15:ささやかな時間

 少し冷たい指が、涼太の首筋を時々掠める。そのたびに、震えそうになる体を抑えるのに必死だった。

「精霊様、もう少しですよ」

 カチカチになったまま、後ろにいるリュシアンに小さく返事をする。

 王子様に髪を切って貰っていた。
 あり得ないくらい贅沢な状況に、涼太はずっと緊張し続けている。

 涼太の目の前には、美しい景色が広がっている。
 両腕をのばしても届かないほど、大きな窓を開け放して、爽やかな風と庭の美しい花々を感じられるのは、確かにいい気分転換になるだろう。ただ眺めていればいいだけだったなら。

 緊張する涼太をよそに、リュシアンは作業を進めていく。繊細な手付きで、ギザギザになっていた涼太の髪を整えていく彼は、本当に何でも出来てしまうらしい。

「ひぁっ……」

 不意に、リュシアンの指が耳に触れた途端、涼太の口から変な声が出てしまった。

「申し訳ありません。大丈夫でしたか?」
「ふぁいっ」

 心配そうに顔を覗かれて、涼太の顔は見る間に真っ赤になる。情けなさすぎて、涙が出そうだ。
 誤魔化すように、近くに用意されていたヴィオの実を口に入れた。

「さあ、できました」
「ありがとうございます」

 ドキドキと緊張の、リュシアンとの一時が終わってしまった。何となく残念に思いながら、軽くなった頭を撫でる。
 リュシアンに見せられた鏡には、肩口で綺麗に整えられた自分の髪が映っていた。

「いかがですか?」
「すごい。綺麗になってる」
「気に入っていただけて、良かった」

 嬉しそうに笑うリュシアンの破壊力は半端ない。黙々とヴィオを食べる口を動かしながら、涼太は綺麗な笑顔に見惚れていた。
 しかし、笑顔のままのリュシアンが、涼太の目の前から離れない。
 おかしな所がないか、確認しているのだろうか。内心困りながら、涼太は黙ってヴィオを食べ続けるしかなかった。

「精霊様にご紹介したい者がいるのですが、よろしいですか?」

 ようやく納得できたのか、リュシアンが涼太から離れる。
 それから、呼ばれて部屋に入って来たのは、マルテと二人の男たちだった。

「マルテ!」
「リョータ様……!」

 マルテを見た途端、涼太は彼に駆け寄る。
 顔色も良く、普通に歩いているマルテに安堵した。実際に元気そうな姿を見て、やっと心から安心する事ができた気がする。

「リョータ様には命を助けていただきました。このご恩は決して忘れません」

 涙ぐみながらそう言うマルテに、涼太は首を振る。 元々、マルテはあんなに恐ろしい思いをしなくて良かったのだ。

「もう、痛い所はない?」
「はい。傷などひとつもありません。リョータ様もお元気そうで、それに、髪も綺麗になっていらっしゃって良かったです」

 そう言われて、涼太は切ったばかりの髪に触る。
 自分の顔が赤くなっていくのがわかった。リュシアンがこの髪に触れた事を思い出す度に、こうして乙女のような反応をしてしまいそうだ。

 そんな涼太の側に、リュシアンが近付いてくる。

「精霊様、ご紹介したいのは、この二人です」

 改めて二人の方を見て、涼太は驚いた。
 一人、忍者がいる。頭から爪先まで、全身黒い布を纏い、目元だけ露にした彼を知っている。
 攻略対象だ。しかもレアな。

「これからは、この者が精霊様をお守りいたします。ようやく王より許可をいただけました」
「えっ!?」

 見た目の通り、王家の御庭番的な役目を果たす彼の名はバルトルと言う。バルトルは、祝祷でポイントを溜めた上、王子たちと仲良くならないと現れないキャラクターだ。

 思慮深いエメラルドグリーンの目と、脱いだら凄いんです、な細マッチョな体。そんな彼に守られたい、でももっと攻めてもいいのよ、とファンが悶えるのは、彼の持つストイックさによるものらしい。
 ちなみに、彼のルートを選択すれば、素顔を見る事ができるそうだ。

「見た目は恐ろしいですが、大丈夫です。彼は普段は精霊様の視界に入らないようにいたします。それに、腕は私が保証いたします」

 涼太の驚きを怯えと取ったのか、リュシアンがそう言い添えた。

「いえ、あの、」
「リョータ様、この方に護衛していただきましょう。その方が安心ですし、よろしいかと思います」

 必死な様子でマルテがそう言う横で、おもむろにバルトルが被っていた黒い布を剥ぎ取った。

 目の前に現れた、癖のあるモスグリーンの髪と、渋味のある精悍なイケメンを涼太は呆然と見上げる。

「バルトルと申します。精霊様をお守りできることに、心より感謝を申し上げます」

(えっ!? いきなりバルトルの素顔? 初対面ですけど、何で!?)

 軽くパニックを起こす涼太の目の前で、バルトルが片足を付いて跪く。

「精霊様の素晴らしいご活躍を、密かに拝見させていただきました。あなたの邪魔をする者から、必ずあなたをお守りする事を誓います」

 応援するから、もっと頑張れという事だろうか。
 きっと、イレギュラーな出来事が続いてしまったから、こんな事になっているのだ。
 自分なりにそう結論を出して納得した涼太は、頷いて返事をした。

「よ、よろしくお願いします」

 彼がいてくれたなら、そう簡単に敵も手出しはできないだろう。
 涼太は自分でも引くくらいに、心の中で敵に対する悪態をつきながら、悪い笑みを作った。

「バルトルによりますと、あの盗賊たちを唆したのは、占術師だったそうです」
「噂になっている占術の方ですか?」

 マルテが驚きながら尋ねると、リュシアンは頷く。

 マルテが言っていた、未来を占う事ができる人だ。
 ならば、その人が涼太を憎む人物かもしれない。未来を占っているのではなく、未来を知っているのだ。

「占術師と接触した人物に当たってみましたが、依然としてその正体は掴めておりません」

 申し訳ありませんと肩を落とすリュシアンに、涼太は首を振った。
 あんな酷い事をするような人だ。そう簡単に尻尾を掴ませるとは思えない。

「リョータ様のお力が、自分の立場を脅かすと思い、邪魔をしたのでしょうか」
「そうかもしれない。何れにせよ、事件の元凶を捕らえていない今、精霊様の危険は無くなってはおりません。そこで、精霊様には暫くこちらに滞在していただきたいのです」
「ここに……?」
「はい。私の部屋も近く、兵の守りも硬いので、精霊様に安心してお過ごしいただけると思います」

(部屋に、近い……!?)

 リュシアンの言葉に、涼太がドキドキと胸を高鳴らせていると、残るもう一人の人物を紹介された。
 セリアと同じくらい小柄な美少年だった。
 ミルクがたっぷり入った紅茶のような色をした髪はふわふわで、目の色は焦げ茶色だ。彼は見た事がなかった。
 頬が青白いのは、緊張しているからだろうか。年も涼太と同じくらいだし、突然こんな場所に連れて来られたら、緊張もするだろう。

「彼はセルジュです。こちらに滞在していただく間、彼に身の回りのお世話を任せたいのですが、いかがでしょう」
「彼にですか?」
「はい、身元も確かですし、以前から城に仕えている者ですので、分からない事は彼に任せていただければ大丈夫です」

 マルテは、と思って彼を見ると、心底哀しげな目で涼太を見ていた。

「神官の私では、常にこちらにいる訳にはまいりません……、いっそ神官を辞めてしまおうかと思いましたが、神殿で調べたい事もありますので、思い止まりました。ですが、精霊様のお側には何があっても毎日伺わせていただきます」
「良かった。俺の側にいるのが嫌になった訳じゃないんだね」
「そんなはずはございません!」

 そう言い切ったマルテに、涼太は笑顔になった。
 あんな事があって、マルテが嫌になっても仕方がないと思っていた。けれど、この世界で初めて友達になれそうだと思ったマルテに、そこまで言って貰えるのは嬉しかった。

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