ふ、と意識が急に現実に帰ってくる。
まだ眠たい目を擦りながら視線をずらすと、くっついて穏やかな寝息を立てているアラジンとモルちゃん。
その反対側には、何故だかわたしに腕枕するみたいな姿勢で、アリババくんが眠っていた。
「…アリババくん、」
小さくぽつりと彼の名を呼ぶ、でもそれは誰にも聞き取られることなく夜の闇に消えた。
「…………………」
行き場のないもやもやした気持ちが胸いっぱいに広がって、それを抱えたままわたしはそっと寝所を抜け出した。
―――――…
こつ、こつ、とローファーが床を叩く音を鳴らしつつ、王宮内を宛もなくさ迷ってみる。
夜もだいぶ更けているからか、他に人の気配はなく、物音も一切しなかった。
不意に足を止めて、星空を眺める。
常闇に染まることなく小さな星々が瞬いていて、わたしの元いた世界にもこんな空が広がっているのかな、なんてつい考えた。
―――――瞬間、ほろりと目から涙が落ちる。
悲しくも嬉しくも悔しくもない、別に感動したわけでもない。それなのに涙腺は緩んで、一方的に涙を溢れさせる。
夜中だから思わず精神的にハイになってしまったのだろうか、恐るべし深夜のテンション。
泣くのなんて何年ぶりだろう、もうこの際だから、泣けるだけ泣いといた方がいいんだろうか。
「…リセ、っ」
少しだけ焦ったように、それでも夜だからか押さえ込むように呼ばれたわたしの名前は、アリババくんの声の中で響いていた。
聞こえた方を向くと、ちょっと寝癖がついたアリババくんがいて、わたしを見てぎょっと顔を歪ませた。
「おまっ…なに泣いてっ…」
「…………………?」
アリババくんが何に驚いてるのかわからず首を傾げると、頬に伝う涙の感触を急にリアルに感じた。
「…ああ、これ?別になんでもないんだよ。」
「そんな顔して泣いてんのに、なんでもないわけねーだろ…。」
「…そんな顔?」
なんなのアリババくん、わたしどんな顔してるの、自分の顔なんて自分じゃわからないんだよ、ねえ。
「…でも、ほんとうになんでもないの。悲しくも苦しくもないし、どこも痛くない。」
「…じゃあ、泣くなよ…。」
そう言って(たぶんだけど)わたし以上に泣きそうな顔をしてるアリババくんは、ゆっくり近づいてきて、そのままわたしを抱きしめる。
とくん、とくん、規則的な心音が聞こえる。あったかい、アリババくんのからだ。
「…アリババくん、」
「そんな顔して泣くなよ…頼むからさ…。」
そういえばアリババくんに涙を見せるのは初めてかも、いやまあここ数年泣いた記憶なんてないから、当たり前なのか。
そんなに笑うわけでもない、怒りを露にするわけでもない、そして泣くのは今が初めて、そんなわたしをアリババくんはどう思っているのだろうか。感情のない、掴めないよくわからない人間だって思ってる?ねえそれとも、
「…リセ、」
「なあに?」
「…俺がいるから、」
「――――――、」
言葉は声にならなかった。むしろ何を言おうとしたのか、自分でもよくわからなかった。
ありがとう?ごめんね?嬉しいよ?なんだかどれも違う、どれでも足りない気がする。
うまく自分の感情を表す言葉が見つからなくて、脳の信号が伝わるより先に、脊髄が反射で唇を動かして喉を震わせた。
「…だいすき、アリババくん。」
涙はまだ止まらない、こぼれて溢れて流れて、この先これはどうなるのだろう。
でもアリババくんのぬくもりが愛おしくて、きっとこの涙はわたしの愛なんだ、なんて意味不明なことを考えるわたしの頭は、もういい加減考えるのをやめるべきだと思った。
涙の浸透圧
Title by:花畑心中