34:王子様と恋の果実「精霊様、今まで本当によくぞご無事で……」
滝のように涙を流すユベールに、涼太は申し訳なさそうな表情をしながら、ハンカチを渡した。
ユベールは、オンディーヌの輪を盗まれた事で、責任を取るために、自ら命を絶とうとまでしたらしい。それを止めたのが、リュシアンだったそうだ。
今まで、ユベールがセリアのそばにいたのも、色々な思惑があっての事だったようだ。
「これからは、今まで我慢していた分、しっかりと精霊様のお世話をさせていただきますね」
「えっ、ユベール様!?」
それを聞いたマルテが、驚いた声を上げる。
「ユベール様は、神殿のお仕事でお忙しいのではありませんか? リョータ様のお世話は、私がいたします」
「おや、マルテは神官としての仕事を放棄するのですか?」
「でしたらユベール様も同じですよね」
何やら言い争いが始まってしまった。
間に立たされた涼太は、すつかり困り果てた様子だ。
「精霊様は、城で過ごされるので、お二方はどうぞ神殿の仕事にお励み下さい」
「何だって!?」
「どうしてですか!?」
バルトルの言葉に、二人が勢い良く反応する。
「そ、それは……」
顔を赤くさせながらもじもじする涼太に、ユベールとマルテの表情は、次第に苦いものになっていく。
「と、とにかく、これからは、お城で色々と頑張ってみるから、二人ともよろしくお願いします。祝祷とか、分からない事を教えてください」
「はい……こちらこそ、よろしくお願いします……」
「私が精霊様とお会いできないうちに、いつの間に……」
「あの、俺では不安かもしれませんが……」
テンションが低くなった二人に、涼太は落ち込んだ。
肩を落とす涼太の背後からバルトルにも睨まれて、ユベールとマルテは、慌てて笑顔になった。
「不安なんかありません! リョータ様は最高の精霊様なので!!」
「何でも聞いてくださいね。私が色んな事をお教えいたします、二人きりで」
「ユベール様とお会いになる時は、私にも声をかけてくださいね、リョータ様」
「マルテは神官の仕事が忙しいでしょうから、私だけで充分です」
「あ、あのっ、二人ともありがとう! それで、俺、これから用があるから、また改めて!!」
「あっ、精霊様!?」
「リョータ様!」
涼太は二人に手を振ると、そさくさと部屋から出て行った。
ユベールたちと別れた涼太は、その足でシルヴァンの所へ向かった。
迎えられた部屋にはリュリュがいて、お互いに挨拶を交わす。シルヴァンに、リュリュに会えるように、お願いしていたのだ。
リュリュは、もうすっかり体調も良くなり、顔色もいい。ピンク色の髪も艶やかで、肌もツルツルになっていた。
「精霊様にお似合いだと思って、これはいかがですか?」
リュリュが取り出したのは、薄くて白い服だ。それを手にしながら、涼太に小声で話しかける。
「これをお召しになれば、どんな殿方でもイチコロですよ」
「……う、うん」
涼太は言われるまま、わざわざ別室に案内されて、リュリュに渡された服に着替えた。
白いピラピラの服は、ずいぶんと大胆なものだった。肩も露で、お腹の部分の布は透けている。長ズボンかと思ったが、大部分が透けていて、短パンと言ってもいいような感じだった。
(本当に、これでイチコロになるのか……?)
着替えた部屋から出て、恐る恐るみんなの待つ所に行く。
「まあ、素敵!!」
とリュリュは笑顔だったが、シルヴァンは相変わらずいつも道りで、バルトルには視線を微妙に反らされてしまった。
「じ、自信ないんだけど……」
「大丈夫大丈夫!」
え、なんか信用できないんだけど、と思っているうちに、リュシアンが部屋にやって来てしまった。
「せっ、精霊、様……!?」
リュシアンと一緒に来ていたアランが、声を上げて足を止める。
リュシアンは、真っ直ぐ涼太の元に来ると、自分の上着を涼太の肩に掛けた。
「そんなに薄着では、風邪を引いてしまいますよ」
ニッコリ微笑むリュシアンには、全く悪気はないのだろう。
吹き出すのを耐えるような、微かな声が聞こえてくる。視線を向ければ、シルヴァンが肩を震わせていた。涼太の視線に気付くと、こちらに向かって口パクをする。
『い、ろ、け、が、た、り、な、い』
(そんな事は、自分が一番よくわかってるからーっ!)
案の定、お色気作戦は失敗したけど、リュシアンが自分を心配して、こうして上着を掛けてくれた事は嬉しい。
「さあ、温かい飲み物でも飲みましょうか、精霊様」
リュシアンの言葉を合図にするように、みんながそれぞれ用事を思い出して、部屋から退出してしまった。
「……行っちゃったね」
リュシアンと二人で残された気恥ずかしさに、涼太は明るい声を出した。
「寂しいですか?」
「ううん。寂しくないよ。でも、リュリュとはまたゆっくり話したいな。赤ちゃんも時々動くようになったんだって」
それから少し黙ってしまった涼太に、リュシアンが声を掛ける。
「どうかしましたか?」
「……うん、母さんの事少し思い出しちゃって。俺がお腹にいる時とか、どうだったのかな」
「気になりますか? それでしたら、見に行ってみてはいかがでしょう」
「見に行く……?」
「ええ。会いたいと思えば、出来ると思います」
リュシアンがそう言った途端、涼太の背中から翼が現れた。
目の前の空間がぼやけたかと思ったら、何かの映像を映す。次第に焦点が合い、はっきりと見えてきた景色に、涼太は息をのんだ。
そこにあったのは、涼太のベッドにすがるような格好で泣いている、母の姿だった。
「……母さん……!」
涼太の声が聞こえたのか、ぴくりと肩を震わせると、母は顔を上げる。すっかり窶れてしまっていた母の姿に心を痛めていると、彼女が声を上げた。
「涼太!!」
「えっ? 母さん、見えるの?」
涼太に向かって、母が手を差し伸べる。だが、間に透明な壁があるようで、触れる事が出来ない。
「涼太、何処に行っちゃったのよ。まさか、暁さんが涼太に手を出したの? だから嫌になっちゃったの? みんなには、涼太に関わらないようにって言ってたのに……」
「母さん、それどう言う事? 俺、お義父さんから何もされてないよ」
「本当に!?」
「うん。でも、関わらないようにって何で?」
「また怖い思いをさせたくなかったからよ! 母さんのせいで、また……」
そう言って涙を流す母に、涼太は胸を痛めた。涼太と同じように、母だって傷付いていたのだ。
「大丈夫だよ、俺はもう。だから、母さんもあの時の事は忘れて。俺、母さんに守られてたんだね」
「当たり前でしょう。涼太は大切な私の子どもだもの。楽で幸せな暮らしをしてほしかったの」
「う、うん……」
楽の所は、涼太からすれば、母は必死すぎだったように思う。でも、間違いなく大切にされて、愛されていたのだと分かった。
「ところで、涼太、そちらの方は、もしかしてパトロンさん?」
ちらりと母がリュシアンを見ると、リュシアンは優しく微笑み返していた。
リュシアンの格好は、どこから見ても王子様だ。母には、きっと大層なお金持ちに見えている事だろう。
「ち、違うよ! 俺の、その……大切な人」
「まあ! 玉の輿ね!!」
「あ、あのね、母さん。俺、この人……リュシアンと一緒に幸せになりたいんだ。だから、母さんもお義父さんと幸せになってほしい」
「……」
「ごめんなさい。勝手に……」
視線を涼太が落とすと、母はリュシアンをじっと見つめた。
「ええ、分かったわ」
「母さん……」
大粒の涙を流す母の姿に、涼太は胸が引き絞られるような気がした。けれど、涼太は母の元に戻って、その涙を拭う事は出来ない。
「涼太、楽しながら幸せに暮らすのよ。私も暁さんと、もっともっと幸せになるから」
「……うん、母さんもね。また母さんに会いに来るから。だから、元通りの綺麗な母さんに戻ってね」
「ええ、約束よ。絶対に会いに来て……!」
窶れていても、綺麗な笑顔を残して、母の姿が消えた。
「……よろしかったのですか? 精霊様の力を使えば、向こうにだって帰る事が出来たかもしれないのに」
「嫌だ。リュシアンと離れるなんて、出来ないよ」
リュシアンの手を取ると、涼太は手のひらを広げた。そこには、握り締められて出来た爪の痕が残っている。
それを癒してから、リュシアンの青い目を見上げた。
「リュシアンも、同じ気持ちでいてくれて嬉しい」
リュシアンの胸に頬を押しあてると、涼太は長い腕に抱き締められる。
いつまでもリュシアンと一緒にいたい、それが涼太の一番の願いだった。
end.
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