泣き声がする。小さな小さな、か細い声が。

自分の手は大きくないから、せめて小さいものは取り零さずに救いたい。

たとえそれが儚いものでも、願う誰かにとっては唯一のものはずだから。





少女の目の前に小さな川がある。年端もゆかぬ少女の目にもさして大きくは映らない川だ。
しかし流れる水はどこまでも澄んで穏やか。夕焼けの熟れたような橙でキラキラと水面に光を弾く。

少女は握りしめた掌に力をこめた。そしてかみさま、と心の中で呼び掛ける。

近所に住む少し年上のお姉さんに聞いたのだ。この川には神様がいる。どんなに小さいお願いごとでも聞いてくれる優しい神様。でも優しい神様を困らせてはいけない。お願いごとは一度にひとつ。お供えものは忘れないように。あとは強く神様に願うだけ。声が届いたら、きっと神様は来てくれる。

かみさま、たすけて。
あたしのともだちを、たすけてください。

さらさらと流れる水音に変わりはない。指先が白くなるほどきつく握りしめた少女の瞳に光の粒が浮かぶ。雫の珠が零れ落ちる寸前、さわ、と風が水面と少女の頬を撫でた。

それはまるで、暖かく優しい手のように。





「見っけた!っとぉ、暴れんなよっ、て、イテテテ!爪たてんな…あっ!」

バリッ、と嫌な音をたてた四つ足の小さな獣はしなやかに体を捻り地面に降り立つと、目にも止まらぬ早さで背の高い叢の中に逃げた。遠ざかる葉の擦れる音に緑のジャケットを着た男がため息を吐くのと、その後ろから爆笑が響くのは同時だった。

「ぶっ、ははは!ざまぁないね、達海さん!」
「…持田ぁ…てめえ、いたんなら手伝え!年寄りばっかに働かせんなよ」
「ヤダ。見てる方が楽しいもん。それに神器に年は関係ないじゃーん」
「…っの、やろう…」

不機嫌に眉を寄せた男と、小馬鹿にしたような笑みを浮かべる男の視線が交わる。
不穏な空気を醸し出すその場を収めたのは走り寄ってきた青年だった。

「達海さん、持田さん、いけません!」
「「椿」君」

青年の登場にふにゃりと場の空気が緩む。
が、互いの表情に気づいた男ふたりがまた睨みあった。

「だからダメですってば!」
「「だってこいつが!」」
「お願いですから言うこと聞いてください!」

ふたりの間に物理的な距離を置くように身を割り込ませた青年が、達海と呼ばれる緑のジャケットの男に向き合う。
大きな黒い目に見据えられ、達海は瞳を和ませた。

「悪い、椿。ターゲット逃しちまった」
「それはいいですけど、達海さん、怪我をしてるじゃないですか」
「たいしたことねえよ?痛くもないし」
「あんなに痛がってたくせにー」
「うるせえよ」

まだ勃発しかけた睨みあいを気に留めず椿と呼ばれた青年は達海の手を取ると額の高さに持ち上げ、願うように頭を垂れた。

「…、」
「…治りました、ね」
「ん、バッチリ。ありがと、椿」
「いいえ」

傷の消えた達海の手の甲にうれしそうな顔を見せて笑う椿の横で持田は不服そうに唇を突き出す。

「達海さんだけずっりぃの」
「お前、何もしてないだろうが」
「それはほら、これからの働きに期待?つーわけで前払いヨロシク、椿君」
「え?」
「椿の肩を抱くな!」
「あっ、達海さん、ケンカはダメで、うわあああっ!?」

ベチッと持田の手を叩き落とす達海を止めようとした椿が突然発した悲鳴にぎょっとふたりも向き直る。
恐る恐ると足許を見た椿はあ、と呟いて悲鳴の元凶を持ち上げた。

「良かった、この子、自分から来てくれたんだ」
「えーナニソレ俺の努力はどうなんの?」
「椿君に治してもらえたじゃーん」
「それもそうだ」

足に擦り寄ってきた猫を抱き上げ、うれしそうに頬擦りをする主の姿に達海と持田はしょうがないなぁ、と笑った。





塀越しに庭へ降ろすと、それがいつもなのか窓へ走り寄った猫はカリカリとガラスを引っ掻いた。音に気づいたのかカーテンが開かれ、少女が顔を出す。そこに迷子になっていた愛猫を見つけた彼女は小さい悲鳴をあげて、窓から転がり落ちそうな勢いで飛び出すと友達を抱き上げた。猫は傷の癒えた尻尾で謝るように少女の腕を撫でた。





「良かったですね。怪我も酷くなかったからすぐに治りましたし」

にこにこと笑う椿の両隣で達海と持田は複雑な表情だ。

「ただの猫探しだったからいいけどさぁ…依頼主はあんな小さい子だし」
「いつかみたいに変なモノたちと戦わなくてよかったからまだいいけどさぁ…」

きょとん、と見上げてくる椿に視線を落とす。正確には、その手に握られた5円玉に。

「お供えが5円とかやめよーぜ、いい加減」
「だって昔からこうしてるんです」
「椿君、物価って知ってる?物の価値。100年前と今じゃ5円の価値は大違いなんだよ?」
「俺は100年も生きてない若輩者ですよ。それにほら、こんなにぴかぴかの5円玉!きっと持ってるなかでいちばん綺麗なものを選んでくれたんですよ」

その気持ちがうれしいんです、と謙虚に微笑む主である若い神に、神器ふたりは揃って天を仰いだ。



人の営みとは違ったところに、神器と呼ばれるモノたちがいる。彼らはその名の示す通り神の力を受ける器であり、契約を交わした主の力に応じて神器の力も、格や種類が変わる。

まだ社を持たぬ若い神である椿の神器である達海と持田は、今日も世間知らずな主の優しい微笑みにやっぱり自分がしっかりしなきゃだめなのだ、と内心で拳を握るのだった。



---------------<キリトリ>-----

毎日が達海さんと持田さんの椿争奪戦なのは言うまでもないです←




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