29:天使の羽 広場にいる人たちは、セリアの普段とは違った雰囲気を見守るように、それぞれが様子を伺っていた。
「精霊様は、オンディーヌの輪を持っていないんですよね? なのにどうしてその人は助かったの? アンジュの花を飲んだはずなのに……」
セリアが、リュリュの方へと視線を向ける。
何か今、物凄く聞き捨てならない台詞を聞いてしまったような気がするのは、涼太だけではないはずだ。
「リュシアン、アンジュの花って?」
「干したアンジュの花を煎じて飲めば、その後死に至るものです」
「嘘だろ!? リュリュに毒を盛ったのは、セリアだったの?」
「違う、僕じゃない!」
「じゃあ、どうしてリュリュが飲まされた毒の事を知ってるんだよ」
「僕は飲ませてなんかいない。リュシアン様に馴れ馴れしくするから、僕のために誰かが飲ませたんです」
「僕のためって……」
はっきり言って、それって教唆の類いではないだろうか。もし、誰かをそうするように仕向けたなら、それは充分犯罪に値する。
「それに精霊様、どうやってあの人たちを正気に戻したんですか? そんな力、僕は知らない」
「それは、俺も知らなかったんだけど……」
「セリア」
じっと涼太を見つめているセリアのもとに、ユベールが近付いて行った。
ユベールに気付いたセリアは、彼にすがるように抱き付く。
「ユベール様!」
「セリア、あなたは昨日の夜、一体何をしていましたか?」
「昨日? お祭りの準備ですが」
不思議そうに首を傾けるセリアだが、そんなセリアを見下ろしていたユベールの表情が、悲しげに歪んだ。
「祭りの準備とは、彼らと密会していた事ですか? 操られて、武装していた彼らと、セリアは夕べ会っていましたね?」
「ユベール様、どうして……」
(えっ、どう言う事なんだ? 黒い靄を操っていたのって、セルジュじゃなかったのか?)
それとも、セリアもセルジュも、二人とも人を操る事が可能だったのだろうか。
(……もしかして、オンディーヌの輪を共有していた、とか?)
その可能性だって、充分にあり得る。
「セリア、例え直接手を下さなくとも、人を思いのままに操り、人を傷付ける事は良い事ではないのですよ。私は今まで、あなたを信じていました。ですが、あなたはもう、癒しの力を持つには相応しくありません」
「そんなはずありません! 僕はみんなのために頑張っていたんですよ? 今日だって、リュシアン様に認められたから、こうして僕はここにいるんです! リュシアン様、そんな所にいらっしゃらないで、僕のそばに来てください!!」
「セリア、リュシアン殿下は仰っていたはずです。今日のあなたは、精霊様の代わりだと……」
ユベールの言葉に目を見開いたセリアは、暫くすると大粒の涙を流し始めた。
「……どうして、僕はただ、リュシアン様のそばにいたかっただけなのに」
涙を流すセリアを見ていると、涼太の胸は痛くなる。
本当にみんなを操っていたなら、それは悪い事だけど、リュシアンを想う気持ちならよく分かるからだ。
「みんな、精霊様に騙されてるんだ。だって、あの人はオンディーヌの輪を持っていないんですよ? リュシアン様、早く離れてください! みんな、あの人を捕まえて!!」
セリアが、周りにいた騎士たちに向かって命令した。
彼らは、取り憑いていた黒い靄を、涼太が浄化した騎士たちだ。
「みんな、早く捕まえて!!」
「セリア様、落ち着いてください」
「どうしてなの、みんな。……フェリクス様!!」
騎士たちが動かないと分かると、セリアは近くにいたフェリクスの名を、助けを求めるように呼ぶ。
セリアに名前を呼ばれたフェリクスは、とても悲しそうな表情で、首を横に振った。
「セリア、精霊さまを捕まえる必要はないんだよ」
「どうして!?」
どう足掻いても、フェリクスたちがセリアの言う事に従う事はなかった。
そんな状況に、セリアは絶望に染まったように顔色を無くした。
「あなたたちも、僕の言う事はもう聞いてくれないんだ……。人を操っているのはあの人じゃないんですか? 僕は悪くないのに。だって、オンディーヌの輪は僕が持ってるんだから。オンディーヌを扱えた僕に、みんなが従うはずだったのに!!」
そう叫んだセリアは、服の裾を捲り、足に嵌めていた黄金色の輪を引き抜いた。
「こんなもの、何の役にも立たなかった!!」
セリアが、キラキラと眩しい光を放つ黄金色の輪を、力一杯に地面に叩きつけた。
「セリア!!」
ユベールが手を伸ばしたが間に合わず、黄金色の輪は、呆気なく真っ二つに割れてしまった。
二つになってしまった輪から、見る見るうちに黄金色の輝きが失われていく。
「あ……っ」
「精霊様!?」
胸に鋭い痛みが走った涼太は、その場に倒れそうになる。
咄嗟にリュシアンに抱き止められたが、何だか力も抜けてしまったようで、そのまま体を預けてしまった。
「あぁぁぁぁぁぁ……!!」
悲痛な叫び声が聞こえて来た。
リュシアンに支えられながら、そちらに視線を向ければ、セリアが胸を押さえながら倒れている所だった。
ユベールに抱き起こされたセリアを見て、涼太は小さく悲鳴を上げてしまう。
可愛らしかったセリアの顔に、徐々に皺が増え始めて、髪の色も段々と薄くなっていく。
セリアに起こっている異変に、周囲のみんなは呆然としていた。
「……セリアは、どうしたの?」
「恐らくセリアは、オンディーヌの輪を介して力を使っていたのでしょう。精霊ではないため、本人の体にだいぶ負担がかかっていたのかも知れません。オンディーヌの輪が壊れてしまったせいで、その反動が出たようです」
その間にもセリアには皺が増え、徐々に髪も白く変わっていく。
自分の異変を感じたのか、皺だらけの両手を見て、セリアが悲鳴を上げた。
「いやぁぁぁっ! どうしてこんなっ、リュシアン様助けて!!」
泣きながら、リュシアンに向かって手を伸ばすセリアを見ていられなかった。
涼太がもしセリアの立場だったなら、リュシアンを想うあまり、もしかしたら同じような事をしていたかもしれない。
リュシアンは精霊の像を大切にするほどだから、そんなリュシアンを知っていたら、自分も精霊になりたいと思ってしまうだろう。
涼太には、いつもリュシアンがいてくれて、危ない時は助けてくれたし、励ましてくれた。けれど、セリアはどうだったのだろうか。彼は、本当に辛かったのかもしれない。
やり方は間違ってしまったけれど、このまま老人のようになって、朽ち果ててしまうのは駄目だと思った。きちんと犯した罪は償って、傷付けた人に謝るべきだ。
それに、セリアにだって幸せになってもらいたい。
そう思ったら、涼太の体から光が溢れだした。
「精霊様!?」
リュシアンが驚いた声を上げるが、涼太の体から溢れた光は、どんどんセリアへ降り注いでいく。
それに気が付いたのか、セリアが顔を上げて涼太を見た。
「桔流、涼太……、どうして……」
(え? 今何て言った?)
「精霊様、いけません。力を使い過ぎてしまいます!! 精霊様!」
涼太を抱えていた、リュシアンの手に力が籠る。
確かに、さっきのダメージが大きかったようで、涼太の体はへとへとだった。
「……あなたはどうして!!」
心の底から嘆くようなリュシアンの声を聞いて、涼太も悲しくなってしまった。
だが、セリアをあのままにはしていたくなかった。
「精霊様……」
リュシアンが呟くと同時に、ふわり、と気持ちの良い風を感じた。
リュシアンを見上げれば、彼の背中から大きな白い翼が生えているように見える。その姿はまるで、本物の天使のようだった。
(リュシアン……?)
瞬きをすると翼は消えていたが、いつの間にかリュシアンは真っ白な羽を手に持っている。
「これをあなたにお返しします」
そう言ったリュシアンが、白い羽を涼太の胸元に乗せ、その上から手をあてた。
じわり、と胸の辺りが温かくなり、急に涼太の中に力が満ちていくのが分かる。満ちた力は、すぐに光となって、涼太の体から外へと溢れだした。
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