誘惑


「宿敵との戦は疲れる」

とんとんと己の肩を叩きながら、信玄はそう言う。
だが、何処か嬉しそうだった。
幸村はそんな信玄を見ると、微かに笑った。

「でも、今回は面白いものを手に入れてのう…」
「面白いもの?」
「そうそう」

そう言いながら、襖に目をやれば、がらりと開いた。
左近が現れると、肩に担いでいた人物をどさりと下ろした。

「か、兼続殿!」

それは気を失っている兼続だった。
駆け寄り、揺さぶる。うぅっと小さく唸った。意識が戻りそうなのだろう。

信玄の目がきらりと光った。

「幸村、あれやってくれんか。あれ」

びくっと身体が震えた。

「あれとは?」
「おぉ、左近は見るの初めてじゃな。さぁ、幸村」

稚児のように信玄はそう言うが、目は本気だ。
幸村は喉が締め付けられる思いだった。
からからに喉が渇き始める。ごくりと唾を飲んだ。

「後ろから兼続殿を支えていてくれますか?」

幸村がそう言えば、ぐったりした兼続を左近が背から抱き締め、上半身を起こさせた。
すぅっと目を開こうとする兼続の顔を幸村は見つめた。ぼうっと眸が、炎を帯たように赤く輝いた。
そして、口開く。

『汝、直江兼続は我の言葉に従え。僕となり、我に仕えよ。我の名は真田幸村。……我の名を呼べ』

身体の奥底から響いてくるような声で幸村はそう述べた。
完全に開いた兼続の眸は幸村の眸と共鳴するように、赤く輝いている。
ゆっくりと口が開いた。

「真田幸村…様…」

左近が手を離せば、兼続は駆け寄るように幸村へと近寄る。
手の甲に口付けると、幸村の唇にも口付けた。貴方に従うという契約。

「で、完了とね」

信玄は、ぽんぽんと手を叩いた。

「何ですか、これは…」

起こった出来事に左近は唖然としている。

「幸村は、誘惑の能力を持っておってな。先ほどのようなことをすれば、相手を操ることが出来てのう。でも、この能力にも欠点があり、誰しもがかかるわけではなく、幸村を心から許した相手じゃなければかからぬのじゃよ…」

言葉がぐさりと幸村の胸に深く刺さった。
そう、心を深く許したものがより早く、より深く能力にかかる。
兼続を見た。目線が合えば、なんでしょうかと笑う。
心の奥深くまで、兼続は能力に堕ちていた。

「わしは幸村の主君の信玄ね。つまり、わしの言葉にも従ってくれじゃろう?」
「はい。信玄様」

兼続は、にこりと信玄に笑いかけた。

「じゃ、あちらに行こうかのう」

兼続の背に手をかけて即す。
すっと、兼続は立ち上がった。

「ど、何処へ行かれるのですか?」

幸村は慌て、そう問う。

「閨じゃよ。宿敵の寵愛はどんなものかと思ってねぇ」
「男を抱く趣味がおありで?」

左近の言葉にいいや?と首を傾げた。
そしてそのまま、部屋から出ていってしまった。

幸村は葛藤した。
兼続は友だ。幸村が上杉で人質であった頃、友になろうと約束した間柄であった。そして、その時より心から慕ってもいた。
だが、信玄は己が尊敬している相手でもあり、主君でもある。
己は、どうしたら良いのかと葛藤した。

「お館様!」

迷っている暇はないと、幸村は信玄の閨へと駆けた。返事がない。

「失礼しますっ!!」

叫ぶと、其処を開いた。

「………」

幸村は言葉を失った。
布団の横に正座し、信玄を待っていたのは兼続だった。だが、先刻とは身形が違う。
卯の花色の女性物の着物に身を包み、唇にはほんのりと赤い紅が塗られた兼続の姿。
幸村と目が合うと、ふんわりと微笑を浮かべた。

「中々、好いのう」

背後から来た信玄がそう言った。
女姿にさせて抱けば、衆道に興味のない信玄でも、女を抱いているのと変わらないと考えたのだろう。
背丈はやはり女に比べれば大きいが、白い肌と唇を染める赤は下手な女より映えた。
愛々しいのうと言葉を並べ、信玄でさえ、最早その気になっている。

「……お館様…」

そこまでして抱く意味は必要ないのではないですかと言いたかったが、言い出せない。

「そうそう。幸村も見ていくじゃろ?」

消え入りそうな声は其の言葉に消された。
ね、と目が威圧する。質問ではなく、命令。
幸村は嘆きたくなるのを堪え、はい…と呟いた。


「やはり、宿敵に寵愛受けてるだけはあるのう」

濃厚な溜息を吐きながら、信玄はそう言った。
突かれる度に唇の赤が色と黒が髪が揺れる。
揺さぶられる友の姿を、愛しい相手の姿を幸村は見つめた。
これは罰なのだと思った。友を操った罪業。
だから、己はその罰をしっかりと受け止めなくてはならない。
快感に身悶える姿を眸に、その嬌声を耳に、しっかりと刻み付けた。

「後は頼んで良いか?」

事が終わると、信玄はさっさと部屋から出て行ってしまった。
一度も脱がされることなかった卯の花色の着物は、どちらのだか解らない白濁にまみれている。
着物の合間から見える臀部に液体が伝う。

布を濡らしてくると、兼続の下肢を拭いた。
独特な匂いが鼻をつく。
兼続にこうした信玄のことは憎いとは思わないが、何も出来なかった己は不甲斐ないと思った。
身体を拭きながら、涙が溢れた。
すみませんと謝りながら、涙を流した。

「幸村様、何故謝るのですか?」

兼続が身を起こした。
動いた拍子にごぷっ、と白が流れ出た。ふぅっと息吐く。

「貴方に悪いことをしてしまった…本心ではないのに」

兼続は頭を振り、涙を手で拭った。
幸村様と名を呼ぶ。

「幸村…と呼んでください」

視線を絡めると、そう言った。
兼続の薄墨色の眸が幸村を見据えた。

「幸村…」

名を呼び終えた同時に、幸村は兼続をその場へと押した。

「兼続殿…」

首にその唇の色と同じ赤い色をつけた。一つ、二つと、つけていく。

「幸村…」

やはり兼続は白が似合うと思った。そして、華のように色づく赤も似合うと。
唇を指で弄る。真朱に指が染まった。

「ゆき…」

名を呼ぼうとした唇を塞ぐと、幸村は兼続を抱いた。









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