※ちょっとだけ最終巻のネタバレ有り
「…士道、」
「ん?」
「髪、伸びたね。」
部活後のいつもの帰り道、ふと足を止めたなまえが、突然そんなことを言い出した。別に伸ばしていたとかではないが、たしかに最近切っていなかったかもしれない。右手を後頭部にやると、明らかに前より指を通る感触が長い。
「…伸びたな、たしかに。」
「その様子だと、気づいてなかったみたいだね。」
ふわ、と柔らかく笑って、細い指で俺の髪に触れるなまえ。自分で触った時よりも心地よく感じるのは、こいつが丁寧に触れているからか、俺がこいつを好きだからか。恐らく両方だと思うが。
「邪魔じゃないの?」
「…あまり意識していなかったな。」
「…まあ、士道らしいといえば、らしいけど。」
ふわふわと髪を梳いていた手を止めて、おもむろにじっと見つめてくる。逸らす理由もないから、とりあえず俺も見つめ返してみる。
「…ねえ士道、」
「ん?」
「…これからもずっと、剣道のことを一番に考えててね。」
「…なんだ、突然。」
「…こんなこと、わたしが言える立場じゃないのはわかってるんだけど…」
そこで言葉を切って、俯く。少しだけ低い位置にある頭が、ひどく悲しげに見えた。
「誰かのものになんて、ならないで…。」
呟かれた声は、泣きそうに揺れていた。きっと表情も、泣きそうなんだろう。それほどに切実な、胸を締め付けるこいつの想い。
「…なまえ、」
そっと手を伸ばして、頬に手を添え、ゆっくり顔を上げさせる。案の定と言うべきか、泣きそうに潤んだ瞳が俺を映して揺れた。
「…たしかに剣道は、俺の全てだ。剣が握れない俺なんて俺じゃないと思っているし、そうなることなんて考えたくもない。」
「…うん、」
「だが…俺には剣道と同じくらい、お前が必要だ。」
「…しど…」
「お前と剣道を比べるなんて、馬鹿げているとは思う。ただ、わかってほしい。一番とか二番とかじゃなく、俺にはどっちも大切なんだ。」
両腕でそっと、小さななまえの体を抱きしめる。一年前とは違って、左手は痛まない。ようやく両手で、思いきり抱きしめられるようになったんだ。
「誰かのものになんて、ならない。」
「うんっ…」
「剣道ができて、お前がいれば、それだけでいい。俺は生きていける。」
「士道っ…。」
「だから、俺のそばにいろ。」
「…うんっ。」
腕の中で力強く頷いて、俺を見上げるなまえ。その瞳にはもう、涙は滲んでいなかった。
「…ずっと、士道のそばにいる…。今までもこれからも、士道だけが好き。」
「…ああ、俺もお前が好きだ。」
そっと身を屈めて口付けると、なまえが俺の後頭部に手を伸ばして、髪に指を絡めたのがわかった。
ふたりの願い事
Title by:休憩