恋の悲鳴



仕事に行きたくないなんて初めてだな、と重い頭と身体を叱咤しつつスタジオのあるビルに入った。
人気俳優の写真集の撮影でイギリスに同行していた緋川が戻って来たので、今日は自分は黒子に徹しようと決めて控え室のドアを開く。


「藍田さん、おはようございます!」

昨晩着信を無視した黄瀬は待ってましたとばかりに、璃乙を見た途端に立ち上がり挨拶をしてきた。


「おはよう、璃乙」

「おはようございます、緋川さん。…黄瀬君も」

「あの、藍田さん、」

視線を反らした陰険な態度に屈せず、更に話そうとする黄瀬を無視して進行表に目を落とす。
そんな二人を見て何かを察したのか緋川は、吉祥寺のショップに頼んでいた洋服を取ってきてと璃乙に指示をした。
今から行けば帰る頃には黄瀬の撮影は終わっているとホッとしながら、車のキーを取り出して控え室を後にする。

夕方に差し掛かる時間帯のせいか多少道路が混んでいて帰り道に撮影は終了したので、今このカフェにいるから迎えに来てと緋川のメールが届いていた。
急ぎ向かったカフェの奥にある個室には黄瀬とマネージャーの中野、鈴木マナとそのマネージャーの鹿島、緋川が椅子に座り深刻な雰囲気が漂っている。
鈴木は泣きはらした後なのか目が充血していて、困りきった顔の黄瀬は隣合った位置で、そんなことに苛立つ自分が嫌で何とか口を開いた。


「私…お邪魔ですかね」

「璃乙ちゃん、邪魔な訳ないよ」

鈴木は慌てて立ち上がるがふらりとよろけて、それを黄瀬が支える。
自分が居ない時にこのメンバーでの話し合い、それは二人に関係する重要な内容に違いない。
璃乙を吉祥寺まで出掛けさせたのは緋川の意図することだったのか、黄瀬と鈴木から頼まれたことなのか知らないが既に話し合いは終了しているように見えた。


「璃乙、取り敢えず座って」

「すみません。私、帰ります」

師匠の緋川の冷静な声と自分の温度差が煩わしく、困惑したまま店内を走り抜けていた。


「藍田さん、待って!」

慌てて追い掛けて来た黄瀬に肩を掴まれて舌打ちをしたが、前に回り込まれては進めないので立ち止まる。
カートを奪われて自販機が数台並ぶ空いた駐車場へ入り、一番奥まで連れて行かれて憮然としていた。


「話し合いは終わったんでしょ。私抜きで」

「それは…うん、終わった。あのさ誤解してるみたいだけど鈴木さんとの記事、嘘だから」

「中野さんに聞いたから知ってる」

「じゃあ、なんで怒ってるの?」

「怒ってないし」

「怒ってんじゃん」

つん、と多分皺が寄っていた眉間を突っつかれて後ずさると、背中に自販機が当たりムカムカと怒りが沸き上がってくる。


「なんで私が怒るの?いいんじゃない、マナちゃん可愛いし。黄瀬君とお似合い、」

ドンッ!と鈍い音が響いて璃乙はビクリと肩を震わせて我に返った。


「なんでそんなこと言うんだよ、ふざけんな」

自販機に叩きつけたのは黄瀬の右拳だったようで、まだ璃乙の顔の脇に伸ばされたままだ。


「お似合いって何だよ。違うって言ってんだろ」

両側を腕で囲い璃乙の逃げ道を塞いだまま、何時もの口調が崩壊した黄瀬の苛立ちがピリピリと肌に突き刺さる。


「オレは鈴木さんの彼氏じゃないし…。お腹の子の父親でもない。オレって、そんなに信用出来ない?」

「………」

「言ったでしょ、オレ。こんな気持ちは藍田さんだけだって。お願いだから信じてよ」

「……うん、ごめん、なさい。なんか凄いむかついて疑っちゃって。黄瀬君は何も悪くないのに」

「もしかして…嫉妬してくれた?」

どんどん綺麗な顔が近付き鼻先が触れ合う直前に小さな声が耳に届いた。
言われた言葉を自覚すると恥ずかしくて、コクンと頷いてなんとか答える。


「ヤバい…嬉し過ぎる」

「黄瀬君?」

ぽすっと肩に埋められた横顔をチラリと盗み見れば耳まで赤くなっていた。


「オレばっか先走って、本当にバカみたいなんて思ってたから。でもさ…期待してもいいんスよね?」

「…解んないよ、そんなの」

「まぁ、今はいいや。それよりもカッとなっちゃって、ごめん。怖かった?」

「……うん、怒る黄瀬君て初めて見たから」

「まだ藍田さん、震えてる。本当にごめん!」

ぎゅ、と抱き締められてまだ僅かに震えていたことを璃乙は知る。
道路から死角とはいえやはり人目が気になり、黄瀬の胸板を押しやった。


「あの…離して」

「やだ。オレ、すげー傷付いたんだからね?」

「それは、本当に…ごめん」

「藍田さんに癒して貰うから良いっスよ」

「だめ、誰か来るかも」

「いいよ別に」

「良くない!またパパラッチされるよ?」

「藍田さんなら構わない」

「……ばか、」

黄瀬に抱き締められながら、その体温に璃乙自身も癒されていた。


20130305
20130309修正


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