薄墨


「謙信公と兼続様の眸は同じ色をしていらっしゃいますね」

まだ、あどけない顔をした幸村は、目線の先、縁側で兼続達を見つめている謙信を見ると、そう言った。

「そう…」

すいっと眸を泳がせる。

「だろうか」

目線を幸村へと戻した。

「そうですよ!お二人は親…」

言葉を終えるより先に、兼続は唇に人差し指を当てた。
しっ、と窘める。

「迂闊なことを言うものではない、幸村」

耳打ちするように、そっと囁く。

「真実味のない言葉でも、逸れが真と伝わってしまう事もあるのだぞ」

只でさえ、今は跡取りの問題もある。
謙信には、二人の養子がいた。血を分けた子がいないが為の養子。
未だ、どちらを跡継ぎにするかは伝えておらず、屋敷内はぴりぴりしていた。
そんな謙信に、実は子があったとなっては大問題だ。
例え、逸れが偽りであったとしても、噂はあらぬ方向へ膨らむ。殊更、兼続は謙信の寵愛を一身に受けている。
余計に偽りは、聞いたものにとって真実と受け取られる可能性は高い。
嘘でもそんな話が、ましてや兼続と親しい間柄である、幸村の口から発せられたとなっては信憑性が濃くなる。
親子みたいだ、と言った言葉ですら、二人は親子だ、と断定した言葉として受け取られる場合もある。
今も、そんな二人の会話に耳を澄ませているものが多々いた。

「それに、似てもいないだろう?偶々、眸の色が似通っていただけの事」
「申し訳ありません、兼続様!!」

深々と頭を垂れ、幸村は詫びた。

「私の配慮が足りませんでした」
「すまないが、其れだけは心に留めておいて欲しい。それより…」
「はい」
「兼続様は止めてくれないか。幸村にそう言われるのは、むず痒くて仕方ない」

はにかむと頬を掻いた。

「なりません。私のこの身は上杉の人質!其れに私は、兼続様を人としても、尊敬しております故、敬意を払いそう呼ばせていただきたいのです」

兼続は聞くと口を曲げた。
幸村といると、若さに時折、恥ずかしくなる。己にもそんな時があったなと思い出すと、何処か甘酸っぱさがあった。

「確かに幸村は上杉の人質かも知れん。だがな、私はそれ以前に友だと思っているよ」
「友…」
「そうはなれないか?」

幸村は躊躇いながら、兼続を見つめた。

「良いのでしょうか…」
「私は、そうなりたい」

微笑を浮かべる兼続に、幸村は大きく頷いた。

「では、私の呼び方は?」

意地悪く兼続は訊ねた。

「兼続…様…」
「幸村」
「…兼続……殿」
「些か不本意ではないが、其れでいい」

兼続はにっこりと笑った。



「兼続」

背後から呼ばれた声に兼続は振り返る。
其処には微笑を浮かべ佇む、綾御前の姿があった。

「…御前」
「此方へ…」

人の気配が一切ない一室へと二人は消える。

「お座りなさい」

綾御前にそう言われるが早く、兼続は足を整え座る。

「相変わらず曇りない綺麗な色…」

甘ったるい吐息を吐いた。
頬にそっと触れ、眸を見つめる。綾御前は兼続の眸の色が好きだった。
時折、こうして眸を愛でる。

「私は…この眸を潰してしまいたい…」
「なりません」
「しかし、何処で私がっ」「兼続…」

優しく、其れで居て厳しい口調で言った。

「貴方はこの眸で見なければならぬのです。世を、人を、そして…謙信の、己の終焉を、しっかりと焼き付けなさい」

すぅっと、綾御前の手が兼続の頬を、顎を撫でた。

「はい…」
「解りましたか?」
「はい」
「其れでこそ、私の可愛い謙信の…」

言葉が唇から発せられるのを、兼続はじっと見つめた。
最後まで聞くと、眸を閉じた。



「本日はどの様なご予定でしょうか」

兼続は謙信の髪を櫛で梳いている。
毎朝の日課にもなっているこの行為。
この一時が、兼続は一等好きだった。柔らかな髪が指を撫でるのが心地良い。思わず、顔がうっとりと緩む。

寵愛と言っても身体の繋がりはない。兼続が受け入れなかったからだ。
其れでも謙信は兼続を常に傍に置き、大体の事をやらせた。
其れは身の回りだけに留まらず、軍事、職務。其れらを兼続にやらせるという事には反感もあった。だが、才も知もずば抜けてある。何より、謙信の教えを、一番濃く継いでいるのは兼続。周りは黙っているしかなかった。

「予定は無い」

言うと、兼続の腕を引いた。
ぼすっ、と布団に倒れる。
謙信との顔の距離が近くなった。

「なりません…」

ぎゅっと眸を閉じた。
見られたくなかった。同じ色を。

謙信の唇が頬に触れた。
痺れるような痛みを発する。

「……嫌です…」

そう拒むと、いつもは止めるのだが、この時ばかりは止めなかった。
唇にも口付けられる。

「…んっ…」

身体をぐいっと押した。僅かに唇が離れる。ほんの僅か。

「謙信公…」

私達は親子なのです、とは言えない。

幸村にはああ言ったが、本当はそうであった。謙信と兼続は血と肉を分けた親子。
真実を知っているのは、綾御前と亡くなった母のみ。
謙信は不犯を誓い、厳しい枷を受け入れ、自らを軍神とし、均衡の崩れかかった上杉の礎となった。
そんな男に子があったと知られてはならない。
均衡が音を立てて崩れてしまう。

謙信には唯一、愛した女がいた。
己の運命を受け入れた謙信ではあったが、女の強い希望で、一度だけ宵を共にしたことがあった。そのたった一度で兼続が生まれた。
女は謙信の運命を知りつつも、兼続を殺すことが出来なかった。綾御前に全てを話すと、自らの命と引き換えに兼続を託した。
幸いなことに、兼続はどちらにも似てはいない。しかし、眸の色だけは諍えず、謙信の色を強く引き継いでしまった。

「…私は、貴方を受け入れることは出来ません」

はっきりと拒絶したにも関わらず、謙信は口付けた。深く、深く。

拒んでいても、兼続の身体は受け入れてしまう。
心底惚れている相手だ。心に錠前をかけても、簡単にかちりと開く。

綾御前の口から、真実が明かされたのは兼続が謙信に惚れたより後。
拭い去ることしか先はないのに、其れが出来なかった。
いけないと思えば思うだけ、惹かれた。このまま死んでしまいたいと思う程にまで焦がれた。
途方もなく、愛していた。実の父親だと、知りつつも。

「兼続が」

私の子だからかと、唇を離し、兼続の耳に囁く。

「…知って……」

顔を見れば、同じ色が絡み合う。眸を見ただけで全てが解った。
出逢った頃より謙信は知っていた。兼続は己の子であると。直感ではあったが、眸の色が確信にさせた。
その日より、謙信はそっと我が子を見守ってきていた。
だが、謙信もまた、唯一愛した女の忘れ形見である兼続を、子以上の感情で見てしまっていた。兼続が成長する毎に想いは深くなった。
もう、己ではどうしようもない程に愛しい。

「謙信公……」

謙信の大きな手が兼続の髪を撫でた。
其れに忘れていた記憶が思い出される。兼続が…与六が上杉に来て間もない頃、謙信が与六を膝の上に座らせ、何やら懐かしい歌を歌ってくれたあの日の事を。その時に撫でてくれた手の優しさを。

(あれは母が恋しくて、泣いてばかりいた私を慰めてくれる為のものでは……)

泣くことを止めた兼続は、もうあの日の様には泣けない。
だが、謙信の手のぬくもりは変わらなかった。

「兼続…一度だけで良い。一度…」

父と呼んでくれぬかと、謙信は言った。
だが、そう呼べば惚れあった二人、ただ堕ちていくだけだ。
罪がより色濃くなる。

ふっ、ふっと二度大きく呼吸をすると、兼続はしっかりと謙信を見つめた。

「……父上」

小さい声は直ぐに空に消えた。
そう言葉にしてみたが、やはり愛しいのは変わらない。父なのに、血も同じなのに、愛しい。
いっそ、言葉と共に消えてしまえばいいのにと兼続は思った。









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