練習後のグラウンド、夕日も沈みかけてほのかに暗くなった空。足元を転がるサッカーボールへと視線を注ぎながら、目の前の彼に弱々しく一言。
「凰壮くんが、好きです。」
震える声で、だけど自分の声でしっかりと伝えた思い。心臓がじんじん痛くて、凰壮くんの答えを聞くのに期待と不安が一緒になってぐるぐる胸を渦巻いている。
イエスでもノーでもいいから、早く答えが欲しい。この時間が怖くて仕方ない。自分はこんなに臆病だっただろうか。それとも凰壮くんを好きになってから臆病になってしまったのか、わからないけれど。
短く切られた爪が手のひらに食い込むほど拳を握りしめて、凰壮くんの声を待つ。空はさっきより、少し暗い。
「…お前、マジで言ってんのかよ。」
その一言に、泣きそうになるくらい胸がざわついたのを覚えている。断られるのか、当たり前か、なんて考えていたけれど、凰壮くんの答えはわたしの予想を遥かに上回った。
「別に俺じゃなくて、虎太でも竜持でもよくね?なんで俺なんだよ。」
たぶん凰壮くん的には、その後に、めんどくせえ、と続けるつもりだったのだろう。だけどそれは叶わなかった。
頭が真っ白になったわたしが、彼の顔面に鮮やかな右ストレートをかましたからである。
ーーーーーそれが、つい昨日の話。
「うああああああああ…」
サッカーボールを抱きしめながら、その場にしゃがみ込む。なんてことをしてしまったんだ、自分。ありえない。よりにもよって凰壮くんを殴ってしまうなんて。
どの面下げて彼に会えばいいのかわからない。殴り返されるかもしれないし、二度と口をきいてくれないかもしれない。あああああどっちにしても辛い。フラれてぎこちなくなる方がまだマシだ、とさえ思う。
「なまえちゃん?何しとるん?」
「エ、エリカちゃん…!」
グラウンドのど真ん中に蹲っているわたしを心配してくれたのか、エリカちゃんが声をかけてくれた。なんて優しいんだエリカちゃん、泣きそうだよわたし。
「なまえちゃんがこんなに早いなんて、珍しいやん。もうみんな来るで?」
「!」
そうだった、わたし頭がぐるぐるし過ぎて、一時間前に来てたんだ。それでボール蹴って落ち着こうとしてた、はずなのに、
「う…うううううう…」
落ち着くどころか、ますます頭がぐるぐるしているじゃないか。なんだこれ、わたしにどうしろと言うんだ。一時間何してたんだよ、わたしのばか。
「エリカちゃあああああん!」
「うわっ!どうしたん!?」
限界だ、むしろ限界は突き破った。もうダメ、考えられないし考えたくもない、パンクする。
そう思った途端、弾けたように涙が溢れて止まらなくなって、ちっちゃい子みたいにわんわん泣き喚いた。当然ながら、理由のわからないエリカちゃんはオロオロしている。
「うっ、ひく、もうやだあ…!う、えええええええええ、」
「なまえちゃん、ちょ、一回落ち着き?大丈夫やから!」
エリカちゃんごめん、急に泣き喚いて。でも大丈夫じゃないの、何も大丈夫なんかじゃない。なんで昨日告白なんかしたんだ、なんで凰壮くんはあんなこと言ったんだ、なんで、なんで、
ーーーーーなんで俺なんだよ。
昨日のめんどくさそうな凰壮くんの声と表情が、頭にくっきりと蘇る。むかつく、何これ。なんで俺なんだとか、それこそなんでなの。好きになっちゃいけないのか、凰壮くんのばか。
「うっ、うわああああああああああん!」
涙はもう止まらなかった。止め方をわたしは知らなかった。だって泣くことなんて、今まで12年間生きてきて、数えるほどしかなかったから。赤ちゃんの時はわからないけど、物心ついてからのわたしは、それはそれはたくましく育ったと我ながら思う。
でも今は、それが仇になった。泣き止み方がわからないのだ。これは困った、どうしよう。このまま泣きっぱなしで水分が枯れて、いつか死んでしまうんじゃないかとさえ思えてくる。やだそんなの、そんなことになったら凰壮くん呪ってやるんだから。
「…るせーな、ギャンギャン言ってんじゃねーよ。」
気怠そうな声と、頭に乗っかった何かあったかいもの。この声、知ってる。なんせわたしが泣いてることの原因の人の、それだから。
「凰壮くん!」
「高遠、悪い、こいつ借りる。」
着ていたシャツの襟を掴まれて、無理矢理に立たされる。わたしの涙と鼻水で濡れたボールが、ころりと地面に転がるのが見えた。
「…や、やだあ、エリカちゃ、う、うあああああ!」
「うるせーんだよ、泣くなブス。」
「ひう、…う、うううううう…」
ひ、ひどい、ブスって、好きな人にブスって言われた。わたしだって女の子だぞ、人並みに傷つくんだぞ。
心の中でいくら悪態をついてみても、凰壮くんに届くはずはなく。そのまま襟をぐいぐい引っ張られて、ひと気のないところに連れ出された。
「う、…ぐずっ、」
「…………………」
「な、何よお…」
「…お前、昨日はよくもやってくれたな。」
押し殺したような低い、唸るような声。泣きながら顔を上げると、凰壮くんの右ほっぺは少し赤くなって腫れている。
「…え、」
「…なんだよ、」
「わたし、叩いたの左…」
「…こっちは虎太にやられた。」
凰壮くんの言葉に、ギョッとする。虎太くんは熱血だけど、意味なく兄弟に手を上げたりなんかしないはずだ。一体何がどうなって、そんなことになってしまったんだ。
わたしはテンパりながらも、とりあえずポケットを探る。練習着なのでハンカチもティッシュもなくて、出てきたのは絆創膏一枚。それをとりあえず開封して、生々しく切れている口元に貼ってあげた。
「…な、んだよ…何すんだよ…。」
「だ、だって…痛そうだったから…。」
慌てて手を引っ込めようとすると、凰壮くんにその手をガシッと掴まれる。びくり、体が跳ねて、止まりかけの涙がするっとほっぺに滑り落ちた。
「…なんで、俺なんだよ。」
昨日と同じ問いを、される。なんでって言われても、困るのに。理由なんかない。凰壮くんだから好きなのに、何がいけないんだ。
「…竜持はお前のこと可愛いっつってたし、虎太もお前のこといい奴だって褒めてた。」
「…え、」
「俺なんか特にお前と仲良いわけでもねーし、」
「…あの、」
「俺より虎太か竜持の方が、お前のためにもいいと思ったから。」
「えっと、」
「それに、兄弟で取り合うなんてめんどくせえと思って、だから、」
掴まれた手が、さらに強く握られた。痛いよ凰壮くん、手が潰れちゃうよ。
「…なんで、俺なんだよ。答えろよなまえ。」
くるくると、頭を廻る凰壮くんの言葉。結局何が言いたかったのか、何がいけなかったのか、わたしにはわからないままだ。でも、きっとわたしが言うべきなのは、
「…褒められたいから、凰壮くんを好きになったんじゃないの。」
「…………………」
「たしかに、虎太くんと竜持くんは、凰壮くんとそっくりな顔してる。でも違うんだよ、わたしにとって凰壮くんは一人だけなんだよ。なんで俺なんだ、って聞かれても困るの。凰壮くんじゃなきゃダメなんだよ。いくら顔が似てても、いくら口が悪くても、凰壮くんがいい。」
止まらないと思っていた涙は、気づけば止まっていた。干からびずにすんで、少しだけ安堵。空いた手でほっぺに流れた涙を拭おうとすると、それより早く凰壮くんの唇が目元に触れた。
「…っ、おうぞ、」
「バカだろ、お前。」
呆れたように、だけど優しい声音で囁かれたその言葉は、胸の奥にじわりと染み込んだ。凰壮くんに触れられたところから、徐々に熱くなっていくような気がする。
「…素直に虎太か竜持にしときゃいいのによ。」
「だ、だって…」
「わかったよ、俺がいいんだろ?」
「ーーーーーっ!」
その通りなんだけど、はっきり本人に言われると、なんだかすごく恥ずかしい。ぎゅっと目を瞑ると、包むように何かがわたしの体を捕まえた。あったかくて、いい匂いがする。なんとなく目を開けなくてもわかるけど、ダメだ、今その状況を目の当たりにしたら、恥ずかしくて死んでしまうかもしれない。
「なあ、もう一回言えよ。」
「…な、にを…?」
「昨日みたいに、俺が好きだって。」
ああダメだ、もう爆発しそう。思考も体もひたすら熱くて、どうしようもない。凰壮くんのせいだ。
「…凰壮くんが、好き。」
それでも震える声で、昨日と同じように同じセリフを紡ぐわたしは、とことん凰壮くんに敵わないのだと思った。
「…俺も、なまえが好きだ。」
頭上から聞こえる楽しそうな声。絶対今凰壮くん笑ってるんだ、と感じ取れる。なんでわたしばっかりこんなに余裕がないの、本当にわたしのこと好きなの、ああもうやだ、なんか悔しい。
「おい、顔上げろよ。」
「え、な、なんで、」
「いいから、」
言われて、恐る恐る目を開けて顔を上げる。なんとなく普段より優しい凰壮くんの目が、わたしを映して細められる。
「泣いてんじゃねーよ、ブス。」
「も、もう泣いてない。」
「さっきギャーギャー泣いてたじゃねーか。」
「…凰壮くんの、せいだもん。」
「あっそ。俺は虎太や竜持みたいに、優しく慰めたりしねーからな。」
「…いいよ、別に。」
口が悪いのなんか知ってる、ぶっきらぼうなことなんかわかってる。でもほら、ぎゅってしてくれてる腕とか、わたしを見つめている瞳とか、言葉がなくても伝えてくれるものはたくさんあるから。
ねえ、わかってるのかな。わたしはあなたの、そういうところを好きになったんだよ?
「…ったく、虎太に殴られて損したぜ。」
「…そういえば、なんで殴られたの?」
「昨日のお前からの告白の話したら、竜持からは"凰壮くんサイテーですね"とか言われて、虎太からは"何なまえ泣かせてんだよ"って殴られた。」
「(虎太くんマジ天使)」
非公式少年少女
Title by:サンタナインの街角で