「…はあ…」
今日は土曜日なのに、緑化委員の当番で学校に水やりをしに来ている。
昨日たくさん泣いたせいか、瞼は赤く腫れてしまっていて、他の人に会うのは恥ずかしかったけど、幸いにも今日の当番はわたしだけ。
グランドから聞こえる部活の掛け声をバックミュージックに、のんびり水やりをすることができそうで安心しきっていた。
「―――――フロラ、」
ホースから溢れる水飛沫をぼんやり眺めていると、背後から声をかけられた。
今日はあんまり人に顔を見せたくないのに、なんて思いながら振り返ると、
「…マス、ルール…?」
そこにいたのは、昨日のわたしの涙の原因である、マスルールその人だった。
急に現れた想い人に、蘇る昨日の光景にはっとして、思わず俯いて目を伏せる。
「…どうしたの、マスルール。部活?」
「ああ、」
「そう、なんだ…休憩中?」
「もう終わった。」
「そっか…。」
そこで話が途切れたけど、マスルールは何も言わない。それなのに、じっとこっちを見ている視線だけを感じた。…話すことないなら、正直どこかに行ってほしいんだけどな。顔だって見られたくないし。
「…昨日、」
「え?」
「どうして、泣いてた。」
「―――――!」
驚きと羞恥が一気に混ざり合って、かっと顔が熱くなる。…だって、見られてたなんて、気づかなかった。
「あ、れは…別に、なんでも…」
なんでもない、って言いたいのに、何故か唇は戦慄いて、うまく言葉を紡げない。手に持っていたホースが地面に落ちて、乾いたコンクリートを冷たく濡らした。
「…ジャーファル先輩が、好きなのか。」
「―――――!ち、違っ…」
思わず上げてしまった顔、マスルールは思っていたよりもずっと近い位置にいて、驚きで自分の目が見開く。
「…わた、しは…」
視界に映るマスルールは、やっぱりいつも通り無表情。本当に何を考えてるのか、何をどうしたいのか、わたしにはさっぱりわからない。でもわたしは、そんなマスルールが、
「わたしが好きなのはっ…マスルールなのにっ…。」
わたしの唇からこぼれた言葉に、マスルールは少しだけ驚きの色を灯す。それを認識した瞬間、わたしの目には涙が溜まって、昨日と同じようにぼろぼろと落ちていった。
「…フロラ、」
「単純って思うかもしれないけどっ…何も言わずにテキスト運んでくれて、お菓子くれて、本当に嬉しくて…自分でも気づかないうちに、マスルールのこと好きになってたの…。」
ああ、わたしのバカ、何を言ってるんだろう。告白する気なんかさらさらなかったのに。特に昨日あんな場面を見たから尚更。
自覚したのだってジャーファル先輩やシエナちゃんがいたからだし、わたしはまだまだマスルールのこと知らない。なのに好きだなんて、なんて都合のいい話なんだろうか。でも今さら言ったことを取り消すこともできない。
「…俺は…」
見上げるほど高いところにあるマスルールの口から、ゆっくり言葉が紡がれる。
「俺の方が、先だった。」
「…へ?」
「俺の方が、先にお前を好きになったんだ。」
「…え…」
マスルールの声は耳から頭に響いて、脳みそが言葉の意味をさらう。…だけど、なんだかいつも以上に回転が遅くて、理解が追いついてくれない。
「テキスト運んだのは、俺を少しでも見てほしかったから。菓子を渡したのは、それを食べて喜ぶお前が見たかったから。」
「…マス、ルール…」
「…昨日、中庭から二階の廊下が見えて、ジャーファル先輩の前で泣いてるお前を見つけた。」
マスルールの大きな手のひらがわたしの頭に乗って、ぎこちなく頭を撫でてくれた。
「いやだった、すごく。泣くのも笑うのも、俺のためであってほしかった。泣いたお前を慰めるのも、本当は俺がしたかった。」
「………………………」
マスルールのまっすぐな瞳がわたしを映している。その中に、いつもは気づかなかった優しさが見えて、胸がきゅうっと締め付けられた。
「…バカっ…」
きっとマスルールは、昨日わたしが泣いていたのが自分を想ってのことだなんて、夢にも思ってないんだろう。
でも、それでもいい。気づかないままで、ずっと知らないままでいいんだから。
「…もう一回、好きって言って。」
「…好きだ、」
「もう一回、」
「…愛してる、フロラ。」
甘く響く低音が耳元で囁かれたかと思うと、わたしの体は一回り近く大きいマスルールに包まれた。部活の後だからか、少しだけ汗の匂いがする。だけどそれが不思議と愛しくて、嬉しくて仕方なかった。
「…わたしも、マスルールが好き…」
さあ、と吹いた風が、わたしの目尻に残っていた涙をさらって行った。
想い伝える土曜日