「姉上!」

幼少期、謙信はよく笑う子であった。
綾の後ばかりついて歩いた。
この小さな弟を綾はとても愛していた。
だが、あまり謙信は望まれて生まれた子供ではなかった。特に父親には疎まれていた。
子さえも平気で殺す時代。幼きながらも綾は大切な弟を守らねばと思った。
綾は謙信に寺に入るように勧めた。少なからず謙信は仏道に興味がありそうだったからだ。
まだ幼い子は姉の言葉に従い、仏道の道を選び帰依した。



次に綾が謙信と再会したのは七もの年月を得た、父親が亡くなった後であった。
家は兄が継いだが、その兄も病弱。その為、一度は帰依した身とは言え、謙信が呼び戻されたのだった。

「謙信は何処ですか?」
「彼方です」

綾が逸る気持ちを抑えながらも家臣に言われた部屋へと入ると、其処に居たのはまるで別人となった謙信の姿。確かに面影はある。だが、痛ましいまでに美しく、それでいておかしいほどに痩せ細った身体。そして、高く伸びた背。
何よりも感情を無くしたかのように表情を一切変えず、しかも一言も言葉を語ろうとしなかった。
もう七年も会ってはいないとはいえ、あまりの変化に綾は驚愕した。

謙信は、綾を見ると軽く頭を下げた。

「謙信…?」

呼んでもただ、視線を投げるだけ。
以前のように笑い、姉上と呼ぶことはなかった。

寺の者に聞けば、もう何年も前から話すことがないことを告げられた。
それに綾は絶望した。

(何故、言葉を…)
 
謙信が言葉を発さなくなった理由は寺の者も解らない。
話すことを忘れてしまったのか。それとも他に何か理由でもあるのだろうか。

綾はその夜、眠る事が出来なかった。







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