25:祭りの準備

 扉の閉まる音がして、我に返った涼太は、今の自分の立場を思い出した。
 床は水浸しになっていて、ガラスの破片が散らばっている。慌てて破片を拾おうとして、横から伸びた手に指を掴まれた。

「あっ、リュシアン」
「危ないですよ」

 間近に来ていたリュシアンに、下から掬い取るように手を握られる。そんな仕草に驚いている間に、簡単に抱き上げられてしまった。

「うわっ!」
「怪我はないですか?」

 そのまま長椅子に涼太を下ろしたリュシアンが、手足に怪我がないか確認してくる。
 今の涼太は従者の姿なのに、これでは立場が逆になってしまっている。もし、セリアが戻って来てしまったら、大変な事になるだろう。

 涼太が、こんな姿をしているのには訳がある。
 リュシアンの離宮で、精霊の像を見た後、しばらく悶々としながら過ごしていら、突然シルヴァンが迎えに来たのだ。
 前回騎士たちを味方につけていた行動が、案の定リュシアンたちにはバレバレだったらしく、今度はリュシアンのそばで、また続けて欲しいと頼まれたのだ。
 涼太にとっても、それは願ったり叶ったりだったため、二つ返事で了承した。 ただ、涼太は行方不明になっていなければならないので、変装する事になり、今に至る。

 髪と目の色は、前髪の長い鬘を被って隠してはいたが、セリアが来た時は、なるべくリュシアンの影に入るようにしてやり過ごした。セリアにバレなくて本当によかったが、慣れない行動で、早速失敗してしまったのだった。

「片付けないと。俺が不注意だったせいで、ごめんなさい」
「いけません。怪我をしてしまいます」
「……でも」

 早く拭いてしまわないと、高そうな敷物が傷んでしまいそうだ。

「こちらが先です」

 そう言って跪いたリュシアンは、従者用のペラペラなズボンの裾を捲ると、刺繍の綺麗な布で涼太の足を拭い始めてしまった。

「リ、リュシアン……!?」

 履き物まで脱がせられ、素足に布があてられる。

「大丈夫だから。俺、自分で……ひゃっ」

ふくらはぎの辺りをリュシアンの指が滑り、悲鳴が出てしまった。

「嫌でしたか?」
「い、嫌じゃない、けど……」

 こんなに近くで、そんな触り方をされたら、昨日の事を思い出してしまう。
 やっと、頑張ってリュシアンの顔が見られるようになったと言うのに。
 今の涼太の顔は、真っ赤になっているに違いない。ただ足を拭いてもらっているだけなのに。

「んっ……」

 リュシアンが足を拭っている間、涼太は目を閉じて耐えた。
 動作が止まったので、おそるおそる目を開けてみると、リュシアンの青い目が、じっと涼太を見ていた。
 吸い込まれそうな瞳に、思わず見入ってしまう。すると突然、長い腕に抱き込まれてしまった。

 リュシアンに、思いっきり抱き締められている。温かい体温やリュシアンの呼吸が直接伝わってきて、涼太は呆然としながら抱擁を受け入れていた。

「行ってしまわれるんですよね。あの話を聞いて、あなたが大人しくしているはずがない」

(……あ、まだリュシアンは不安なんだ)

 理由を理解して、涼太はようやく落ち着きを取り戻した。

「うん。俺は怪我をした人たちを治したい。それに変な噂をたてられて、黙ってなんかいられないし」

 一層腕に力を込められる。涼太は心臓をドキドキさせながらも、されるがままになっていた。

「そんなあなたを誇りに思う。けれど、ずっと私の従者のままだったらよかったのに」
「リュシアン……」
「絶対に、無茶な事はなさらないで下さい」
「うん。必ず帰ってくるから」

 リュシアンの大事な精霊を、悪者になどさせたくなかった。




◇◇◇





 マルテとバルトルも一緒に街へ出る事になり、涼太は二人と再会した。今回は、シルヴァンも同行するらしく、彼の姿もある。

 マルテには案の定泣かれて、バルトルからは、土下座される勢いで謝られたが、それは丁重に遠慮しておいた。
 彼は、セルジュに襲われた時、自分の仲間に助けられたようだ。そのお陰で、リュシアンも早く涼太を助けに来る事ができたらしい。

(まだ他にも、忍者みたいな人たちがいたんだ……)

 そんな事を思っていると、酷く真剣な様子のマルテが近付き、涼太に耳打ちしてきた。

「リョータ様に、お知らせしたい事があります。神殿の書庫で様々な文献を調べておりました。禁帯出の文献の中に、精霊ではない者がオンディーヌの輪を手にすると、その者は悪に染まると書かれていたものがあったのです」
「悪に染まる……」
「はい。ただの戒めかもしれませんし、確証はありませんが、その様な内容でした。リョータ様が仰っていた黒い靄も、それに関係しているのかもしれないと思ったのです」
「そうなんだ……。忙しいのに、ありがとうマルテ」

 それが本当なら、今のところセルジュが怪しい。彼が、オンディーヌの輪を持っている可能性がある。

「そろそろまいりませんか?」

 シルヴァンに促されて、涼太たちは街へと向かった。


 アーレンスの城郭都市は、整備されたとても綺麗な所だった。大きな祭りも近いとあって、活気があり賑やかだ。

 そんな中、外国人の一行が街の中を通り過ぎて行く。変装した涼太たちだった。
 涼太は、絹の様な感触のヴェールを頭からすっぽり被っている。女性用なのかと思ったが、一定の身分の者は、顔を隠す習慣の国だったらしい。

「よろしいですか、絶対に私から離れないでくださいね」

 そう言うマルテに頷いて、涼太は辺りを物珍しげに見回した。

 ピンク色の髪の女性が、元気に働いている姿を見付けて、涼太は胸を撫で下ろす。でも、お腹に赤ちゃんがいるのに、じっとしていなくて大丈夫なのだろうか。
 そんな心配をしていたら、体調がいいなら程々に動いていた方がいいと、シルヴァンが教えてくれた。

「リュリュさん」
「はい。……あっ、シルヴァン様? 今日は、外国の服を来ていらっしゃるんですね」

 シルヴァンが声を掛けると、ピンク色の髪の女性がニッコリと可愛らしい笑顔を見せた。

 シルヴァンたちは、神殿で涼太が力を使った人たちの様子を、時々見に行っていたらしい。

「怪我をされた方がいると聞いたのですが」
「ええ。大した怪我では無かったのですが……」

 そう言ったリュリュが、表情を曇らせる。

「その人は、私と一緒に精霊様から力を与えていただいていたので、その精霊様が偽物だったんだと騒ぎ立てる人がいたんです」
「そうそう」

 相槌を打ったのは、リュリュの隣にいた女性だ。

「でも、それこそ嘘だって言ってやりましたよ。だって、私たちを助けてくれたあの優しい力は、絶対に本物でしたから」
「きっと精霊様に会えた私たちが羨ましかったのよ。だから、私たちの周りは、誰も信じちゃいませんでしたよ」
「その人も、精霊様がお元気になられるまで、我慢できなかったんでしょうね」

 いつの間にか、涼太は病弱設定になっていた。
 神殿で無闇に涼太が力を使ってしまったので、混乱を避けるために、臥せっている事になったらしい。オンディーヌの輪がないから無理と伝えたのでは希望がないし、実際に皆の前で力を使ってしまっていたからだ。
 力を使った後、涼太がぶっ倒れていた様子も目撃されていたので、皆信じているようだ。

「精霊様がお元気になられれば、また皆さんもお会いできるようになり、力も存分に発揮してくださいます。祭りを盛り上げて、元気付けて差し上げてください」

 シレッとした表情で、シルヴァンがそう告げた。

(じゃあ、ノートルスウェまでに、オンディーヌの輪を見付けるか、俺が最終形態になって羽を生やさなきゃ駄目って事?)

 これ以上噂を助長させずにいるためにも、早いほうがいいに決まっているが、それが難題だった。

 羽を生やすには、攻略対象を全員落とさなければならない。考えてみれば、いつの間にか全員と会話はしていたが、リュシアン一筋の涼太に、あの強烈な人たちを落とすなど無理だ。
 結局、オンディーヌの輪を見付けるしかないのだ。

「精霊様のためなら、お祭りの準備にだって力も入りますよ。今回はリュリュが、リュシアン様に花束を献上する事になったし、尚更ね」
「はい。以前侍女をさせていただいたご縁で、とても嬉しいです」

 可愛らしく頬を染めるリュリュに、涼太は少し複雑な気持ちになりながら、ある事を思い出した。

(そう言えば、祭りの当日のリュリュの事故って、セリアが助けるんだったよな。でもセリアは祭りの主役だし、誰が……って俺か!?)

 セリアが無理なら、そうなれば、助けられるのは涼太しかいないだろう。彼女は身重なため、失敗は許されない。

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