「与六、挨拶をしなさい」
隣に佇む女性にそう促された、まだほんの五歳程であろう子は、目の前にいる人物へと跪くとぺこりと頭を垂れた。
畳に頭がつくのではないかと思えるまでに垂れると、口を開いた。
「与六、と申します」
与六は、景勝の近習として取り立てられていたが、本日より、春日山城主の小姓として仕えることになった。隣にいる女性、男の姉で綾御前がそうさせた。
与六の中にある何か、言葉には表し難いが種のようなものが、そうした方が開花するのではないかと感じたからだ。
与六の目の前にいる男が城主である。男は軍神と謳われている上杉謙信であった。
白色の肌と射るような眼光。そして、威圧するような長身。そして身体から発せられる、ただの男とは異なる気迫。
思わず与六は痺れ、声が震えた。型どおりの挨拶をしただけで、他は何も言えなくなってしまった。それだけではなく、頭を垂れたまま動けない。
「与六…」
低く響く声に、びくっと身体が震えてしまう。その声に益々、平伏した。
顔すら上げることが出来ず、込み上げてきそうな涙を唇を噛み制するのが精一杯であった。
「姉上、与六と二人にさせて下さいませんか?」
謙信は目の前の綾御前に向かい、そう言った。
与六の身体がぴくりと動いた。
「解りました」
与六が顔を上げた。綾御前を縋り顔で見つめた。
綾御前は、にこりと微笑した。大丈夫ですよ、と言われたようであった。
綾御前が出て行く。
水を掛けたように場は静まり返った。
「我が怖いか…?」
畳の擦れる音がし、謙信が立ち上がったのが解った。
与六は畳に頭を強くつけたまま、「はい」と消え入りそうな声で呟いた。
かたかたと身体が小刻みに震えた。絶対的な威圧感を肌で感じる。
其処に居るだけで、怖い。まるで獰猛な獣に狙われたか弱き獣の気分だった。
謙信は与六の前に屈んだ。ぽん、ぽん、と軽く頭を叩いた。
「正直な子供だ…」
その手の優しさに与六はそうっと顔を上げた。
謙信は手の優しさと同じく、柔らかに薄く笑っていた。
(続き更新中)
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