「んーっ…ふあぁ…」




まだ作りかけの編みぐるみを机に置いて、伸びとあくびを一つずつ。窓から見える夕日は燃えるように赤くて、校庭や教室内をその色に染めていた。




黒板の上にかかっている時計に目をやると、時刻はまだ五時を少し過ぎたところ。芭蕉先輩の部活が終わるまでには、まだまだ時間がある。




「…そういえば、」




わたしが芭蕉先輩と出会った日も、こんな風に夕日が燃えるようだった。まだそんなに月日は流れてないのに、なんだか遠い遠い昔のように感じる。




あの時は芭蕉先輩を好きになるなんて思わなかったし、ましてやお付き合いするなんて、夢にも思わなかった。




「…思い出すなぁ、あの日のこと…」




脳内に蘇る過去の映像を懐かしむように、机に突っ伏してそっと目を閉じた。




ーーーーー…




「帰りに綿買ってー、黒い刺繍糸買ってー、それから…あ、ピンクの端切れも欲しいかも。」




仮縫いが終わった白い布を手に持ちながら、夕日に染まった廊下をぼんやりと歩く。手の中の白い布は、外からの光を浴びて赤く輝いている。




「…赤ウサギ、」




真っ白な可愛いウサギちゃんになるはずのそれは、夕日の赤に染められて、なんだか不気味だ。血塗られた、なんて物騒な表現が頭の片隅にちらつく。おかしい、ウサギって基本的にファンシーなイメージなのに、なんでだろう。…まあ、夕日が赤いせいなんだろうけども。




今見るだけに限っては、若干グロテスクなウサギ(になる予定の布地)を抱きしめて、少し俯きながら、階段の踊り場を曲がった。




ーーーーードンッ




「きゃっ、」




下を向いて歩いていたからか、曲がった所で何かにぶつかる。存外強い衝撃だったらしく、体は後ろによろけて、ぺたりとその場に尻もちをついた。




「…ッテェな…。」




低く、唸るような声。弾かれたようにそっちを見やると、ボーダーの服を身に纏った目つきの悪い男の人。睨むように見下されて、反射的に体がびくりと跳ねる。




「ーーーーーっ、ご…ごめんなさ…」




その視線が、なんだか怖くて怖くて仕方なくて、急いで立ち上がって頭を下げる。廊下がなんだか歪んで見えるような気がするけど、そこは気づかないふりをした。




「…チッ、」




頭上から聞こえた舌打ちに、再び体を震わせる。ちらりと視線だけで見上げてみると、濃い隈に縁取られた瞳が、ギロリとわたしを見ていた。




「っ、す、みません…でした…っ。」




それ以上その睨みに耐えきれず、わたしは半泣きでその場を去ろうとした。ぎゅ、と噛み締めた唇が、じりっと痛む。




「ーーーーーおい、」




その人とすれ違いかけた瞬間、ぐい、と右腕を引かれた。驚いて短く悲鳴を上げてから、勢いよく振り返ると、さっきと同じ強い睨みに体が竦む。




「…っ、なん、ですか…?」




「…落としてんじゃねーよ、」




視線を巡らせると、その人の手にはわたしが持っていたウサギになりかけの布地があった。たぶん、ぶつかった時に落としたんだろう。




「…わたしの、ウサちゃん…。」




ん、と差し出されたそれを受け取って、ぎゅっと胸に抱きしめる。柔らかな布の感触が、手のひらから伝わった。




「ありがとう、ございます…。危うく、ウサちゃん置いてっちゃうとこでしたね。」




「…ウサギ?それがかよ?」




ぱちり、瞬いてわたしの手中の布地を見つめるその人。…なんだか、ちょっと可愛いかも。さっきまで睨まれて、怖いと思ってたのに。




「ウサギのぬいぐるみ…なんです、まだ作りかけですけど。」




「…それがウサギになんのかよ?」




「…一応、予定としては。」




まだ仮縫いしかしてないから、うまくウサちゃんになるかはわからないけど。でもどれだけブサイクになっても、わたし的にはこの子はウサギなのだ。




「…ウサギ、お好きですか?」




「あ?別に。」




「…じゃあ、ぬいぐるみ?」




「あー、まあな。」




そう言ってぬいぐるみを見つめる姿は、やっぱり可愛く思えた。外見に似合わず…と言っては失礼かもしれないけど、ぬいぐるみ好きなんて、意外だ。そんな風に思っていると、突然顔を上げてわたしを見るその人。




「…名前は?」




「へっ?あ…えと…」




急に問いかけられて、頭が軽くパニックになる。名前、名前…って…?




「あの…まだ作りかけだから、つけてあげてないんです。よかったら、名前考えてあげてください。」




「ーーーーーはァ?」




きれいな黒目が、きょろりと驚いたように動く。え、なに、わたし変なこと、言ったかな?




「だぁれがウサギの名前教えろっつったよ。」




「え?え?違うんですか?」




「…変なヤツ、」




呆れたような目をして、ため息を一つ吐く。わたしがあたふたしていると、そんなことはお構いなしに、くるりと踵を返して歩き出してしまった。




「え、あ、あのっ、」




「ーーーーーウサ子、」




「へ…っ?」




「お望みどおり、考えてやったぜ。」




「え、あ、この子の名前…ですか…?」




「ちげーよ、お前の。」




「へ?わ、わたしっ?」




「じゃーな、ウサ子。」




そいつ完成したら見せろ、なんて言葉を残して、その人は去って行ってしまった。…いや、見せろって言われても、名前も学年も知らないし、それに、




「…わたし、ウサ子なんて名前じゃないのに…。」




一人になった廊下に、わたしの呟きが虚しく響いた。外はもう薄暗くなっていて、ウサギはもう赤くはなかった。




そう、その時ぶつかった人こそが芭蕉先輩だったのだ。今思うと、あのウサちゃんのおかげでわたしたちはずいぶん仲良くなった、ような気がする。ちなみにそのウサちゃんは今、ちゃんとぬいぐるみになって、わたしのお部屋に飾られている。わたしはあの子にとっても感謝してるんだ、だってあの子を作ってなかったら今頃、芭蕉先輩と一緒にはいなかったかもしれないんだから。




ーーーーー…




「…おい、起きろウサ子。」




「…ふえ…?」




机から顔をのろのろと上げて、ゆっくり瞼を開く。ぼんやりした視界に映るのは、呆れたような表情をした、わたしの大好きな人。




「…ばしょう、せんぱい。」




「こんなとこで寝てんじゃねーよ。」




めんどくさそうにそう言いながらも、わたしの頭を撫でてくれる手つきは優しい。あの時から変わらない、芭蕉先輩にだけ感じる、あったかい気持ち。思わず口元が綻ぶ。




「…夢を、見ました。」




「夢?」




「…先輩と、初めて会った日の夢です。」




芭蕉先輩は目をぱちりと瞬かせて、おでこをこつんと合わせてくる。近い、ちょっと動けば、キスできそうなくらいに。




「…あの日から、全部始まったんですよね…。最初は睨まれて、怖いって思ったけど…でも…」




未だ意識が朧げで、ふわふわしている。寝起き独特の心地よい微睡が、わたしの心をゆらゆら揺らす。




「先輩に出会えて…先輩を好きになって、本当によかった…。」




「…バカじゃねーの。」




柔らかく揺れた芭蕉先輩の瞳。あの時みたいに睨まれても、怖いなんて思わなくなったのはいつからなんだろう。




だってわたしは、知ってしまったから。この人が怖い人なんかじゃないって、自分の気持ちに素直なだけの優しい人だって。




「…先輩、大好きですよ。」




ふっ、と穏やかな笑い声がして、そっと先輩の顔が傾ぐ。押し当てられた唇を受け入れるかのように、わたしはもう一度目を閉じた。




わたしと先輩が出会ったあの日のように、外はもう薄暗くなっていた。








出会いを彩る夕焼け




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