あれから俺たちは、たった二人で鍋を囲んだ。
二人きりで変な感じだったけど、かと言って変な行為はされず、出汁の効いた、不本意ながら味の良い鍋を食べた。
それから、名前は奈波だと教えられたので、歳上であろう奴をこれからはさん付けで呼ぶことになる。

鍋とは不思議なもので、心も和んでしまわなくもなく、うちの猫までちゃっかり餌付けされていて、すっかり奈波さんに懐いてしまった。
おまけに聞き上手なのか、俺の話を引き出しては楽しそうに聞いていた。

結局、本人が言った通り、変態行為をすることも無く、こちらが拍子抜けする程あっさりと奈波さんは帰っていった。
一体、あの人は何を考えているのだろう。


◇◇◇


全くわからない。
不本意な事ばかりだ。
世の中ホント理不尽だと思う。

俺はと言うと飲み屋でくだをまいていた。
駅近くのわりと小洒落たショットバーで、何杯目かの酒を煽る。

「そんなに飲んで、大丈夫かい?」

そっと優しげな声で俺に声をかけてきたのは、三十代と思しきサラリーマン。さっきからカウンターの二、三席離れた所で、俺の様子をチラチラ眺めていた男だ。
俺は、俺を見る他人の視線には敏感だった。
ねっとりと、絡め取られるような視線。かつて、それに散々苦しめられたから、似たような欲の滲み出るような視線はすぐにわかる。

……奈波さんのは、真っすぐなストレートな視線だったな。
鍋食べた日から、奈波さんは時々ふらりと姿を現しては、何をするわけでもなくすぐに帰っていくようになった。
って、何でここであんな奴の事を思い出すんだろう。あの黒い男に侵食されてしまっている証拠かもしれない。

俺はサラリーマンに向かって、微笑みながら言った。

「時間、ある? よかったらよそで飲み直しません?」

頬を染めたサラリーマンは、頷くと直ぐさま懐から財布を取り出して札を数枚抜き取る。


「ここは、出会いを斡旋してる店じゃねぇぞ。こいつの分は、俺が払う」

そんな言葉と共にサラリーマンを遮って、万札を数枚掴んだ長い手が後ろから伸びてきた。
振り返れば、相変わらず上から下まで黒ずくめの男が、俺たちを鋭い目で睨みながら立っていた。

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