「恋…これは、恋…」
昨日ジャーファル先輩に言われた言葉が、ぐるぐる頭を回り続ける。
考えたことなかった、自分が恋をするなんて。しかもあんな些細なきっかけで、こうも簡単に。
何と言うか、つくづくわたしは単純で現金な思考をしてるんだなあ、なんて思った。
(助けてもらって、お菓子もらって、その人を好きになるなんて)
「…あ、」
一人で考えを巡らせていると、窓の外、中庭にマスルールがいるのが見えた。
たった今まで自分の脳内を占めていた人が視界に入って、心臓が騒ぎ出したのがわかる。
「…恋…」
ぎゅ、と胸辺りの服を掴んで、高鳴りを抑えるように手を押さえつける。
この気持ちは、恋。
彼に助けてもらって嬉しかったのも、お菓子をもらって嬉しかったのも、わたしが彼に恋をしてるから。
「マスルール…」
ここは二階だから、いつもは見上げていたはずの彼を、今は見下ろしている。見たことない角度から見るマスルールはなんだか新鮮で、また心臓が一際大きく跳ねた気がした。
どくり、どくり、騒いでいるその音を振り払うように首をぶんぶん横に振って、もう一度マスルールに目を向ける。
「―――――あ、」
だけど、再び視界に入った彼は一人じゃなかった。きれいな顔立ちの、彼と同じ髪色と切れ長の瞳を持つ少女が隣にいる。たしかあの子は、リセちゃんと仲良しの一年生の子、だった気がする。
「……………………」
ずきんっ、と鈍い音を立てて、心臓が痛む。だって、あの子は可愛くて、マスルールと並んでも、なんだかお似合い、で、
「…フロラ?何してるんですか?」
その光景を見たまま呆然と立ち尽くしていると、後ろから肩を叩かれた。呼ばれたことに気づいてはっと振り向くと、そこにいたのはジャーファル先輩。わたしの顔を見ると、先輩の表情はどんどん驚きに変わっていく。
「何故、泣いているんです?」
「…え…」
かけられた言葉に驚いて瞬きをすると、両目から涙がぼろぼろと落ちていくのを頬に感じた。右から、左から、両方から、とめどなく流れていくそれは、少しだけ開いた水道の水のように際限なく出てくる。こぼれた涙で濡れた頬が、窓から入ってくる外気でひんやり冷たくなった。
「…っ、あ…先輩、わたしっ…」
マスルールがくれたお菓子の甘さが、マスルールがくれた優しさが、彼らしいぶっきらぼうな態度が、いつも通りの無表情が、たった今見た女の子と話している姿が、頭の中で溶け合ってぐちゃぐちゃに混ざる。
「どうして…っ、」
何がこんなにも悲しくて、悔しくて、やるせないのか、自分でもわからない。わからないのに涙は溢れて止まらなくて、声にならない嗚咽ばかりが喉から鳴り響いた。
「…フロラ…本当に何が…」
ジャーファル先輩が駆け寄ってきて、さっきまでわたしが見ていた窓の外を見やった。その顔は一瞬だけ驚きに染まり、すぐに呆れを含んだものに変わる。
「本当に…あなたたちは…」
ため息を吐くようにそう呟いてから、ポケットを探ってハンカチを取り出し、使いなさい、って言ってわたしにそれを差し出した。
「ありがとう、ございますっ…」
素直に受け取って、そっと目に当てると、柔らかいハンカチの生地に涙が染み込んでいく。
「…マスルールも、なかなか罪作りですねえ…」
ジャーファル先輩の呟きはわたしに届くことなく、静かな廊下にそっと響いた。
「先輩…わたしっ…」
「はい?」
「わからないんです…なんでこんなに悲しいのか…どうして泣いちゃうのか、自分でもわからなくてっ…」
「…わかりましたから。あなたが言いたいことはわかりましたから、気が済むまで泣きなさい。」
ジャーファル先輩の手のひらがわたしの頭に乗って、優しく撫でられる。その感触にまた更に涙が溢れて、少しだけ声を上げて泣いた。
―――――目と耳のいいマスルールが、それを見て、その声を聞いているとも知らずに。
嫉妬する金曜日