恩返し


政宗がその鳥を助けたのは、ほんの気まぐれだった。本来ならば、わざわざ己の手を使い、罠に掛かった鳥を助けることなどしなかっただろう。

助けた鳥は見たこともない、雪より白い羽を持つ、名も解らぬ鳥だった。
罠から助けて貰えたと解ると、礼を述べるように頭を垂れた。そして、橙の空へと羽ばたく。
羽をはばたかせる度、雪のように白い幻影が残った。
空に白い光りが散る。

「美しい…」

言葉が勝手に零れた。

政宗は、その鳥が消えるまで、何時までも見守った。


何ヶ月か経つと、その鳥の事も忘れていった。


ある日、家臣が「新たに家臣として使えて貰いたい人物が居る」と一人の男を連れて来た。
白い肌に白い服を纏った、美しい男だった。

「名は?」

訊ねると、柔らかな微笑を浮かべ「直江兼続と申します」と述べた。
そして、流れるように頭を垂れる。気品溢れる男は、ただ、頭を垂れただけでその場に居る者を魅了した。

その優雅な動きに、記憶の片隅に追いやられた、あの日の鳥を思い出した。

(あれを人間にしたら、こんな感じだろうか)

そんな馬鹿げた事を思い、くくっと笑った。

「いいだろう。わしに仕えよ」

兼続はこの日より、政宗の家臣となった。


政宗は兼続を傍に置いた。
時折、言葉を捜すように話すこと以外は、優れた才気や知識を持ち合わせた、素晴らしい男であった。
二人がより深く関係を持つのに、大した時は必要としなかった。


初めて宵を共にした日、政宗はあの白く美しい鳥の話をした。
其れを聞いた兼続は「その内、恩返しでもあるのではないか?」と言った。

「ないじゃろ。もう、あの鳥も死んでしまってるやも知れん」

そう言って、切なくなった。
あの現を離れたような幻想的な時を、二度と味わうことは出来ないと思うと、急に胸が苦しくなる。

「きっと、何処かで生きているさ」

そう言い、微笑を浮かべた。
兼続の言葉は、其れが真実のように思えた。

政宗は、障子を見つめた。

(空が明らめば、またあの鳥は、何処かの空を羽ばたいているのだろうか)

瞼を閉じれば、其の情景が浮かび上がった。



三月程が経たない内に戦が始まった。
政宗は勿論、兼続も伊達家の人間として其の戦に参加した。

其れは、初めから負けが決まっているに等しい戦であった。
相手は二万五千の大軍、其れに比べ此方は五千にも満たない。

「何故、人は負けると解っている戦をするのだ…」

「誇り迄、失いたくないからじゃ」

ぽつりと言った兼続の言葉に、政宗はそう返した。
政宗の凛々しく、死ぬ覚悟を決めた横顔を兼続は見ると、物憂いそうに目を細める。

「死ぬな、政宗」

兼続は強く言った。
政宗はその言葉に何も返さなかった。

「行くぞ」

そうとだけ言うと、馬を進ませた。


「っ、くっ…」

政宗は敵の軍勢に追われていた。
死ぬ覚悟をしたものの、兼続に「死ぬな」と言われた言葉が頭に残り、死ねないで居た。
兼続の姿を探すが見つからない。

「…兼続も死んだか」

ふっと笑った。
他の家臣もとうに死んでいる。政宗は、一人。
生きていく意味はなくなった。

「っ…」

闇雲に兼続を探したせいで、道を誤った。草陰から出ると、其処は崖。
断崖とも言えるだろう其処は高く、険しく、落ちたら確実に助からない。

「伊達政宗だな!!」

悪く敵兵に見つかってしまった。

政宗はふぅと深い溜息を吐いた。
空へと目線をやった。

(やはり、逢うことは叶わなかったか…)

空に白い羽が飛んでいるのを見る事は出来なかった。

其の時、太陽がちかっと瞬いた。
敵が一瞬、其の光りにやられ怯む。

「貴様らにやる首などないわ!」

にたりと笑うと、政宗は背から其の崖へと倒れた。

背からひゅうひゅうと強い風が吹く。
空は青々としていた。眩い太陽が政宗を照らしている。

(最後に兼続の顔を見たかった)

そう思いながら、政宗は眸を閉じた。

「政宗!!」

突然、声が聞こえた。其方を見れば崖からではなく、横から風を切るように飛んでくる影があった。

「か…兼続…」

其れは兼続だった。
追いつくと、兼続は政宗を抱き締める。

「…お前までも死なずとも…生きておったなら、逃げれば良いものを…」

「お前は私が死なせない!」

「この状況で何・・・・」

ばさっという音と共に、白く輝くものが兼続の背から生えた。
あの日と全く同じ羽だった。

「あの日の鳥はお前だったのか…」

そう呟くと、兼続は目を細め頷いた。


人気のない場所に政宗を降ろすと、兼続は切なそうに笑った。

「お別れだ、政宗」

ぽつりとそう呟く。

「何故だ、わしの傍に居れ!!」

「私は人でないというのに、面白い奴だな政宗は」

「そんなもの、関係ない!」

「私が人ではないと解ってしまった今、もう傍には居れない」

其れが掟なのだと兼続は言った。
政宗は、知らないと突っ撥ねるが、兼続の顔が酷く悲しげになっていくので最後は諦めるしかなかった。

ぷつっと一つ羽を毟ると、政宗に手渡した。

「此れは、政宗の進む道を導いてくれるであろう」

羽を受け取った政宗の手を両手で包み込む。そして、優しく心悲しい口付けをした。

「また、逢えるか?」

政宗が問えば、逢えるよと兼続は笑う。

眩く白い光りが兼続を包んだかと思えば、其処には兼続の姿はなかった。
空を見た。
空には、白い粉を散らしながら羽ばたく一羽の鳥が、太陽へと向かう姿があった。








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