リュシアン

 ようやく、再び己の腕の中に戻ってきた。
 涼太の体は何一つ変わってはいなかった。傷痕も、何もない白い体を抱き締めて、リュシアンは安堵の溜め息をこぼした。

 精霊の泉に涼太の姿が“見えて"、リュシアンは何もかも放り出して駆けつけた。そして、涼太が泉の中に閉じ込められてしまっている事を知り、無我夢中で助け出した。
 この世界で、過去にこれ程必死になったことはない。もう二度と、自分の目の前で失う訳にはいかなかった。

 泉の中で、衰弱しているにも拘わらず、リュシアンに向かって差し伸べられた手。頬の痛みを癒し、そっと浮かべた涼太の微笑みは、あの時と同じものだった。

 ぐったりとした体を抱き寄せた時、いつかと同じようにリュシアンの視界が白く埋め尽くされる。

「あなたの血が、この子を助けてくれます」

 光の中に、女が顕れた。女の顔は、相変わらずわからない。

「この世界の一部となり、この子を思い続けてきたあなたの血は、この子にとって特別です。オンディーヌを失い、過去の一部を封印されたこの子は、無防備で弱い。このヴィオをこの子に与えてください。あなたがこの子のために流した血で、ヴィオは紅く色付きました」

 女の隣に、小さな芽が生えた。それはみるみるうちに成長し、伸びた枝からは緑の葉が芽吹き、花を咲かせて実をふくらませる。青かった実は、次第に赤く変わっていった。

「これをこの子に……」

 実をもぎ取った女は、それをリュシアンに差し出した。片腕に涼太を抱えたまま、リュシアンは赤い実を受け取る。

「一つ、聞きたい事がある。どうして涼太だったんだ?」
「──この世界は、あなた方の世界に拠って出来た場所。人を守り癒そうとするには大きなエネルギーが必要です。不安定なこの世界には、そういったこの子の心の力が必要でした。あなた方がこの世界に喚ばれたのは、この子に必要だったからです。ですが、それだけではありません。最後の時、この子はあなた方の事を強く思いました。封印しても抑えられない思いは、あなた方を喚ぶには充分だったのです。あなたは哀しみますか?」

 女の話を聞きながら、リュシアンの涼太を抱く腕に力が籠る。

「俺が必要なら、いくらでも与えよう」

 リュシアンの言葉に頷いた女は、辛うじて見える口元を綻ばせた。慈悲の籠った淡い笑みは、涼太によく似ているものだった。




 白い景色から戻ると、泉の周囲を神官たちが囲んでいた。涼太を讃える者や、ぐったりした様子を心配する者、中には歓喜に落涙する者までいる。
 泉には、赤い実をつけた木が静かに佇んでいた。

 リュシアンに代わって涼太を連れて行こうとする手を遮り、急いで湯殿まで運ぶ。
 自らの手で涼太を湯槽に浸からせて、冷えきっていた体を温めた。搾らせたヴィオの果汁を自らの口に含み、色を失っている唇に寄せる。

 果汁を嚥下するのを確認すると、リュシアンは涼太のすべらかな頬に手を添えた。それから、震えている自分の手に気付き、涼太からそっと手を離す。

 涼太が自分を引き寄せた。その事実だけで、例え荊の道でも、リュシアンはこの世界を生きていけるだろう。
 涼太を失ってしまった、過去の自分はもういない。

 再びヴィオの果汁を口に含むと、紅く色付いてきた唇を塞いだ。




◇◇◇




「もう、私の妄想そのまま! だからお願いします!!」

 そうやって、ゲームのモデルを頼んできたのは、許嫁候補のうちの一人だった。
 変わった娘だった許嫁候補は、その後涼太を見付けて目の色を変えた。

「ああっ! あの子はなんて素晴らしいの……!」
「駄目だ」
「即答? 珍しいね、悧人がそんなふうになるなんて。でもそうね、心配する気持ちもすっごくよくわかる。あの子、襲われ体質っぽいもん。目を離したら、すぐにどこかに連れ去られちゃいそうだよ。あっ、こっち見た。……なんか悲しい顔してる。もしかして、焼きもち妬いてるのかしら」
「煩い。用が終わったなら帰れ」

 あいつは自分が注意して見ていればいいんだと、結局それは、ただの驕りでしかなかった。
 義母に反対されても、腕の中に閉じ込めていればよかったと、大きく後悔したのは大切な存在が腕の中から消えてからだった。
 それからは、長い後悔と孤独の日々を送ることになる。

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[mokuji]

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