どこにいようと何をしようと、ボクが人目を引くのは至極当たり前のことだ。そのことに疑問なんて感じないし、人の視線を集めることも厭わない。ときどき面倒だなと思うこともなくはないけど。
あぁ、話がそれた。何だっけ…そう、ボクの飼い犬のひとりのことだった。もうひとりの方のザッキーはまぁ、本人の性格もあって人に見られる自分というものを多少は気にしてるんだろう。全く目立たないタイプでもないしね。
それよりもバッキーだよ。あの子はきっとそんなこと意識に上らせることもないんだろう。臆病な子だし、自分が目立つなんて思ってもないはずだ。
確かに見た目は至って平凡、顔立ちも可愛らしくはあっても華やかさはない。街中に溶け込めばすぐにわからなくなる風貌だ。
でも人の存在感というのは外見だけではない。ごくごく普通の青年であるバッキーも、いざ試合となればガラリと雰囲気を変える。ピッチ上での圧倒的な存在感。好不調の波に左右されることはまだなくならないから毎回ではないけど、それでも椿大介という存在はチーム内で徐々に確立してきた。
そうなってくると不思議なもので、ピッチの外にいるときでも目を引くようになったんだ。日常生活でバッキーに注目してる人はそういないだろう。でも問題なのはそんなことじゃない。重要なのはこのボクが、バッキーから目が離せなくなってるという、紛れもない事実があるということだ。
目が離せない、とは言ってもプライベートな時間でボクとバッキーの行動が重なることは滅多にない。行動範囲が違うんだから当たり前だね。ボクは結構いろんなところに行くけれど、バッキーはどうもクラブと寮の往復がほとんどのようだし。まったくサッカーしかしてない生活ってこういうものを言うんだろう。本人がそれに満足してるようだからあえて何か言おうとは思わないけど、でももっと他に意識を向けてもいいと思うんだよねぇ…例えばそう、恋愛、とかさ。
「なー、好きなタイプってどんなコ?」
「へ?」
「なんスか、急に」
「んー、興味本位。赤崎はすっげー外見にこだわりそうだよな!」
「んなことないっスよ。つーか世良さん、俺を何だと思ってるんですか」
「だってお前すげーかっこつけじゃん!で?どういうのがいいわけ?」
「俺と話ができるくらいにはいい頭の持ち主」
「は?」
「バカって嫌いなんスよ」
「…なんかよくわからんがいますっげームカムカしてきて赤崎を殴りたくなった」
「あぁそうですか」
セリーにザッキーにバッキーというよく一緒にいる三人がロッカールームで着替えながらしていた会話に思わず聞き耳をたてる。こんなお行儀の悪いことは好きじゃないんだけど、でも仕方がない。バッキーに恋愛絡みの話題なんてそうないことだし。
「椿はー?」
「え、え?俺、っすか…?」
「好みくらいあんだろー?可愛い系?キレイ系?年下?年上?」
「年上キレイ系ならあの人がいるよな。ほら、記者の…」
「あー、あのちょっとキツそうな!え、ああいうのタイプ?」
「えぇっ!? いや、別に、てか俺、何も言ってません!」
「なんだよ、照れてんのー?可愛いなぁ、椿は!」
「世良さん、人の話聞いてください…!」
顔を真っ赤にして言うバッキーは、確かにセリーの言うとおりなかなか可愛いことになってる。そんな顔して言ってみたって、誰も信じたりしないよ。むしろからかいのネタにされるだけだろうに。
そうしてるうちに案の定、他からもからかわれ出した。このテの話題にいちばんに反応するのは、タンビーだろうねぇ…ほら、そこからどんどん広がってく。
そのうちにだんだんと話題がずれていって、学生時代の恋や初恋の話、既婚者にはプロポーズの言葉は何、という質問まで飛び出した。
こうなると元の話題には戻らないだろう。残念だけど、バッキーの話はここまで、かな。なかなか興味深かったんだけどね…まぁ、いいや。
興が醒めたのならいつまでもここにいる必要もない。近くにいたメンバーたちに軽く挨拶をしてロッカールームを後にした。
「あっ、王子?」
「バッキーじゃないか。どうしたの、こんなとこで」
「いや、それは俺が言いたいです…」
戸惑った表情の飼い犬の言いたいことを察して、少し笑ってしまった。バッキーの言うとおりかもしれないね。今日の練習が終わって、だいぶ時間のたったクラブハウスで顔を合わせたのだから。この子がここにいるのは不思議ではないのかもしれないけど、ボクがこの時間まで残ってることはそうないから。
でも、バッキーがいること自体も、本当ならおかしなことのはずなんだけどね?
何だい、その手に収まっているボールは。自主練も度を超すと毒にしかならないものだよ。
「ちょっと脚に張りを感じてね…ドクターのお世話になってたんだ」
「え、だ、大丈夫なんすか?」
「少しだから。それに診てもらえたら楽にもなったし。練習には普通に参加できるよ」
「そうですか…ならよかったっす」
ほっとしたように表情を緩ませるバッキーの可愛さったら。こうも素直に内面が出てくると微笑ましいの一言に尽きる。職業柄、騙し合いも必要になる場面もあるのがちょっと心配ではあるけれど。
なんだかさっきからボクもバッキーのことを心配してばっかだね。
「バッキーは?」
「はい?」
「この時間にどうしたの?」
その手の中にあるボールは嫌でも目に入るから訊かなくてもわかってるけど、あえて尋ねる。どう答えるのか興味があるよ。平然と答える?それともいたずらが見つかった子供のような反応を見せるのかな。
「あ、あと30分くらいしたら監督のところへ来るように言われてるので…それまでちょっとボールを蹴ろうかと」
「…」
…ちょっと自分でも驚くくらいに機嫌が急降下したよ。
「王子?」
「…そう、タッツミーに。例のあれかな?個人反省会」
「う…、そ、そうだと思い、ます…」
タッツミーのことだから、叱責というよりはアドバイスの性格が強そうだけど、バッキーはそう思ってないのか妙に緊張の面持ちだ。
ボールを蹴ろうとしてるのも緊張をほぐすためかもしれないね。でも自分の所属するチームの監督と対峙するのにこうも固くなるなんて…しょうがない子だ。
「しっかりと教わっておいで。バッキーのための時間だからね」
「はいっ!」
あまりにいい返事をしてくれたものだから、思わずバッキーの頭を撫でてしまう。
へぇ…意外といい毛並み、じゃない、髪質だね。触りがいがあるよ。
ボクの行動に驚いたのか目を丸くする姿にさっき下がった機嫌がちょっとだけ上昇した。でもほんのちょっとでしかない。
あまりいい気はしないよ…まったく知らない相手ではないとはいえ、ボク以外の男のとこに会いにいくなんて言われるのはね。デートに誘ったわけでも、ましてそれを振られたわけでもないけど、他の誰かの名前が出てくること自体があまりうれしくない。
と、考えてる自分に気がついて、手が止まった。
いま、何を考えてた?
まるで意中の子につれなくされたみたいな、そんなことを―――。
「…王子?」
「…あぁ、ごめん。練習の邪魔をしてはいけないね。でもバッキー、何事にも程度というものがあることをよく覚えておいで。いいね?」
「…? ウス」
軽い足取りで駆けて行くバッキーの後ろ姿を眺めながら、思わず零れたのはため息。わかってるのかなぁ、本当に。まったく、どこまでも心配をかけさせてくれる子だね、バッキー。
「おや、バッキー」
「あっ、王子!」
「最近はよく会うねぇ」
「そうっすね…あ、まさか今日もドクターのとこっすか?」
「え?あぁ、違うよ。今日はボクとしたことがロッカールームに忘れ物をしてしまってね」
「そうだったんすか…よかったっす」
「ん?」
「もしまた脚の調子が悪いとかだったらどうしようかと思って。王子が不調だと、困るし…」
「ふぅん、困るの。それってチームが?バッキーが?」
「へっ!?」
「どっち?」
重ねて問うと、可愛い飼い犬は目を丸くして、見るからに落ち着きをなくした様子でおろおろとし始めた。
うーん、そういう姿も悪くはないけどね、即答が得られなくてちょっと残念だよ。まぁ、ただの興味本位だから深く考えないでもらえたらいいんだけど。
「あ、あの…っ」
「ん?」
「チームのためにも、王子はいてもらわなきゃ困る、んすけど、」
「…」
「でもあの、そうじゃなくて…俺自身も、王子がいなきゃ、困るっす…」
「パスがもらえないし?」
「そ、れもありますけど、じゃなくて、その、王子の調子が悪いとかそういうのは、俺も辛いっていうか…寂しいっていうか。だから王子がいてくれるだけで俺は十分で、…あれ?なんかよくわかんなくなってきた…」
ぐるぐるときっと頭の中を混乱させてるであろうバッキーを見てられなくて、反射的にその頭をぽんぽんと撫でてしまった。
ずるいよ、バッキー。どうして君はそう、可愛いことをあっさりと言ってくれるんだい?あまりに素直で素朴な言葉だったから、思わずこっちが赤面しそうになったよ。
「ありがとう、バッキー」
「へ?え?えぇ?」
「ところでバッキーこそどうしてここに?またタッツミーに呼ばれたの?」
「あ、いや、今日は違うッス!いつもみたいに練習しようと思ってたんですけど…」
「けど?」
「…王子が、程度を考えろって言ってくれたの思い出して、今日は寮に帰ろうかなって…」
驚いた。
バッキーが自主的に練習を中止したのもだけど、なによりボクの機嫌が、たったこの一言で急上昇したことが。
…ボクってこんなに単純ではなかったはずなのに。バッキーに似たのかな…飼い犬に主が似るっていうのもおかしな話だけど。
でも、嫌な感じではないよねぇ。
「ふふ、バッキー」
「は、はい?」
「いい子だね。そうだ、せっかくここで会えたんだし、寮まで送って行ってあげようか?」
「えっ!い、いいんすか?」
「ボクが誘ってるんだけど」
「あ、う、そう、ですよね。あの、王子の車に乗せてもらうの初めてだから、つい」
「そうだっけ…あぁ、そういえばそうだねぇ」
というか、助手席に男を乗せようなんて今まで考えたこともなかったよ。
バッキーの場合は飼い犬だけど。
「そんなにうれしい?」
「外国の車に乗るのって初めてっス!」
「っふ、あはは!いいね、素直で」
「あぅ…」
頭に乗せたままだった手を耳の後ろへ滑らせるようにして撫でていくと、くすぐったそうにバッキーは肩を竦めた。
言葉も素直で反応も素直。従順なのかと思いきや、別の男の名前を出してこっちを翻弄してみたり。かと思えば、こちらの誘いに簡単に乗ってもくる。
ねぇ、バッキー。これってまるで恋愛の駆け引きみたいだよ?…なんて言ったらどういう反応を見せてくれるかなぁ。真っ赤になる?それとも咄嗟に理解できずにきょとんとする?どっちもありそうで、どっちも可愛い。
あぁ、まいった。こんなに君に嵌まるなんて。でも翻弄されてばかりもおもしろくない。経験の少ない君に負けるわけにもいかないしね。それはボクのプライドが許さないよ。
とりあえずの取っ掛かりは、この短いドライブデートというところかな?
覚悟した方がいいよ、バッキー。ボクは手加減なんて生易しいこと、君にしようとは思ってないから。
「もう帰る用意はできてるの?」
「あ、はい!大丈夫です!」
「じゃあ行こうか」
ここにいて、他の誰かに邪魔されるのも嫌だし。誰かっていうのを具体的に言えばタッツミーなんだけど。バッキーってば、タッツミーには殊のほか弱いからねぇ…。ボクの目の届かないところが心配でしかたないよ。だからって、鎖で繋いで檻に閉じ込める趣味はないけど。
「バッキー」
「はい」
当たり前のように返される返事が心地いい。
「明日の練習も頑張ろうね」
「はい!」
束縛する趣味はないけど、屈託のないその笑顔を独占はしたいと、そう思ってるよ。
無意識の恋情ゲーム
thx 空想アリア