いままでの人生において大した経験なんて積んでいない俺だからかもしれないけど、なんとなく恋というのはどこかふわふわしたものだと思ってた。そりゃあ何もかも優しいだけのものだとは思ってないけど(たとえば失恋とか当然ついてくる話だし)、でもいま俺が直面しているようなものとは別物だと思ってはいた。

―――だったら、俺が抱えているこれは何なのだろう?





「バッキー? どうしたの、そんないまにも泣きだしそうな顔して」
「王子…」

シャワールームから出るとまさかそこに人がいるとは思ってなかったから驚きに固まってしまった。しかも、その人が王子だったからなおのこと!

「ど、どうしたんですか、こんな時間までここにいるなんて…」
「尋ねてるのはボクの方なんだけどなぁ」

質問に質問で返すなんてマナー違反だよ、と王子に額をつつかれて小さく呻いてしまう。痛くはないけど、この人に叱られると申し訳なさでいっぱいになるんだよなぁ…。

「でも仕方ないから許してあげるし、質問にも答えてあげよう」
「、あ」

首にかけていたタオルを取られ、頭に乗せられた。そしてそのまま柔らかい手つきで拭かれる。

「おっ、王子!?」
「ちゃんと拭かないとダメだよ、バッキー」

ゆっくり、優しい動きのそれはまるで頭を撫でられているみたいだ。

「ボクが残っていたのはね」
「? …あ、はい」
「バッキーのことが心配だったから」
「え」
「飼い犬の面倒はしっかり見ないとね」

タオルで遮られた視界の向こうからクスクスと小さく笑う声が聞こえた。

「君はいつもいつもただ真っ直ぐに前を向いて全力で走ってるのがいちばん似合ってるよ。そんな悲しそうな顔じゃなくてね」
「…」

王子は不思議な人だ。俺は何も言ってないのに、俺のことを何でもわかるみたいで。不思議で…優しい人。

「話したいことがあるなら聞くよ?」
「…よく、わかんないんです」

最初はチームの先輩だった。年も近いし、ポジションの関係でよく一緒に行動することが増えて。代表に呼ばれたことや俺にはない強気な意思に、すごいとか羨ましく思う気持ちがあって。その中には憧れも含まれてて。でも、それがそれだけではなくなって。

「ときどきすっごく苦しくて。俺のことだけ見てほしいとか、そんなこと考えたりして。おかしいんです、俺。こんなの普通じゃない…」
「うん、普通じゃないかもしれないけど、みんなバッキーと同じ状況になれば思うことだから異常ってわけでもないよ」
「え、?」

王子の指がタオル越しに目許に触れる。じわ、と布地に水滴が染みた。

「いろいろ悩んだり迷ったりするけどね。結局は自分に素直になった方がいいんだよ。無理をしてもうまくいくわけないんだから。バッキーのやりたいようにやってごらん。失敗したらボクが慰めてあげよう」
「王子…」
「はい、あとは自分でドライヤーをかけなよ」
「あ、ウス!」

タオルを手渡され今度は直接頭を撫でられながら、ありがとうございました、と言うと王子はにっこりと笑って帰っていった。

話してすっきりしたのか、ちょっと気持ちが軽くなった。明日、勇気を出して正直な自分と向き合ってみよう。







「まったく、手がかかるよ、ウチの子たちは…」

車まで戻る途中、ちらりと見かけた見覚えのある姿に唇が綻ぶ。
ふたりとも自分に素直になってみればいい。そうすればもっと違う風景が見れるはずだ。

「ボクは君たちの味方だよ、バッキー、ザッキー」

可愛い可愛い飼い犬たちの未来を今晩の綺麗な月に祈った。





恋と呼ぶには深く




thx 空想アリア





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