30:王子様と白い羽

 気が付くと、涼太の体はふわふわと浮かんでいた。
 両足が、地面から数メートルも離れている。

「……飛んでる……。うわっ、羽が生えてるし!!」

 背中に違和感があったので見てみれば、純白の翼が生えていて、元気よくバサバサと羽ばたいていた。

「てか、髪も長っ!!」

 長い黒髪が目に入り、一房掴んで引っ張ってみると、しっかりと痛みを感じる。歴とした自分の髪である。

「何でこんな事になってるんだ……?」

 いつの間にか、髪の毛が長く伸びていて、背中には翼まで生えていた。おまけに、全身真っ白な、肌触りのいい服になっている。

 考えたくはないが、もしかして、自分は死んでしまったのだろうか。

 髪を掴んだまま、呆然と辺りを見回せば、目の前に見覚えのある大きな城があった。

「これって、アーレンスのお城!?」

 涼太が、夢中でプレイしていたBLゲーム。それに出てくる、立派なお城によく似ている。
 神殿と、もうひとつのメインの舞台になる城は、お伽噺のように真っ白で、とても優美なデザインだ。それと同じ城が目の前にあり、近くには緑の深い森と、美しい街並みまでが広がっていた。

「えっ、何で? どうなってんの……」

 自分はついさっきまで、そのゲームをプレイしていた所ではなかっただろうか。
 よくよく考えてみれば、TRUEENDの精霊が、今の涼太の様な姿形をしていた気がする。
 ゲームをやり過ぎて、自分が主人公になった夢でも見ているのかもしれない。

「なら、リュシアンはいるのかな? 俺の夢なら、絶対にいるんだろうけど」

 リュシアンに会いたい。
 そう思ったら翼が大きく羽ばたき、ふわふわと涼太の体は城へと向かって飛ん行く。まるで、翼自体に意志があるかのように、一つの塔に向かって真っ直ぐに進んでいた。

 城のあちこちには、見張りの騎士たちが立っていたが、誰も涼太の存在に気付いていない。

(……やっぱり、都合のいい俺の夢なんだ)

 飛び続ける涼太の翼は、目的地だったらしい塔に近付いた。
 三階にある、大きな窓の前には広いテラスがあり、涼太はそこへと降り立つ。

「この中にリュシアンが……あっ!」

 中を覗き込んで、涼太は声を上げた。
 小さな男の子がいる。こちらに体を向けて座っている男の子は、涼太のよく知る人物に似ていた。

「悧仁(りひと)兄さん……?」

 いつか写真で見た事がある、幼い頃の義兄に似ている。あれは、五歳くらいの時のものだっただろうか。
 異国の血が流れている義兄は、子どもの頃はその特徴が良く出ていたのだ。

「でも何か違う。……あっ、あれはリュシアンか。天使だ、天使がいる!」

 幼い上に、実写版だったから気付かなかった。あの美しいプラチナブロンドは、リュシアンに違いない。
 白い肌に薔薇色の頬。涼太の背に生えている翼は、あそこにいる小さなリュシアンにこそ似合うと思った。

 だが、絵本を持ってクッションの上に座っているリュシアンの目は、とても暗く、子どもらしい輝きは感じられない。綺麗な青い目はガラス玉のようで、そこには何も映していなかった。
 可愛らしい姿を見られたのは嬉しいが、そんなリュシアンの様子に、涼太は不安になる。

(リュシアン……)

 その時、侍女らしき人が、背後からゆっくりとリュシアンに近付いてきた。
 侍女の手には、キラリと光るナイフがある。だが、リュシアンは気付かないのか、微動だにせずにそこに座ったままだ。

「危ないッ、リュシアン!!」

 涼太の翼が大きく羽ばたいた。
 強い風が起こり、窓ガラスが砕けて飛び散る。何故か、激しい音は聞こえず、全てが無音だった。
 だが、そんな事よりもリュシアンだ。夢中で部屋の中へ飛び込んだ涼太は、リュシアンを両腕で抱き締めた。

 部屋の中は、台風でも通ったかのように散乱していた。その中で、侍女は倒れて気を失っている。

 涼太は、リュシアンを抱き締めていた腕を緩めた。
 顔を上げたリュシアンが、涼太を目にした途端、大きく目を見開く。ガラス玉のようだった目に、次第に涙が溜まり、キラキラと輝きだした。
 リュシアンには、涼太の姿が見えているらしい。

「驚かせてごめんね。怪しい見た目だけど、全然怪しくないよ。怪我はなかったかな? ……ああぁっ、大変だ!!」

 リュシアンの小さくて可愛らしい手に、傷を見付けてしまった。瘡蓋になっているから、今の衝撃での怪我ではないようだ。

 涼太は、この傷を治す事ができる気がした。教えられてもいないのに、方法もわかる。

(まあ、夢だし精霊になっちゃってるし、何でもアリだよな)

「ちょっと触らせて」

 瘡蓋に触れると、じんわりと温かい光が自分の体から溢れて、リュシアンを柔らかく包む。
 すると、涼太の脳裏に、男に殺されそうになっているリュシアンの姿が浮かんできた。どうやらこの傷は、その時に出来たもののようだ。

(そう言えばリュシアンて、幼少期は王様の後妻から命を狙われてたんだったよな)

 そう毎回襲われていたら、絶望したような表情になっても仕方がないだろう。
 瘡蓋は傷痕もなく綺麗になったが、怖かった思いは消えたりしない。

(リュシアンは、自分の力で後妻を追い出していたはずなんだけど、もっと成長してからだからな……)

 それまで、リュシアンをこんな状況の中に置いておけるはずがない。
 涼太が、ずっとそばにいられればいいのだが、今は長くここにいられない気がしていた。

(例え夢の中でも、リュシアンはリュシアンだ。何かしないと心配だよ。……そうだ、俺の翼をリュシアンにあげればいいんだ。チート能力を詰め込んで、リュシアンを守ってもらおう)

 そう考えたら、涼太の手のひらに真っ白な羽が現れた。

「これだ!」

 涼太が笑顔で、白い羽からリュシアンへと視線を向けるが、すぐに笑顔は引っ込んでしまった。
 リュシアンは、目に溜まっていた涙を静かに流していたのだ。まるい頬を次々に伝う涙。その姿が痛々しくて、涼太も一緒に泣きそうになってしまう。

「もう大丈夫だよ。これがあればリュシアンを守ってくれるからね」

 羽を握らせてから、リュシアンの手ごと、涼太の手のひらで包む。すると、小さな手の中で、羽は淡い光を放った後、溶けるように消えていった。

 扉の向こうが慌ただしくなる。ようやく異変に気付いた護衛たちが、助けに来たのだ。
 リュシアンとは、ここで別れなくてはならない。涼太は、別れの挨拶の代わりに、リュシアンの手を握った。

「今は辛いかもしれないけど、必ず立派なイケメンに成長するから大丈夫だよ」
「お前が精霊になったのなら、また会えるんだな?」

 可愛い声だったが、随分と大人びた口調だった。
 再会を望むような言葉が嬉しくて、涼太はリュシアンに向かって大きく頷くと、そっと小さな手を離す。
 リュシアンの目は、最初に見た時よりも力強い光が宿っており、安心した涼太は、窓の外へと飛び立った。





 ふと目を開けると、立派なイケメンに成長したリュシアンが、涼太の目の前にいた。

(……あれは、夢じゃなかったんだ。どうしてさっきの事、今まで忘れてたんだろう)

 泉の中から、リュシアンが助けてくれる前の出来事だ。

 小さなリュシアンと別れて、涼太が窓から飛び立った後、急に神殿の泉に引き寄せられてしまったのだ。泉の上で翼が消えてしまい、そのまま泉の中に落ちてしまった。
 それがどうしてそうなったのか、再び気付いた時には、随分と時間を経てしまっていた。リュシアンが、麗しく成長していたくらいに。

「少し気を失われていましたが、大丈夫ですか?」
「うん。……よかった、今までリュシアンが無事で」
「あなたのお陰です」

 嬉しそうなリュシアンに、涼太も笑顔になった。

「さあ、皆が精霊様のお目覚めを喜んでいます。少しだけ手を振って差し上げてください」
「え……?」

 リュシアンに言われて、ようやく大きな歓声が聞こえて来た。
 リュシアンに手を引かれて立ち上がると、背中がワサワサと揺れる。

「羽が……!」

 たった今、思い出した記憶にあった自分の姿と同じく、背中から翼が生えていた。
 羽が揺れる度に、歓声が上がる。広場にいる人たちが、舞台の上にいる涼太を注目しながら、お祭り騒ぎになっていた。

「あ、俺……」

 後退る涼太に、静かに近付いてきたシルヴァンが、そっと耳打ちした。

「精霊様、笑顔で手を振るだけです。そうしたら、リュシアン様とランデブーですよ」
「らんでぶー……」

 意味は分からないが、リュシアンと何かできるならと思い、笑顔で手を振った。引きつった笑顔だった上に、手は震えていたが。

 すると、一際大きな歓声が聞こえてきて、驚いた涼太の翼は、小さく縮こまってしまった。
 それさえも喜ばれてしまい、今度こそ涼太は逃げ出したくなる。だがその前に、リュシアンにあっさりと横抱きにされてしまった。

「リ、リュシアン!?」
「お疲れのご様子なので、城に戻ります」
「でも、祭りは……」
「そうですね。精霊様がお目覚めになったので、ノートルスウェは、過去に類のない程の盛り上がりを見せるでしょう」

 そう言う意味で聞いたのではないのだが、リュシアンは涼太を抱えたまま、さっさと歩き出してしまった。

「あ、セリアは……?」

 そう言えば、セリアの姿が見当たらない。

「彼からは、色々と話を聞かなければなりませんので、城へ連れて行きました。さあ精霊様、笑ってください。皆が見ていますよ」
「や、やめてくれ……」

 ふるふると首を振る涼太を見て、リュシアンが微笑む。
 どこか涼太の反応を楽しんでいるようで、それが何だか意地悪っぽく感じた。今まで感じた事のないリュシアンの雰囲気に、涼太はどきりと胸を鳴らす。
 そんなリュシアンに見惚れている間に、涼太は馬車へと連れ込まれたのだった。

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