数日が経ったある日、慶次は笑い声で目を覚ました。
兼続の姿が横に無い。
だが、庭から声が聞こえた。

「お主の主人は可笑しな奴だな」

兼続は松風の前に居た。
松風相手に話をしている。ひひんと鳴いた松風の返事に声を出し笑う。
慶次は縁先からそれを見、つられて笑った。

その日から、慶次は兼続を連れて外に出掛けるようになった。
捨丸も岩兵衛も止めたが、なぁに、俺がいるだろうと忠告には耳も傾けない。
松風の背に乗り、兼続と共に駆けた。
兼続の背から松風の走りに感動しているのが判った。
顔はおそらく、幼子のように笑っているのだろうと思った。実際、そうだった。
走りに痛く感動していた。

朝も、昼も、夜も関係無く、慶次が思い立てば松風と三人で出掛けた。
慶次はたくさんの場所を知っていた。
行く所、行く所、感動する場所ばかりだった。
そんな生活を何ヶ月も送った。兼続が慶次に対しても気を許すようになった数日後、慶次は一軒の屋敷の前で兼続を降ろした。

「此処は?」

そう尋ねたが、慶次からは答えは返ってこなかった。
神妙な面持ちで屋敷を見ている。
すぐさま、一人の若い女子が屋敷から出てきた。その女子は兼続を見るなり、大粒の涙を流し、駆け寄ってきた。

「兄上様!」

女子は兼続の妹のなつだった。
兼続の目の前で立ち止まると、痩せましたねと云い、また涙を流した。
兼続は、躊躇いがちに慶次を見た。慶次はこくりと頷く。
そろりと手を伸ばすと、なつを抱き締めた。抱いた背が震えている。
口からすまぬと言葉が出た。

景勝は直江の者たちにも兼続の状況を伝えていた。だが、何者かに襲われ、九死に一生を得た代わりに記憶を無くしている。再び、襲われる可能性もないとも云えないので、慶次の屋敷で匿ってもらっていると深いところまでは伝えていなかった。

「兄上様まで亡くしたら…わ…私……」

それ以上は聞き取れなかった。
慶次から想い人を亡くしているのだと聞いた。そうか…と小さく呟いて、なつが泣き止むまで何時までも抱き締めてやった。

慶次の勧めもあり、この日は己の屋敷で夜を過ごすことにした。
なつと布団を並べ、共に寝た。
妹とは云え、夫婦では無い女子と布団を並べ、寝るのはどうかと家臣に咎められる筈なのに、此処ではそれは無かった。
片時も灯りが消えることは無く、淡い光りが二人を照らす。慶次に何か云われたのだろう。

なつは布団に横になると、兼続の手に触れた。小さな手は兼続の手にすっぽりと納まってしまう。
その手は、闇で与えられた熱より温かかった。

ぽつり、ぽつりとなつが過去の話を始めた。
全く覚えていなかった。まるで、他人の話を聞いているとしか思えなかった。
すまないと、何度も兼続は繰り返す。

「いいのです」

なつはそう云ったが、小さな手は震えていた。

暫くすると、なつは眠ったようだった。小さな吐息が聞こえる。
屋敷から逃げ出せる機会は何度もあった。
だが、朝になり、隣に己が居ないと判るとこの女子はまた大粒の涙を流すのだろうと思うと、その手を解けないでいた。

なつを見た。
安心しきった安らかな寝顔だった。

「妹…」

ずきんと頭が痛んだ。やはり思い出せない。
思い出そうとすると、霧がかかったようにそれを拒んだ。

繋いでいる手を見た。
力を込めれば壊れてしまいそうな手が託されている。温かい。とても温かい。
慶次もこうして寝てくれた。
殺そうとした相手なのにも関わらず、何事も無かったように接してきた慶次。

つつぅと涙が頬を伝った。
未だに脳内にはあの時の声が響く。景勝を殺せと何度も繰り返される。
だが、命を賭けてまで慶次が守った景勝を殺していいのだろうか。
妹だと云うなつから聞いた思い出には、景勝のことが何度も出てきた。己は景勝をかなり慕っていたようだったが、そんな景勝を何故殺さなくてはならないのだろうか。
己はどうしたらいいのか判らなくなった。

声を押し殺し、兼続は泣いた。
溜まっていたものが溢れるように、幾度となく涙は零れ落ちた。
なつが気付き、目を覚ました。
泣いているのだと判ると、兼続の頭を抱き、共に泣いた。



明くる日、兼続は一人で慶次の屋敷へと戻ってきた。
慶次の前に座ると、尋ねた。

「手前は操られていたのですか」

捨丸と岩兵衛は驚いた。一体、昨晩何があったのかと聞き返したくなった。
慶次は頷くと、そうだと答えた。
昨晩、兼続が出した答えは操られていただった。そうとしか答えは出ないのだが、真実を知るとやはり複雑ではあった。
兼続は深い溜息をつきながら、瞳を閉じた。

「景勝…様のことを教えていただきたい」

慶次は兼続に景勝のこと、兼続との関係を己が聞いて知っていること、見て感じたことなど全て話した。
全てを聞き、兼続は判りましたと頷いた。
兼続は、ちらっと、捨丸たちを見た。
それに気付いた二人は、その場から退散した。
二人が消えたのを確認すると、兼続は再び口を開いた。

「どうして、手前を抱かなかった」

「兼続殿に惚れているからだ」

すぐさま返ってきた言葉に兼続は絶句した。
あまりにも真っ直ぐな瞳で、そう云う慶次。
判っていただろう。以前の兼続が惚れているのは、景勝だったであろうことを。
今の状態の兼続ならば、一度抱くだけで心までも慶次のものになったかも知れない。慶次はそうはしなかった。
心底惚れた相手の許へと戻るようになってるんだよと、慶次は云う。
真実の想いには、何も他届かないのだと。
悲しそうな笑みを浮かべた。

「今宵…抱いてはくれませんか?」

その言葉に景勝の許へと帰るのだと判った。

「あぁ、いいよ」

慶次は兼続を抱いた。
優しく、それでいて激しく抱いた。





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