オレの特別になりたがってくれるの 鈴木から検査薬で陽性だったのに生理がきた、と報告されたのはバレンタインデーの前日だった。 まれにそんな事例もあるし、化学流産という現象も聞いた事がある。 鈴木の件が解決するまでは黄瀬に返事をしないつもりだったが、まさかバレンタインデー前だとは思わなかった。 これは神の思し召しかなんて理由付けは無粋だし、彼の真っ直ぐな思いには真面目に向き合いたいと、黄瀬にメールすればドン引きする程に早い返信。 待ち合わせの時間と場所を決めてからメールを終了した。 バレンタインデー当日。 グレーのブレザーを纏う高校生達が歩いてゆく景色を眺めながらカプチーノを飲み干す。 わざわざ神奈川の海常高校の最寄り駅までやって来たのは、都内に戻る黄瀬の負担を軽減する為というのは建前だ。 「藍田さん、お待たせ」 「うん。じゃあ行こうか」 黄瀬が現れただけで照明が更に明るくなったようなカフェを出て、一緒に駐車場に向かった。 会うのは一週間ぶりで璃乙はembrasse-moiの最終的な編集作業に没頭して、徹夜した甲斐もあり最高の出来だとスタッフ全員が自信を持っている。 「何処に行くんスか?」 「ラブホ」 「え、」 「…嘘。海を見に行こうよ」 「藍田さん、前から思ってたけど小悪魔っスね。純粋な高校生をからかわないで!」 ごめん、と一応謝りつつ窓からの景色を眺める、黄瀬のほんのり赤い耳を確認した。 海は凪いでいるがやはり風はまだ冷たい浜辺を二人で歩いていると、散歩中の犬や子供連れとすれ違う。 ちょっと一休みと海の家の跡地らしき木材に並んで座った。 さっきのカフェでテイクアウトしてきたホットコーヒーを黄瀬に渡し、自分はカフェモカの紙カップを両手で持つ。 「藍田さん、寒いでしょ」 「え、黄瀬君こそ。風邪ひくよ」 「こうすれば良いっスか」 黄瀬が白いマフラーを譲ろうとするのを断ると少し短めに巻き直してから、自分は巻いたままで伸ばした分を璃乙の首元にふわりと掛けてくれた。 「本当に天然タラシだよね」 「ヒドッ!藍田さんだけだから」 繋がったマフラーのせいで余り離れられず縮まった距離から見上げる。 「黄瀬君、これ。貰ってくれる?」 フランスの有名ショコラティエのトリュフは予約していたのを午前中にデパートまで取りに行ったものだ。 「あの…。確認したいんスけど。これって、」 「勿論、本命チョコです」 「マジっスか?」 「マジです」 そう言うと緩みきった顔を隠すように黄瀬は頭を璃乙の肩に乗せてくる。 「すげー嬉しい。ありがと」 サラサラと海風に靡く金髪を撫でてから一呼吸置き、璃乙はゆっくりと口を開いた。 「あの、さ…。私、黄瀬君に好きって言われたのって、こないだの夜だけじゃないよね?」 「え?」 「えと…、私が黄瀬君を襲った日の翌朝に言ってくれたでしょ」 「藍田さん、覚えてたの?」 「うん。殆ど記憶は無かったけど、思い出した」 「…そっか、」 「それでね。それを思い出した時、私、凄く嬉しかったんだ。身体の芯からじわじわと温まるみたいで、黄瀬君の声も優しくて、全て委ねたくなるみたいな感じで」 「…うん、」 「それから、黄瀬君と一緒だと良い子でなんていられなくて、自分勝手だし言いたい放題だし、でもこれが素の私なんだって楽になった」 「うん、」 先を促すように黄瀬は璃乙の右手を取り、するりと互いの指を絡ませる。 「で、黄瀬君は何時も私を甘やかしてくれて、それが心地好くて仕方なくて」 「うん…。それで?」 「私も黄瀬君が好き、大好き。これからも側に居て欲しい。それから…たまにで良いから朝が来るまで、ずっと一緒に居て欲しい」 最後は恥ずかしくてギュッと目を瞑ってしまい、俯くと握られていた手に力が籠められていた。 「ヤバい…藍田さん、それって告白と誘惑とプロポーズが全部一緒なんスけど。小悪魔の本領発揮?」 「は?」 頬に吐息が当たり目蓋を開くと琥珀色の瞳と視線がぶつかる。 「オレ、藍田さんをメチャクチャ甘やかしたいし、嫌がる位に一緒に居たいし…とにかく大好き」 「なんか、意外」 「なにが?」 「黄瀬君て縛られたくない人だと思ってたから。ベタベタするの嫌そうだし、あんまり彼女と一緒に居てくれなさそう」 「藍田さんなら、縛られても構わない」 照れくさそうに呟く黄瀬の言葉にキュンとして、真顔を保つも残念ながら璃乙の口元は緩んでいる気がした。 「本当に?あと私…、結構嫉妬深いよ?」 白戸が鈴木を妊娠させた事実よりも黄瀬が鈴木と付き合ってると疑った時のショックや怒りは自分でも驚いた程だ。 「それはオレも同じ。藍田さんがあいつに会ってる時とか、ムカついて仕方なくて泣きそうになってた」 「黄瀬君、」 「でも…藍田さんはオレを好きって言ってくれた」 「うん」 「ね、お願いがあるんスけど」 「なに?」 「藍田さんを名前で呼びたい、そんでオレの事も涼太って呼んで?それから、」 「欲張り、」 の続きを言う前にするりと唇を指先で撫でられて、ドキリと胸が高鳴る。 「そ、オレすげー欲張りなんで。藍田さん限定で…良い?」 「うん、涼太なら良いよ」 初めて紡いだ名前を聞いて黄瀬は一瞬目を見開き、直ぐにふにゃりと頬を弛緩させた。 「璃乙」 璃乙も初めて名前を呼ばれてどんどん鼓動が速まり、そっと瞳を閉じると唇に柔らかな温もりが触れる。 ちゅ、と触れるだけのキスは何度か啄むように降り注いだ後に、名残惜しそうに離れていった。 「璃乙、好き」 「私もだよ、涼太」 ぎゅうっと苦しい位に抱き締められて、広い背中に腕を伸ばす。 「あーもうオレ、幸せ。この後はラブホでも何処でも着いて行くんで」 「調子に乗るな」 「痛っっ!」 この後はイタリアンの店を予約したので、奢ってあげると言えばオレが払うと抵抗された。 バレンタインデーだし色々なお礼だから、嫌ならここに置いて行くと脅すと渋々黄瀬は了承する。 本日発売のembrasse-moiを買おうと立ち寄ったコンビニや書店は全て売り切れで、互いに緋川と中野に電話すると初版売り切れ続出で、過去最高の出荷記録になるだろうと言われて二人は呆気に取られていた。 end 20130309 |