残念ながらべた惚れ
「わっかいねー」
寝不足気味のぼんやりした頭を抱え、気分転換にと足を向けたのはクラブハウスの屋上。というか、屋根と言うべきか?まぁいいや。
なんか声がするなぁとピッチに目を向ければ、うちの若手数人がひとつのボールを巡って追いかけっこをしてた。
「ちょっ、世良さん、ちょこまかと…!」
「うるせーっ、赤崎!悔しかったら追いついてみろ!」
「足許お留守ですよ、っと」
「あー!」
「よし、走れ椿!」
「ミヤちゃん、パス、うわ!」
「甘いっす、椿さん!」
「なっ、上田!」
「よっしゃ、こっち寄越せ!」
「頼みます、キヨさん!」
どういうルールにしてるのかは知らないけど、ゴール前でごちゃっと集まってぎゃあぎゃあと(主に世良が)騒いで楽しそう。
今日は午前中だけの練習で終わって昼からはオフにしといたというのに、どいつもこいつもじっとしとくってことができないのかねぇー。遊びだってのに目が真剣だぜ、若造たち。
特にお前だ、椿。
「ただでさえ俺の視界に映りやすいんだからさぁ」
あんまかっこいいとこ見せられっと困るんだけど。これ以上惚れさせてどうすんの?
この恋、きみ色
「それ何?」
「友達が送ってくれた写真ですよ。お庭に椿の花が咲いたからってメールくれたんです。フォルダ整理してたら出てきたのよ」
「へー、これ、椿の花なんだ?」
「…達海さん、そんなことも知らなかったの?」
「見たことあるような気がしないでもないような」
「あ、そう」
有里の手の中にある赤と白の花の写真に目が釘付けになる。くっきりとした鮮やかな色。
こうもはっきりとしてるのに不思議と周りとの調和も取れてる。自然の作り出した色だからだろうか。
(でも、たぶんコレの色は調和なんて取れないよなぁ…)
無意識にはまってて、気が付いたら抜け出せないくらいにはまり込んでたとんだ落とし穴の名前は、恋という。
普通に見える視界の中、あいつだけが妙に鮮やかな色を纏って見える。煮え切らない性格のくせに、姿だけはくっきりと映るもんだから、たまったもんじゃない。嫌でも目が向く、意識があいつを探し出す。勝手に脳が認識した姿に心臓が跳ねる。
こんなにもあいつに染まった俺は、どんな顔であいつと向き合ってるんだろうか。
きっと夢中にさせるから
「ゴール!イエー!」
「…まーたやってる」
暗くなりつつあるピッチを横切る影。その足元にはボール。右足で蹴られたそれがきれいな曲線を描いてネットへと吸い込まれた。
両手を上げて喜ぶ影に思わず苦笑。フリーでゴール外しちゃまずいだろーが、と思うけどなんかもうそれを言うのも無粋な気もする。
ボールを蹴るのが楽しくて、ゴールが決まるのがうれしい。そんな、単純だけどなによりも大事なことにあれこれ言うのもね。
でも一個だけ言いたいことがある。
まぁ、これを直接言っちゃうとたぶんすげーびびらせるからいまのとこ言うつもりはないんだけど。
主導権を握られるよりは握る方が好きなんだよ、俺。
だから―――
「フットボールを通してだけじゃなくて、俺に夢中にさせてやっからな、椿?」
きみ攻略マニュアル
「あ、監督」
「…何してんの、椿」
「えっと、猫、が…」
クラブの敷地のすみっこ、まるっと縮こまった何かがいるなぁと思いながら近づいてみたら椿だった。まさかこんなとこで泣いてんじゃないだろうなと一瞬いやな想像をした俺を知らない椿は手元を見せるように体を横にずらした。
「猫だ」
「たまに見かける子なんです。ちょっと前からやっと撫でさせてくれるようになりました…!」
「え、なんかすっげぇ目がキラキラしてんだけど。猫好きなの?」
「はい!」
うわぁ、いい笑顔ありがとう。
「ふーん。お前自身は犬なのにな」
「は?」
「いやいや。おとなしいやつだなー」
「最初は全然近寄らせてくれなかったんですよ」
椿曰く、ときどき会うたびにじっと見つめあって、あの手この手でちょっとずつ距離を縮めてきたらしい。
なにその積極性。猫相手にだけ発動されるってこと?うわ…どうしよ、すっげ悔しいんだけど。
「ちょっとずつ仲良くなって、こうやって甘えてきてくれるのがいいんすよ。気まぐれだからぷいってどっか行っちゃうこともあるんすけど、また後で会えたときにこうやってそばに来てくれるのがうれしいっす」
「…へー」
こいつってMっ気でもあんのかね?
しかし幸せそうな顔で猫撫でてんなぁ。
「椿ー」
「はい?」
「にゃー」
「は、」
「なんてね?」
「…びっくりさせないでください…」
うーん、でも意外といけそうじゃない?こういう可愛い路線みたいなの。
ずるいから好きです
「か、かんと、く…!」
「は、どうしたの椿、うおわっ」
「ちょっ、ちょっとだけ匿ってください!」
「お、わ、待て、それはいいけど、イテ!」
「あ、ごめんなさい!」
廊下をぺたぺた歩いてたら後ろから椿にガッと腕を掴まれたあげくに俺の使ってる部屋に連れ込まれた。しかも閉まりかけたドアに頭ぶつけたし。
あのさぁ、椿君。そういう積極的な感じは新鮮で悪くないけど、もうちょっと色気が欲しいなぁ、おっさん的には。
「匿うって何したの、お前」
「何もしてません!いきなりガミさんたちが俺の首にリボン巻こうとしてきて」
「ナニソレ」
「しかも永田さんがカメラ片手に急に出てくるし…」
「それは怖いな」
「すっごい怖かったっす!」
床に座り込んだ椿が涙ぐんだ目で見上げてくる。う、それは結構やばいわ、椿。
「いつまでここにいたらいいかな…」
「あー…ちょっとしたらあいつらも飽きて帰るんじゃない?それまでここにいたらいいよ。ついでに試合のDVDでも見る?次の試合のためにもさ」
「いいんすか?」
「誘ってんの、俺だよ?」
「あ、じゃあ、」
お言葉に甘えます、なんてそんな上目使いとか。あーあーあー、ほんともうずるいよなぁ、そういうとこ!自覚してないとこもずるい!けど好きだ!
バカ、意識しすぎ
「うまいなぁ、この人…」
「そうだなー、ぱっと見、弱点が見つかんないよな」
「ボールタッチが丁寧ですね。パスもうまい」
どうしたらこうできるんだろう、と画面に釘付けになった椿が呟く。
これはたぶん独り言だろうからあえて返事はしないけど、でも俺はお前もこういうパスができると思ってるよ。まだちょっと荒削りだけど、ちゃんと広い視野で試合を見れて、受ける側を思った、気持ちのこもったボールをパスできるようになる。いまはまだほんのちょっと経験が浅いだけだ。まだまだ伸びるだろ、これから。
「椿、前かがみになりすぎ。肩凝るぞ?」
「え、あ、…っ」
「ん?」
「すっ、すみません、近かったからびっくりした…!」
「何が?あぁ、隣に座ってるのが?しょうがないだろ、この部屋狭いしさぁ。正面からちゃんと画面見ようと思ったらこうなるんだって。なんならベッドに座ってもらっていいけど」
「…え、と…こ、ここでいいっす…」
「そ?まぁそれならいいけど」
なんでもないような顔を取り繕って画面に向き直ったけど、だんだん心拍数が上がってきた。
言われてみれば近すぎるよな、この距離は。腕とかぶつかるんだけど。自分と違う体温がすぐそこにあるって、なんというか、この妙なくすぐったさ…。
あぁ、バカだ、意識し始めたらどうしようもなくなってきた。これ以上心臓バクバク言わせたら聞こえちゃいそうじゃんか、まったくもぉ。
その笑顔は反則だから
「どうよ、さっきの試合」
「おもしろかったす!」
「うん、問題はこいつらと対戦するっつーことだよ」
「あ」
「…椿君、きみの職業はいったい何かな?」
「あ、ははは…」
「笑い事じゃない」
「いっで!」
すぐ横にある椿にデコピンをかましてやると盛大に呻いて俯いた。涙を滲ませて額を押さえてる。そんなに痛かったか?
「作戦考えてフォーメーションとかいじるのは俺の仕事だけどさ、選手であるお前らもしっかり理解力持ってないと成り立たなくなるだろー?」
「で、ですよね、はい、がんばって理解します!」
「あ、そー」
「う、監督、冷たい、す…」
「んー、理解力とか、そういうとこあんま椿には期待してないっつーか」
「え」
さー、と椿の顔から血の気が引く。あ、やばい、別に傷つけるつもりはなかったんだけど。
「理解してもらえたらそれはもちろんうれしいし助かるけど、そういうとこだけじゃなくて、直観というか…試合中にスイッチ入ったみたいになるだろ、お前」
「…よくわかんないっす」
「なるんだよ、端から見てると。理論も必要だけど、まだいいんじゃないの、椿くらいの年ならそういう感情的な感じでも。荒いプレーになるのは困るけど」
ふ、と自然と唇が綻ぶ。
思い出すのは、暗いピッチをボールを追っかけて走る影。
「いいじゃん、そんだけフットボールが好きってことだろ」
飾り気のないそれは、根本的で何よりも強い気持ちだ。それがぶれないでいるなら、お前は大丈夫だよ。
「…はい」
穏やかに弧を描く瞳と唇が柔らかくて、意識が奪われた。
公認ストーカー
「達海さん、何してるの」
「…作戦考えてる」
「画面止めたままで?」
「うん」
「画面の映像が椿君のドアップのままで?」
「…そこに深い意味はないんだけど」
突然ドアを開けた有里の冷静なツッコミに内心冷や汗をかく。
フットボールのDVDを見てたのは本当。作戦考えてたのも本当。椿のアップの映像の瞬間に思わず一時停止ボタンを押しちゃっただけで、言葉に嘘偽りはない、から、焦る必要はないんだけど。
「ふーん。まぁいいけど。キリのいいところで広報に来てもらえる?」
「あー、じゃあこれ見終わったら行く」
「うん、そうして。じゃあがんばってね」
「おー」
………。
あれ、ばれなかった…信じてもらえたんだ。
いやいや待て待て、信じるも何も、本当のことしか言ってないし。
「それにしても…こういう状況が異常には見えないってことか…」
試合中ならではの少々厳しい表情のまま停止した椿の横顔をまじまじと眺めながら、下手な言い訳をしなくていいのは楽だなぁ、と味を占めてしまった。
終わらない恋になれ
「監督、初恋っていくつんときでした?」
「なにいきなり」
「興味本位です!」
きっぱりと元気に言い放った世良の向こうで赤崎が呆れて、椿があわあわしてる。なんなの、一体。世良、酔ってんの?
「素面ですよ」
「あ、だよね。で、なんだってそんな話になんの」
「椿の初恋の相手の話をしてたんですよー」
「へー興味深い」
「思い切り棒読みじゃないですか」
感情の変動を読み取らせまいとしたらかえって平坦になりすぎたらしい。失敗した。
「で、どんな相手?」
「あ、訊くんすか」
「興味深いって言ったじゃん」
「本気だったんですか?えっと、」
「世良さん、言わなくていいっす!」
「えー、俺だけ除け者?酷くない?」
「酷くないっす!止めてください、監督!」
「じゃあいま好きな人は?」
「はっ!?」
「あー、だめっすよ、監督。そんなん訊いても意味ないですって」
「え、そうなの?」
「そいつ、サッカーにしか興味が向いてないですもん」
しれっと言い放った赤崎の横で世良もうんうん、と頷く。
椿は何か言おうとして、でも言うべき言葉が出ないのかぱくぱくと口を動かすだけだ。
「ま、椿らしくていいね」
ずっとフットボールに恋をするんだろう。それこそ終わりのない恋を。
俺の恋もそうなるんだろうかねぇ。
今からきみに告白します
「好きだよ」
「え」
「ドクペのその味のやつ」
「あ、よかったです、いつものがなかったからどうしようかと思ったんですけど」
「ありがと、買ってきてくれたんだな」
「コンビニに用事があったんで」
それでもこうしてわざわざ俺の部屋まで持ってきてくれたんじゃん。いい子だね、椿。いい子にはご褒美かな。ご褒美ねぇ…?
「…監督?」
「椿がいい子だから」
「はぁ…、こんな風に頭撫でられるなんて久しぶりです」
「そりゃまー、ハタチにもなればね」
こんな機会、そうないだろ。
「いい子いい子ー」
「うわ、わ…!ちょ、かんと、頭揺れる…!」
「お前、手触りいい髪してんね」
「うぇ、揺れる…」
気のせいか椿が目を回してるみたい―――悪い、気のせいじゃなかったな。
「三半規管弱いの?」
「知りません…」
「あー、ごめんね?」
「いえ…」
ぎゅ、と強く目を瞑ってた椿の瞼がふ、と持ち上げられる。
真っ黒い瞳と視線がかち合う。少し大きく見開かれたそれがきれいだと、思う。
「好きだよ」
「へ?」
あ、言っちゃった。
え、ここで?このタイミングで?うわぁ、何してんだろうね、俺ってやつは。ほら、椿もびっくりして目を丸くしてる。お、こいつやっぱ目がでかいなぁ。零れ落ちそう、て、こういうのを言うのかね。
「監督…?」
あぁ、きれいなその目に俺はどういう風に映ってるの。
「好きだよ、椿―――」
この言葉を境に、俺はお前にとってどんな存在になるんだろう?
thx 確かに恋だった