悪夢の話5
「アリババさんは遠くに行っていない?」
「ええ。午前の便をのぞくと、この街から出る航路は全てシンドリアを通らなくてはなりません。いくらなんでも食客としてシンドリアに招かれているアリババ君を彼らが連れてくるとは考えにくいです。また、魔法のじゅうたんのような特別な移動手段があったとしても、この人混みの中でそれを使えば少なからず騒ぎになります。よって、そういった騒ぎがないとなると彼らはこの街か、近くに潜伏していると考えられます」
モルジアナが説明した話を聞いて、ジャーファルが状況の整理をした。
増援が見込めた瞬間、アリババを探しに行こうとしたモルジアナを留めての話だった。
「じゃあアリババ君は近くにいるんだね!」
「そうゆうことになるな」
「俺たちは街の警備に話を聞いてみる。終わってから捜索するが、先にアラジンとモルジアナは怪しそうな場所を調べてくれないか」
「わかりました。私は……戦った場所からアリババさんのにおいを追ってみます」
陽も沈みかけ、空は夕暮れに包まれつつある。完全に夜を迎えてしまえば人探しは困難になるから、一刻を争っていた。
「アラジン。私の背中に乗って」
「うん」
「しっかりつかまっていて下さい」
アラジンを背に乗せると、建物の上へとモルジアナは駆け上がった。建物と建物の屋根を飛び越え、一直線に男達と戦った場所を目指した。
――なんだろう、この嫌な感じ。
アラジンがいて、シンドバッド達にも会うことができて、最初に想定していた状況に比べれば、状況は明らかに良くなっている。シンドリアに一度戻って応援を頼む必要もなくなったし、アラジンと二人でアリババの足取りを追うこともできている。アルサーメンとの再戦となれば、合図を出せばシンドバッド達が応援に駆け付けてくれるだろう。
そのはずなのに、モルジアナの胸に渦巻く嫌な予感は一向に収まらなかった。それどころか焦りだけが増してくる。
――早くアリババさんに会いたい。
会って、アリババの笑顔を見ることができれば、この嫌な気持ちも晴れるような気がした。
「モルさん。アリババ君は無事だよね」
モルジアナの胸中を見透かしたように、アラジンが背中で呟いた。
――そうだ。アラジンも不安なのに、私が不安をあおってはいけないわ。
「ええ、無事に決まってます」
自分に言い聞かせるように、モルジアナは答えた。
街のはずれに辿りついたモルジアナは、そのままアリババの匂いを追って走っていった。彼らも人通りの多い所を通っていない為か、足取りを探るのはモルジアナにとっては容易だった。
――ジャーファルさんの言った通りだわ。
足取りは街の外周に沿うように移動していた。足取りは船着き場には向かっていない。その反対側――、船着き場から一番遠い建物を目指しているようだった。
何度目かわからない街の角を曲がって、モルジアナは足を止めた。
辿りついた場所は爛々と燃えていた。
その燃え盛っている場所にアリババのにおいは続いていた。モルジアナは、アリババのにおいに混じって、別の嫌なにおいを感じ取っていた。
建物の火事は人を呼ぶ。
モルジアナ達がその場所に辿りついて間もなく、街の警備兵やシンドバッド達もその場所にかけつけた。
アラジンが魔法で水を呼び、炎が消し止められ、奥へと進んだときに人々が見たのは、黒く焼け焦げたいくつもの死体の山だった。
奥へ進めば地下に隠されたコロシアムとその中心でうずくまっていた青年と子供が助けられた。子供を守るように青年は子供を内に抱き抱えていた。さらに地下へ進めば、檻に閉じこめられた奴隷の子供たちがいた。彼らもまた炎の手を逃れることができたらしい。皆無事だった。
あの場所で何があったのか、モルジアナはまだアリババに聞いていない。
モルジアナとアラジンが建物の地下でアリババを見つけた時、彼は血まみれで気を失っていた。薄暗くて、一瞬彼が生きているのか死んでいるのかわからず、ぞっとした感情がモルジアナの中を駆け抜けたことは今でも覚えている。
顔が判別できる死体から、あの場所で大量に死んでいたのは性質の悪い悪徳商人や武器商人、奴隷商人、または盗賊達であったことがわかっている。闇商人らの会合が街のどこかしらで行われているという噂はあった。ただその場所は判然としておらず街の領主も取り締まりに手をやいていた、という話らしい。
――その割には、あっさりと私達を返してくれたけど。
本来ならその場所の生き残りになったアリババを始め、奴隷の子供達は事件の重要な参考人だ。けれども、領主は簡単な事情聴取をそこそこに、アリババのシンドリアへの帰島を認めた。また、身寄りのない子供達の保護を申し出たシンドバッドの申し出も認めた。見送りはあるものの事件はこれでおしまいといった印象をモルジアナは受けた。領主はこれ以上事件のことも、その場所のことも蒸し返されたくないようだった。
街の領主がその場所のことを知っていたのか、知らなかったのか。行動が示しているようなものだった。
――すっきりしないわ。
シンドリアに戻ったのは事件の翌日の夕方だった。瞬く間に夜になり、食事の後、後は眠るだけなのだけれど、モルジアナはすぐに部屋に戻る気になれず、王宮の廊下を歩いていた。
満月の夜だった。宵闇に散りばめられた満天の星空に、本来ならば美しいと感嘆の声の一つでもをもらすのだろう。どうしてもそんな気になれず、モルジアナはため息をつく。
――アリババさん。
モルジアナはただアリババのことが気にかかった。
アリババを助けてからろくに話もしていない。話はしていないけれど、モルジアナはアリババのことをよく見ていた。今朝会った時には昨晩アリババが一睡もしていないことはわかっていたし、船着き場で落としていた彼の短剣を手渡した時に彼の表情に走った怯えの色にも気付いていた。
何かはあったのだ。それをアリババはまだモルジアナ達には話していない。
話を聞けないことがもどかしかったし、話を聞くタイミングもモルジアナは逃していた。
モルジアナが王宮を歩き始めてからどれくらい時間が経ったのかはわからない。気付けば寝室から随分遠い人気のない場所を歩いていた。つき当たりの階段を上がれば、この建物の屋上だった。
遮るものがなくなった空にぽっかりと先程見上げた満月が浮かんでいた。その下に、一人佇んで海を眺めている人がいた。
「アリババさん」
「……モルジアナか。どうしたんだ、こんな夜遅く」
「それはアリババさんも同じですよね」
「はは、そうだな」
それだけ言って言葉は途切れてしまった。元々モルジアナは会話が得意じゃない。
言葉を返す代わりにモルジアナも横に並んで、アリババが眺めていた海に視線を落とした。空をそのまま映した海に、満月が揺らめいている。
言葉を探して黙っていると、先にアリババが口を開いた。
「わるかったな」
「え?」
「俺が祭りに行こうだなんて言いださなければ、こんなことに巻き込まれなかったのにな」
「……それはもう起きてしまったことです。気にしないでください」
「起きた、こと、か……」
また言葉が途切れた。アリババの横顔を見れば、また何かを後悔しているようだった。
なんて言えばいいのかモルジアナにはよくわからなかった。だから、一番気になっていたこと、知りたかったことを言葉にした。
「その、何があったんですか」
むせかえるような血のにおい。
生暖かかく粘りけのある真っ赤な液体に視界が赤く染められていく。
腕を掴んでいた手は力をなくして、地面に落ちた。
『終了〜。五つ目の鐘、五つ目の鐘まででございます!』
「お兄ちゃ〜〜んっ!」
子供の泣き叫ぶ声と場内の歓声が入り交じりながら響いていた。たいまつが醸し出す熱もありコロシアムは異様な熱気に包まれている。が、アリババの意識は外にはなかった。
血塗られた自分の手と、喉元をかききられ事切れた目の前の少年。むせかえるほどの鉄のにおい。広がっていく血だまりにひざをついて呆然としていた。
自分が何をしたのか、アリババはわかっていた。けれども、少年の最期の叫びと目の前の少年が繋がらない。わかってはいたが、認めたくなかった。吐き気がこみ上げ口を押さえようとして、顔と手に感じたぬるりとした感触に戸惑った。自身が、手も服も顔も、血に濡れていない所などないのだと、気付いた。
『おやおや、少年の妹はどうやら兄の元へ行きたいようです! それならば! 兄の元へ生かせてあげるのが人情と言うものでしょう!』
芝居がかったナレーションに、笑い声が場内で響いている。のろのろとアリババが顔をあげれば、視線の先には檻から出された子供がいた。出された子供がすぐ側にいた大男に掴みあげられる。嫌がった子供が暴れても、男はびくともしなかった。
「……何を?」
する気なんだ、と続きの言葉は飲み込まれた。
男の手が子供を足場のない場所に、ゆっくりと――場内の観客に見せびらかすように移動する。血のぬかるみに短剣を手放し、アリババは立ち上がった。
「お、おい……。やめろよ……」
彼らが何をしようとしているか、すぐにわかってしまった。足が駆け出す。
「やめろ―――っ!」
叫び声があがるのと、大男の手が子供から離されたのは同時だった。
それからの記憶はおぼろげだった。
怒号と悲鳴が飛び交っていた気もする。血のにおいもひどかった。あとは、もっと嫌なにおいだ。人間の血や肉が焦げるにおい。
建物に火の手が回るのも遅くなかった。いつ火の手があがったかも覚えていないが、苛烈で大きな炎だった。まるで生き物のように動いていた。コロシアムの観客や仕切っていた人間を選んで、焼き尽くしていたような気がする。
生き残ったのは、俺とつかまって殺し合いをさせられていた子供たちだけ、だったんだろ? 他の連中はみんな死んだって聞いた。ただ、俺をそこにつれていった奴らは死んだのか、どこにいったのかはわからないけどな。
でもさ、おかしいだろ。あれだけ炎なのに焼け死なないなんて。他の連中は死んだのにさ。たいまつはあったけれど、それがあそこまで大きな炎になるか? 何かの魔法だって、思う方が自然だろ。
「だから――あれは俺がやったんだと、思う」
意識はあまりないと言いながらも、アリババはあの炎を自分の操ったものだと言った。
――あの瞬間確かに俺は。
あの場所にいる連中が憎いと思った。観客もこのバカげたショーを仕組んだ連中も何もかも。放り出された子供に手を伸ばして、衝撃を感じてからの記憶がアリババにはない。それこそ、本当にぼんやりとしている。その子供は無事だと聞いて、アリババは心からほっとしていた。あの時伸ばした手が届いていて本当によかった。
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