なかなか寝つけない夜半、設えられた寝床を抜け出し、ひっそりと静まり返る庭園を歩く。
さわ、と草木を揺らす風が心地よく、シンドリア独特の匂いを感じた。
「…………………」
夜空はきれいに晴れ渡っていて、丸い月が闇を照らすように浮かび上がっている。
そっと空に手を伸ばすと、月の光がぼんやりと指の隙間からこぼれて輝いた。
「…きれい、」
月光に包まれるような感覚に陥り、ゆっくり目を閉じる。
視界が暗闇に飲まれて、平衡感覚を失った体が、ぐらりと前に傾いだ。
「―――――あ、」
危ない、と思って目を開けようとすると、それより早く誰かがわたしの体を支える。
「大丈夫ですかっ?」
「…あ、」
開けた視界に飛び込んできたのは、焦った表情を浮かべる煌帝国の皇子様。
名前はなんといっただろう、たしか、ええっと、
「…白龍皇子、」
「はい。」
名前を呼んだことでわたしの意識がはっきりしているのがわかったからか、ほっと息を吐く。
「…急に倒れ出すので、驚きました。お怪我はありませんか?」
「大丈夫、です。ありがとうございました…。」
たしか年は、あのアリババ王子とそんなに変わらなかったはず。のわりに、ずいぶんしっかりしているような気がするけれど。
見た目もさながら、中身もきっと生真面目なんだろう。
「…こんな夜更けに、どうされたんですか?」
「それは俺の言葉ですよ、…女性がこんな遅くに出歩くなど。」
「わたしは…なんとなく寝つけなくて。」
「俺も同じです。」
ふ、と笑ったその顔は、月明かりに照らされて美しく、心臓のあたりがざわめく。
「…セレネ殿、」
「はい?」
「あなたは…この国がお好きですか?」
どこか遠くを見つめながら、うわ言を言うかのように問い掛けられる。
わたしに対しての質問のはずなのに、どこを見て誰に聞いているのかわからなくなりそう。
「…好き、です。」
「…それは何故ですか?」
「何故と言われても…好きであることに、理由は必要でしょうか。」
彼は相変わらずわたしを見ない、何を見て何を考えているのだろう。何故わたしにそんなことを聞くのだろう。
「…俺は…」
ゆらり、視線がゆっくり動いて、強い瞳がわたしを捉えた。
「あなたのことが、知りたい。」
「…わ…たし?」
「あなたが何を好きで、何を嫌いで、何を考えているのか。俺はそれが知りたいのです、セレネ殿。」
月光を浴びた彼の頬は、心なしか赤く色づいている。でもきっとそれは、わたしの頬も同じ、なのだろう。
「…白龍皇子、」
「皇子はつけなくていいです。どうか俺のことは、白龍と呼んでください。」
そんなこと、一国の皇子様相手にできるはずない。わたしはただのシンドバッド様の家臣で、ヤムライハさんの部下。身分が違いすぎる。
頭ではそう思っているはずなのに、彼の瞳に惑わされて、
「…白、龍…」
唇が戦慄くようにして、彼の名を紡いだ。
途端に彼は嬉しそうに笑って、わたしの頬に触れる。
「…あなたが好きです、」
「―――――んっ、」
月明かりの下、唇がそっと重なった。
月夜と純情
Title by:透徹