ふ、と意識が引っ張られるように目が覚めた椿はしばらくぼんやりと天井を見上げて瞬きを繰り返した。見慣れたそれだが、自室のものではない。壁の材質、蛍光灯の位置…とまだぼんやりとした頭で考えるでもなくつらつらと目で追っていくうちに状況を思い出したらしい。さっと目許を染めると、先ほどからピクリともしない隣の布の塊りに目をやった。

「監督…?」

小さく声をかけるが、布団の端から見える茶色い頭は何の反応も示さない。息苦しくないんだろうか、と少々心配になってそっと布団をめくると、目を閉じているせいかいつもと少し雰囲気の違う達海の顔が覗いた。

達海の目が椿は好きだけど、少し苦手だ。真剣な光を湛えたものは純粋にかっこいいとも思うし、監督としてチームを背負うその姿は尊敬できる。しかしいざいたずらっ子のような、どことなく意地の悪い目をしているときの達海のことは苦手なのだ。何故かって、心臓に悪いから。もともと勝負師のような性格なのか、達海の発想は自分のそれを大きく上回るどころか全然次元が違うと椿は思っていた。練習内容も、作戦も、自分ではとても思い付かないようなことを指導してくる。敵を欺くには味方から、というわけではないだろうが、達海にはチームメートのほとんどがいつも度肝を抜かれる。ビビリが定着している自分はきっといちばんに驚かされてるだろうなと椿は思い、小さく息を吐いた。

未だに起きようとしない達海をしばし見つめた椿はおずおずと手を伸ばして、額にかかる茶髪をそっと散らした。精悍な顔が露わになる。年より若く見える達海もこうしてみると大人の落ち着きというか、年相応な雰囲気をもっているんだな、と妙なところで椿は感心した。しかしその椿こそハタチそこそこ、しかもその実年齢よりも確実に年下に見られるのだから、余計なお世話だと達海が聞いていたなら思ったことだろう。

「…お疲れ様です、監督」

達海が毎日遅くまで起きているのを椿は知っていた。ときに自分と同じようにピッチにまで足を運ぶことがあるし、そうでない日も有里や後藤たちの話からそうなのだと知ることができる。チームの勝利のためにここまで献身的になる。椿は他の一部リーグの監督を知らないから比較できないが、達海はその中でも特にそうなのではないかと思っている。

監督がそこまでしてくれるのなら、選手としての自分はとにかくプレーで応えるしかないのだ。当然椿はそう思っているが、それでも毎回が思うようにはいかないのも現実だ。特にメンタルがそう強くないと自覚してるだけに、達海に対して申し訳ない気持ちが大きくなってしまう。情けない自分にほとほと呆れているのは他でもない自分だ。これで達海にまで呆れられたら…と思っただけで背筋が凍る。

「がんばりますね、俺。監督に認めてもらえるように。チームの勝利に貢献できるように。…あなたの、助けとなるように」

遠慮がちに触れていた指先でそっと頬をなぞる。寝不足からか少しかさついている。達海が起きないのでそのうちにだんだんと手の動きが大胆になる。髪に触れ、何度も梳いて頭を撫でるように動かす。

ふたりの間に流れる時間はどこまでも穏やかだ。

ふ、と気がつくと椿は達海にのしかかるような体勢になっていた。しばしそのまま固まっていたが、その格好の異常さを認めると、顔を真っ赤にして背筋を伸ばした―――正確には、伸ばそうとした。

「…なかなかいい眺めだね」
「かっ、監督…!お、起きて…」
「うん。おはよぉ」

呑気に挨拶などを寄越してくるが、達海の手は寝起きとは思えない力でがっちりと椿の腕を掴んでいる。先ほどよりかは達海との距離を置いた椿だが、しかし至近距離であることに変わりはない。素面のときにここまで近付かない距離に椿はますます落ち着きをなくす。ついさっきまで達海の髪を撫でていた手は反対に、逃げを打つためにある。しかしそれをみすみす逃すほど達海猛という男は無駄に心が広くはない。

「どこ行く気」
「べ、別にどこも…」
「じゃあこのままで」
「いや、それは、」
「何が嫌なの」
「い、いや、てことは…」
「ならいいじゃん。むしろもっとこっちおいで」
「わ…っ!」

ぐ、と腕を引っ張られ、突っ張っていた方の腕も折れてがくん、と椿の体が達海の上にのしかかる。
傍から見れば椿が達海を押し倒したような形だが、当の椿にその意識はなく、それ以前にただ目の前でいたずらめいた目を煌めかせた恋しい相手との近すぎる距離に息を詰めた。

「そんなに怯えないでよ」
「そ、いうわけじゃ…」
「じゃ、もっとこっちおいで」
「おいで、って、かんとく…っ」

今でさえ椿の垂れた前髪が達海に触れそうなくらいに近いのに、これ以上どうしろと、と椿が目に見えて狼狽するのを達海は楽しそうに見やる。混乱と焦りに潤む黒い瞳に見つめられ、うっすらと口角が上がる。

「…!」
「こぉら、逃げないの」

達海の表情に思わず逃げようとした椿だが、達海の方が何枚も上手である。とうにその行動を読んで、さらに拘束を強める。いよいよ逃げ道がないと理解して椿は泣き出しそうな顔になった。

「なんて顔してんの」
「だって、恥ずかしい、っす…」
「そ?どうせならもっと恥ずかしいことしようよ」
「はっ!?」
「ほれ」

さりげなく椿の首に回した手で引き寄せる。何の抵抗もできずに椿は達海の導くままに体を下げ、楽しそうに吊りあがった彼の唇に自分のものを押し当てることとなった。

「…!」
「…、ふ、緊張しすぎ」
「だ、って…!」
「こういうのは慣れだよ。もう一回」
「んっ!」

少し離れたそれがまたくっつく。ふにふにと触れるだけのそれが、達海がいたずらのように伸ばした舌で舐めて、意味合いが変わる。
いや、達海にとっては最初から同じだが、椿はこの行為に含まれた意味に気付き始めて、しかしどうすることもできずに促されるままに唇を重ねて、柔らかい感触を享受する。

椿の息があがってきた頃、やっと達海は離してやった。

「慣れた?」
「…」

ふる、と声なく横に振られる首に達海はまた笑う。楽しそうに、そして少し困ったように。
初心な恋人は可愛いが、こうも純粋すぎると眩しくて困る。しかしそれ以上にこの無垢な相手を自分が開いていくことに歓びを感じる。

「慣れるまで、離してはやんねーからな」
「…、」

椿が何か言う前に達海はまた唇を塞いでしまう。しかし椿も、首を横に振ることはもうなかった。

上質の酒に意識を取られるような酩酊感に溺れて、ふたりはまた重なった。










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