もうこれ以上ないっていうくらいに、絶体絶命のピンチ。いままでも怖い思いをしたことは何度もあるけれど、いまとは比べものにならない。

後ろには壁、体の左右には囲うように腕、目の前にはにんまりと唇だけで笑う、尊敬してやまない人。
物理的にも動けないけど、妙な威力をもってこちらを見つめてくる視線にも体が竦む。不穏な光を煌々と湛えた瞳に見据えられて、それに対抗できる手段なんて俺にはない。

無意識にカタカタと震えだした指先に気付かれないように、力を入れて白いシーツを握った。

「大丈夫か?顔色良くねぇけど」
「だ…いじょうぶ、です…」
「そ?ならいいけど」

まさか本人を目の前にして原因は貴方です、なんて言えるはずがない。体の自由だけでなく口まで塞がれた気分だ。喉がカラカラに乾いて舌がうまく動かない。無理に唾を呑みこんだら、その音がいやに響いた。

「そんな緊張すんなよー、初対面でもあるまいし。俺らってそこそこの付き合いだろ、椿?」
「そ、れは…」
「怯えられるとさすがにちょっと傷つくなー」

言葉とは裏腹に口調は軽い。口許もさらに歪ませて、楽しくて仕方がないとでも言うような表情を見せる。でもやっぱり、目だけは変わらずに。

「なー、椿?」
「…っ、は、い…」
「っは、ひでー声。全然大丈夫じゃねーじゃん」
「大丈夫、です…っ」

監督がそこをどいてくれれば、何も問題はない―――のに、この人にそんなことをするつもりは全くないんだろう。その証拠に視界の端に映る腕に力がこめられた。現役を離れて久しいから筋力は落ちてるはずだ。きっと抵抗すれば逃れられる。腕力で負けるとも思えない。けど、実際には何もできずただこうしてじっとしてるだけだ。

強められた触れない拘束に、ただでさえ少なかった抵抗の意思が全て消えた。

「未だにお前が俺に慣れないとことか、いちいちおどおどしてるチキンなとことか、いまこうして目の前にいるのになかなか視線が合わないこととか、傷つくこともけっこうあんだけどさぁ」

伏せた視界に影が落ちる、気配が近付く。
見なくてもわかる、きっとますます口角を吊り上げて、表面だけの笑みを深めてるのだろう―――。

「でもいまのお前の中、俺のことだけでいっぱいになってんだろうなって考えたらすげぇ楽しくなってくるんだよな。俺ってこんなに単純なんだって。知ってた?」

他人事のような問いかけに顔を上げる。蛍光灯の光が視界を塞いで、監督の表情がうまく読み取れない。
声は明るい、不自然なほど。見える口許は変わらなくて、ただ怖くて目は見れなくて、

「椿」

あぁ、ほら。この声。

「椿、なぁ」

逆らえなくて、顔を上げれば、交わる視線の先に、楽しそうに笑う目が、ただもうそれだけを促すから。

「もっと俺を喜ばせてくれねぇ?」

シーツから離れた指先の震えを見た監督の目が愉悦を滲ませた。






ッド・ライン・ラブ




thx 空想アリア





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