「与六…」
謙信は筆を走らせていた手を止めると、名を呼んだ。
「何でしょうか?」
訊ねれば、謙信は少し考えるような素振りを見せた。
名を呼んだ時に言うべきことがあったのではないだろうかと些か疑問ではあったが、与六は言葉を待った。
「一つで良い…その手に掴めるものを作れ」
ただ、そう言うと、謙信は再び筆を走らせ始めた。
「それは上杉の何か…でしょうか?」
謙信は何も言わない。己で考えろということだ。
謙信は亡くなるまでに幾つかの言葉を残した。
其れは意味が汲み取れず、幾つもの歳月が流れた後でも疑問なまま残るものも多々あった。
一つが、手に掴めるものを作れというもの。
(あれは、どういう意味なのだろうか…)
手を翳した。
あの時と比べて大きくなった手。
意味が解らない以上、答えは見付からない。
「どうかしたのかい?」
慶次がその手に手を重ねた。
思考を巡らせていたところへ突然、慶次が入ってきたので驚き、手を握り締めてしまった。
「……!!」
気付く。
謙信が直ぐに言葉を発さなかった意味を。
言葉の答えを。
心の底から惚れた相手を作れという意味だったのだ。
かぁっと兼続の顔が染まった。慶次の手を叩くように退けた。
「す、すまない…」
意識し過ぎてしまった兼続は、口を抑え、目線を逸らした。
「いや、構わないが…どうした?」
言えるはずがない。まさか、謙信から遠回しとは言え、恋の話をされたことなど。
それでその答えが見付かったかと訊ねられたら、どう答えたら良いか解らない。
恋をしたことがなかった兼続。
意識してしまった感情は、胸を苦しくさせた。だが、苦しいのにどこか甘ったるい。
(慶次の顔が見れない…)
触れた手が熱い。
その手をきゅうっと握り締めた。
終
恋の自覚みたいな話のも良いかなと思いました。
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