生
「政宗!」
孫市は居室から出て行こうとした政宗の名を叫んだ。
振り返りもせずに政宗は、孫市になんじゃと言葉を投げた。
「何処に行く気だ」
そこでやっと政宗は振り返った。
髪で表情は見えないのだが、口元は微かに笑っているような気がした。
「厠じゃ」
その言葉に孫市が安堵した表情を見せた。だが、表情が気になって仕方ない。
孫市は、言葉を続けた。
「もう解放してやれよ…」
「誰を」
「誰って…」
言葉に詰まった孫市をちらりと一瞥すると、政宗は居室の襖をぱたりと閉めた。
「政宗…」
閉められた襖を孫市は見つめた。
ぎしり、ぎしりと板が鳴る音が響く。
日のあまり差さない一室の前で政宗は足を止めた。まるで牢のようなその室。錠で開かぬようにされている。
政宗は錠を外すと、そこを開けた。
男が一人、横たわっていた。政宗が近づいても、ぴくりとも動かない。
「兼続」
あと一歩踏み込めば踏めるような位置で政宗は足を止め、名を呼んだ。
うつ伏せに横たわっているのは兼続だ。見れば唇だけが僅かに動いた。
辛うじて呼吸をしているだけの兼続は、此処に閉じ込められて既に三日が経過していた。
その間、何も与えられていない。
食事はおろか、飲むものですら。
兼続は髪の間から政宗を睨みつけた。そのような状況になりつつも、縋ることなく政宗には媚びなずにいた。
助けてくれとすら、言葉にしない兼続に向かい政宗はにたりと笑った。
「私をやっと解放する気にでもなったか?」
何処から出ているのか解らないくぐもった声が兼続の口から落ちた。ひゅうと喉が鳴る。
声を出したものの痛みがあったのか、眉を顰めた。
それに政宗が笑う。
「いや…?わしはただ、厠に来ただけじゃ」
ぱた、とひとつ水滴が兼続の頬に落ちた。
ぱたぱたた、と水滴は兼続の頬を伝い、唇へと流れ濡らす。
微かに兼続の舌が動く。流れてくる水滴を啜るように喉を潤した。
「そこまでして生きたいのか」
貴様は、と言葉を形作る政宗の唇を兼続は読んだ。
嘲笑う政宗。それを下から兼続は見上げる。
(何とでも言うがいい…)
死ぬわけにはいかない。生きて、上杉に戻らなくてはならない。
約束した友のためにも、自ら死ぬわけにもいかない。
兼続はここで死ぬわけにはいかないのだ。
(私は貴様の血肉を喰らうことになっても生きてやる…)
終
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