なんやかんやあって、急遽我が家にお泊まりすることになった芭蕉先輩。いや、嬉しいから全然いいんだけどね。わたし的にはいつでもウェルカムなんだけどね。
芭蕉先輩が食べたいと言ったオムライスを作り、二人で食べて(新婚さんみたいですねーって冗談で言ったら、黙って食えって怒られた)、お風呂にも入って(これまた冗談で、一緒に入ります?って聞いたら、無視された)、さあ後は寝るだけ!という感じです、はい。
「先輩、ベッド使います?わたしお布団でも大丈夫ですけど。」
「は?布団なんか敷かなくていいだろ。」
「え、」
ま、まさか芭蕉先輩…わたしに床で寝ろとおっしゃるのか…?いや、やってやれないことはないんだろうけど、体痛くなりそうだし、布団あるんだから敷いて寝るに越したことはないというか…。
「いやでも先輩、やっぱりその、床で寝るのは流石に…。」
「何ごちゃごちゃ言ってんだよ、さっさとベッド入れ。」
「う、えぇ!?せ、先輩…う、嘘でしょ?」
まさかまさか、芭蕉先輩が床で寝るっていうのか。あのわがままで頑固な先輩が、わたしにベッドを使わせてくれて、あまつさえ自分は床で寝るだなんて、そんなこと…!
「嘘じゃねーっつの、早くしろノロマ。」
「ひゃう、」
どん、と突き飛ばされて、半ば強引にベッドに横たわらされたわたし。スプリングの反動で、体がちょっとだけ浮いた。なんてことするんだ、先輩ったら。…いや、痛くはないから別にいいんだけど。
「おら、もっと詰めろ。」
「え、あ、え?」
部屋の明かりを消して、ベッドサイドの間接照明をつける先輩。そしてなんと、わたしが寝ているベッドに、芭蕉先輩が乗り込んでくるではないか。こ、これは…まさかの一緒に寝るパターンですか?そうなんですか?
「せ、狭いですよ?先輩。」
「…嫌ならお前が降りろ。」
「い、嫌じゃないですけど…てゆか、わたしのベッドですしこれ。」
同じベッドで寝るなんて考えもしなかったし、シングルベッドだから少し狭いけど、大好きな芭蕉先輩とだもん、嫌なはずなんかない。
「先輩、」
「あ?」
「狭いから、もうちょっとくっついていいですか?」
「…好きにしろ。」
先輩の返事を聞いてから、その胸に寄り添うようにぴたっとくっつく。お風呂上がりだからか、芭蕉先輩はあったかくて、いい匂いがした。いつもの匂いとは違う、石鹸みたいな爽やかな匂い。
「…先輩、いい匂いします。」
「…シャンプーとかの匂いだろ、たぶん。」
お前だっていい匂いする、って言いながら、芭蕉先輩はわたしをぎゅうって抱きしめてくれた。頭に顔を寄せられて、くんくんと匂いを嗅がれる。
「…なんか、嬉しいです。」
「あ?」
「芭蕉先輩から、わたしがいつも使ってるシャンプーの匂いがするの。本当に一緒に暮らしてるみたい。」
「…んなこと、いちいち言うなっつーの。」
先輩の腕の力が強まって、わたしたちはさらに密着した。ちょっと苦しいくらいだけど、それがまた幸せに思える。…なーんて言うけど、実際は芭蕉先輩がいるってだけで幸せなのだ。わたしったら現金な奴だな、もう。
「…ウサ子、」
「はい?」
「お前ん家、なんで親父さんいねーの?」
「…ああ、」
そうか、芭蕉先輩には話したことなかったかな、うちが母子家庭な理由。まあ特に聞かれなかったし、自分からペラペラ喋るようなことでもないしなあ。
「お父さん、わたしがまだ小さかった頃に、家を出てっちゃったんですよ。…ママが言うには、本当にひどい人だったらしくて。お酒飲んだらママやわたしに手をあげるし、浮気ばっかりするし、仕事もロクにしなかったって。」
「……………………」
「その当時わたしは、たしかまだ幼稚園児だったのかな?全然覚えてないんですけど、家にあったお金とかぜーんぶ持って、女の人のとこに行っちゃったらしいです。…今思うと、本当に最低な父親だったんだなって。ママはその後、本当に大変そうだったから。朝から晩まで働いて、わたしの世話も家事も一人でこなして。…ママがね、わたしによく言うんです。付き合う男は間違えちゃダメよ、って。…自分みたいにならないで、って言うみたいに。」
「…もういい、」
とんとん、と背中を優しく叩かれる。あやすみたいなその行動に、悲しくもないのに涙が出てくる。
「…せ、んぱい?」
「…変なこと聞いて、悪かった。」
「…謝らないで、ください。わたしは…大丈夫ですから。」
口ではそう言いつつも、涙は一向に止まらなかった。違うのに、泣きたいんじゃない、ただ、わたしは。
「…芭蕉先輩、」
「…なんだよ、」
「わたし、先輩が大好きです。…ママみたいには、ならない…。」
涙が先輩の着ているパジャマに染みていく。止まらない、止まらない。明日、目腫れちゃうかな。
「ウサ子、」
「…は、い。」
「泣くんじゃねーよ、」
頬に手を添えられて、そっと上を向かされる。先輩の目は間接照明に照らされて、いつもより優しく光っていた。そして添えられた手がゆっくり動いて、わたしの涙を指で拭ってくれる。
「…一回しか言わねーから、よく聞いとけ。」
「…はい、」
「俺がお前の前からいなくなるのは、お前が俺を嫌いになった時だ。」
ぱち、瞬きをすると、涙がすうっと頬を流れる。躊躇いがちに震える唇をそっと開くと、先輩の顔が近づいてきて、柔らかくキスをされた。
「…お前が思ってるよりずっと、俺はお前が好きなんだよ。」
「…芭蕉、先輩…。」
「一生俺のこと好きでいろ。」
「…はいっ。」
ママ、わたしきっと、この人と結婚します。
いつか幸せになる日