俺が最初に『出逢った』のは一冊の書物だった。

慶次の屋敷の文机の上に置いてあった書物が気になり、めくったのが全ての始まり。
それは漢籍だった。文字のすらりとした、美しく、気品溢れる筆蹟にとても惹かれた。
誰が書かれたものだと慶次に訊ねる。

「直江兼続殿だよ」

数日前、慶次が直江殿と出逢った話を聞いてはいた。
名は知ってはいた。だが、俺はまだ逢ったことはない。
大層な手練の方と聞いてはいたが、書も嗜まれるとは思ってもみなかった。

「これが直江殿の…」

筆蹟を指でなぞる。
どんな方だろうかと想像する。
ただ、想像するだけではなく、慶次にも訊ねた。

「その内、逢えるさ」

まるで予知するように、そうとだけ答えた。

慶次が借りたものだと云うにも関わらず、いくつかの書物を屋敷へと持ち帰えらせてもらった。
読むとするすると体に言葉が入ってくる。体の心に問いかける。刻に響き、刻に踊る。何と素晴らしい。
書物自らが生を持っているようではないか。
それなりに書物は読んだものと思っているが、これほどまでに心刺激するものは読んだことがない。
さらりと読み終えてしまい、物足りない気持ちになった。

「慶次に頼んでもらうか」

独り言にそう呟く。
馬に跨り、朝方出かけたと云うにも関わらず、再び慶次の屋敷を訪ねた。
門先で声を掛けたが、誰も出てこない。留守だろうか。

庭先から、ひひぃんと松風が鳴く声が聞こえた。
松風が居るならば遠くまでは出掛けておらんなと、勝手に上がらせてもらうことにした。

縁側に出て庭でも眺めていようかと其方に向かうと、馬小屋の前に誰かが居たのに気付いた。
先ほどの俺の声には気付かなかったのか、松風を見ていた。
着ているものからすると、相当の石高の人なのだろうか。
見た目質素だったが、よく見れば繊細で優雅な染物の着物だった。それをさらりと着こなす長身に、涼しげな風貌。後姿だけで魅了された。
天とは何と不公平か。

その男は此方に気付くと、深々と頭を下げた。
名を聞かずとも判った。直江兼続殿だと。
このお方が、あの筆蹟の方…。

「慶次殿なら出掛けておられますよ」

声もまた涼しげだった。
直ぐに戻られると思いますと言葉を続けた。

縁側に立ち尽くしていた俺に近付くと、手に持っていた書物に気付いたようだった。

「あぁ、お手前が奥村助右衛門殿か」

言葉に直ぐ書物を借りてしまったことを詫び、名乗った。

「手前こそ、名乗らずすみません」

そう詫びて、名乗られた。やはり直江殿だった。
字と似た気品溢れる方だった。
勝手に借りてしまった書物のことも赦してくださったばかりか、人様に見せるようなものではないのですがと謙遜した。

「そんなことはありません!」

この方の字がそうならば、俺こそ見せれるものではないと思った。
甚く感動したからだ。
思わず声を荒げてしまった。

「ありがとうございます」

それに少し驚かれた様子だったが、照れて微笑む。
なんて素直な方なのか。まるで、澄み切った空のような方だ。

その後、他愛のない会話をした。
直江殿は博識で、それでいて知識を自慢するでもない話し易い方だった。つい、調子に乗って話が進む。
巧みに引き出されている気分になる。

何刻ほどだろうか、話した後い直江殿は会話を止めた。
そして、心配そうに此方を見る。
思わず、どきりとした。

「どうなされた」

初め、何のことだか判らなかった。
顔が赤いと指摘され、気付く。心臓の速さと顔の熱さに。

「いえ…何でもありません」

大丈夫ですと述べて、直江殿から目線を逸らした。
それでも心配して此方を見ていたのだが、俺は顔が見れない。
そろそろ帰ろうと思ったが、もう直江殿と話せないのも寂しいと思った。非常に心が矛盾している。

「また、書物をお借りしてもいいでしょうか?」

失礼だとは思ったが、目線を逸らしたままそう訊ねた。
次に逢うこじ付けになるだろうと思った。

「私の筆蹟のものでよろしければ」

顔は見なかったが、きっと優しげな笑顔を浮かべているのだろう。
ぎゅっと胸が苦しくなった。
握っていた手を解き、手の平を見る。微かに汗ばんでいた。
慶次が帰ってくる前に帰ろうと、くるりと背を向けた。

「今度はゆっくりと、酒でも呑みながらどうでしょうか」

直江殿の方向へと再び、体を戻すと是非と笑って見せた。
ぎこちなくはなかっただろうかと不安になったが、屈託のない笑顔が返ってきたので安心した。
苦しいまでに胸が痛んだ。

急ぎ足で玄関へと向かうと、慶次に逢った。
其処でもどうした顔が赤いぞと声をかけられる。
何でもない。また来る。と忙しく答えると、逃げるように馬に乗った。

風を切り、馬で駆ける。
とくとくと心臓が高鳴っている。顔も熱かった。
だが、心は何故か躍っていた。
意味もなく、笑みが零れてくる。傍から見たら、怪しげだなと思うが堪えることが出来なかった。
ひゅうひゅうと風が鳴る。それがやけに心地良く感じた。











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後記
奥村さん、字フェチ疑惑浮上SSです。
字で惚れたとかそんなのってありなんでしょうか?
ありだと思います←
ひよりんへのおめでとうSSでした!おめでとう!!
逆がお好きな方でも楽しめるSSだと思います。
読んでくださり、ありがとうございました。






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