「ーーーーーあっ…、」




授業中、不意に動かした腕が消しゴムに当たり、それが机から落ちる。使い始めて間もないそれは、形が整っているためか、遠くまで転がることなく、近くの床で静止した。




ちょうど黒板に書かれた公式の一部を書き間違えたところで、予備も持っていないため、あの消しゴムを拾わないとどうにもならない。自業自得と言えばそうだが、それでもやはり億劫で、軽くため息を吐く。




仕方なく、椅子に座った状態で体を屈めて、消しゴムに向かって腕を伸ばす。手が届きかけたその時、俺の手に誰かの手が触れた。




「…………………?」




視線をその手に沿って巡らせると、隣の席に座って、俺と同じように屈んでいる彼女と目があった。ぱちり、効果音をつけるならば、それが適していると思う。




大して親しいわけでもない、くじ引きで決まった席で、偶然隣になっただけの彼女。手が触れて驚いたのか、その瞳は戸惑いに揺らいでいる。




「…ごめん、」




か細い声で謝られて何も言えずにいると、少しだけ触れていた手が離れて、彼女は姿勢を正し、再び黒板の方を向いた。俺もそれに倣うように、黙って消しゴムを拾い上げ、姿勢を正す。彼女の手が触れた部分だけ、なんだか熱くなった気がする。どういうことだろうか、これは。




「ーーーーーで、この公式は…」




夏黄文先生の説明が教室に響く中、今しがた手が触れた彼女がいる方をちらりと盗み見る。




一見ぼーっとしているように見えて、その目はまっすぐに黒板を見据えていた。長い髪の毛を耳にかけて、右手はノートにペンを走らせている。




ーーーーーふと視界に入った左手の薬指には、シンプルなデザインの指輪が嵌められていた。




それは恋人がいることの証、所有の印のようなもの。近頃の恋人たちは、何故そういうものを好むのか。俺には理解できない。他人にそういうものを見せつけて、何の意味があるというのだろう。




「…ねえ、」




自分に向けてかけられた声にはっとすると、黒板を見つめていたはずの瞳が俺をまっすぐに映していた。それは紛れもなく、隣の席に座っている彼女で、先刻と同じように戸惑いに揺らいでいる。




「何かついてる?わたしの顔。」




「……………………?」




「そんなに見られたら、気になるよ。」




ふわ、と彼女が笑う。むしろ苦笑、とでも言った方がいいのか。その何とも言えない表情に、俺の心臓は鼓動を速める。




「…いや、特に何も…」




「…そう?」




ゆるりと首を傾げながら、俺から視線を外して再び前を向く。窓から入り込む昼下がりの優しい陽射しに照らされた横顔は、俺が言うのもなんだが美しかった。




「…あんまり、親しくない女の子をじろじろ見ない方がいいよ。」




「…え…」




「君の視線は、痛いから。」




前を向いたまま、俺をその瞳に映さないままで、彼女はぽつりと言った。その口調はどこか寂しげで、胸の辺りが軋んだ。俺を見て欲しい、なんてどうしようもない考えが浮かぶ。




「…永藍、」




クラス名簿で見て知っていただけの、隣の席の彼女の名前を思わず呟く。何だ、何がしたいんだろうか俺は、こんなことをして何になるというんだ。脳内を駆け巡る思考とは裏腹に、視線は彼女の姿を捉えて離さない。




今度は視線だけでこっちを向いて、苦笑しながらそっと言葉を発する。




「どうしたの?練くん。」




その左手にある指輪は、先刻と寸分違わぬ輝きを放っていた。















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