01:ゲームの世界

 気が付くと、涼太は泉の中に立っていた。

 直径三メートル程の小さな泉。澄んだ冷たい水に、腰まで浸かっている。しかも、全裸のままで。
 ここに至るまでの記憶は、全くない。

「──てか、髪、長っ!」

 体にまとわりついていた黒い髪をつかむと、紛れもなく自分の頭から生えていたもので、引っ張ると痛みを感じる。こんなに伸ばした覚えもない。

 どうしてこんな事になっているのだろう。
 髪をつかんだまま、呆然と辺りを見回せば、月の明かりに照らされた木々が、静かに広がっているばかりだった。

 ごくり、と唾液を飲み込む。
 涼太には、この場所と、この状況に覚えがあった。正確には、見覚えがある、だ。
 それは、涼太が幾度かプレイしたBLゲーム。男同士の、ちょっと肌の露出度が高い恋愛ゲームだ。
 直前の記憶があやふやになっているが、考えてみれば、ついさっきまでそのゲームをプレイしていた気が、しなくもない。

「み、魅惑の果実、あなたを癒してあげたい……」

 口に出せば、何ともこっぱずかしいタイトルである。
 そんなタイトルのゲームを手にしたきっかけは、主人公が涼太に似ていると言われたからだ。
 友人に教えられて、興味本位で始めてみたのだが、その中の攻略対象にうっかり惚れてしまい、以来夢中になってプレイしていた。

 もともと、どちらかと言えば女性は苦手な方で、何となく好意を持つのは同性だった。そのため、それほど抵抗もなくBLゲームを始められたが、まさか、二次元にいるキャラクターに恋をしてしまうとは、涼太自身思いもしなかった。

 ゲームの舞台となっているのは、いわゆる西洋ファンタジーな世界だ。
 移動は馬や馬車だったり、剣を携えた騎士だっている。だが、トイレ事情や下水道などの公共事業が整っていそうなほど美しい国なのは、乙女のためのゲーム故なのだろう。

 魔法が使えるのは珍しく、特に癒し系の白魔法は、聖なる力として崇められていた。
 異世界の国、アーレンスが癒しの力を使える精霊を召喚したのは、大地が痩せ始め、雨が少なくなり、徐々に緑が失われ始めたからだ。作物が減り、人々が苦しめば国は荒れ、争いごとも増える。そうなる前に、癒しの力を求めた、という設定になっている。

 物語は、ごくごく普通の高校生だった主人公が、癒しの精霊としてアーレンスに召喚された所から始まる。そうして人々だけではなく、痩せ衰え始めていた大地までをも癒しながら、攻略対象と恋をしていくのだ。

 攻略対象は五人で、他にも条件をクリアしなければ現れないキャラクターも存在した。
 行動や台詞を選択しながら、好きなキャラクターと愛を深めていける。ハーレムエンドだって可能だが、下手をすれば、凌辱エンドや死亡エンドを迎えてしまう場合もある。

 そして、涼太が今立たされているこの状況は、主人公が異世界に召喚された時に、限りなく近いように感じられる。
 全く同じではないのは、周りに召喚した王様だとか、神官どころか人っ子一人見当たらないからだ。これでは、全裸で一人泉に浸かっている、寂しい変質者だ。

 だからと言ってここから出ようにも、泉の周囲をドームのような透明でキラキラしたものに囲まれていて、出ることがかなわない。

 その上、体の震えが止まらなくなっている。冷たい泉に体温が奪われているせいだ。
 始めは、あまりにもゲームが好きすぎて夢でも見ているのか、とか、もしかして、好きなキャラクターに生で会えるかも、などと悠長に考えていたが、それどころではなくなってきた。

「やばい、本格的にマズい」

 ぶるりと体を震わせながら、出口やそれに繋がるものがないか確認しても、それらしいものは一向に見つからない。

「誰もいないってことは、俺がここにいるって知らないのか?」

 それとも、似ているから本来の主人公と間違えられたのだろうか。人違いだったと気付いたから、ここに閉じ込められているのだとしたら。
 あり得る。なんせ、涼太の取り柄と言えば、この顔くらいのものである。
 それを証明するかのように、無駄にキラキラしながら、バリアがその存在を主張している。

「嘘だろ……」

 血の気が引いたのは、寒さからだけではない。
 身の凍るような冷たさは、夢でも幻でもなく、今の涼太にとって、死がすぐ近くにある現実だ。

「間違えたなら放置しないで、折り返して日本に帰してくれよ! あ、その前にせめて一目、ほんのちょっとでいいから、生リュシアンに会わせてほしい!!」

 切実な願いを叫んだ時、少し離れた場所に人の姿が見えた。
 その人物は、どうやら涼太の存在に気付いているようで、身につけていたマントを翻しながら、足早にこちらに近付いてくる。

「て、天の助け……!」 

 特に宗教の類いは信仰していなかったが、この世界の神的な何かに感謝したい瞬間だった。

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