星と鍋焼うどん



グツグツと泡立つ鍋の中身を見ていると、いつの間にか背後に人の気配を感じた。


「良い匂いっスね」

「黄瀬君、起きて大丈夫?」

見て!と言わんばかりに目の前に差し出された体温計の表示は36.7度だ。


「もう平熱と変わらないんで」

「元々、子供体温なんだね」

「子供じゃないっスよ」

ムッとしながらも汗かいたんでシャワー浴びて来る、とキッチンから出て行く広い背中を見送る。
味見をしてから火を止めて棚からシチュー皿を取り出すとふわりと爽やかな香りが近付いてきた。


「あーもう、お腹ペコペコ」

元からバスケで築いた体力も有り、若いので回復が早いのだろうと感心するが、上半身裸なのはいただけない。


「ちょ、黄瀬君、ちゃんと服着てよ」

「だって暑くて…あ、藍田さん、照れてる?」

「違うから。服着ないとご飯はナシ」

ジロリと睨めば慌てて部屋に走って行った。
確かに気を遣ってエアコンの温度設定を上げていたので、少し下げてからお皿にうどんを入れていると、Tシャツにパーカーを羽織った黄瀬が戻って来る。


「うどんっスか。胃に優しそう」

「あんまり自信ないんだけど」

「藍田さん、一緒に食べよ」

「うん」

すき焼きにうどんを投入しただけなのだが、黄瀬は美味しい美味しいと絶賛してお代わりまでしてくれた。
お腹いっぱいになると習慣で煙草が吸いたくなるが、遠慮して我慢していると敏感に察した黄瀬に促される。


「じゃあ、ベランダ行ってくる」

こっそり携帯をポケットに忍ばせていると鋭い視線が向けられていたことには気付かなかった。
料理中から何度か着信があり何となく出る気になれなかったが、そろそろヤバいかもとかけ直すとツーコールで白戸が出て驚いた。


『…璃乙、今何処に居るの?』

「家だけど」

『嘘、でしょ』

色々と言い訳するのが面倒で疑われていても、嘘を吐こうと決めた時にカラリとサッシが開く。
振り向く前に背中から抱き締められて、携帯を当てている耳とは逆側に温かな吐息が掛かっていた。


「藍田さん、風邪引くよ。早く部屋に入ろ?」

「や…、ちょっ、」

耳に押し当てられた唇の感触と吐息が擽ったくて、身を捩るが力の差でビクともしない。


『璃乙、誰か居るの?』

「いや、誰も…」

「藍田さんも、お風呂入ってきなよ」

『…その声は、』

「またかけ直すから!」

左右の耳に次々と入る声の対応に困ってしまい、取り敢えず携帯を切るとやっと背中から離れる体温。


「黄瀬君、何なの一体」

「別に」

実際ベランダは寒いし、お風呂だって普通に勧めただけっスよ。
そう悪びれずに言う顔は悪戯に成功した子供に見える反面、嫉妬して構って欲しがる男のようにも映っていた。


「私まだ煙草吸ってないから、黄瀬君は部屋に戻って」

「やだ。またあの人に電話するつもりでしょ。だったらオレもいる」

「駄々っ子か」

「ねぇ、あのオッサンは藍田さんが風邪引いてるの気付いてくれた?寝込んでる藍田さんをお見舞いしてくれた?」

黙って首を横に振ると考えないようにしていた事実が惨め過ぎて泣きそうになる。
風邪で寝込む前夜の璃乙はきっと熱っぽかったに違いないのに、白戸は何も心配してくれなかったがそれを他人から言われるのはかなり辛かった。


「…黄瀬君に何が解るの」

「藍田さんが悲しむの知ってて平気で妊娠中の奥さんをパーティーに連れて来たり、体調悪いのも知らんぷりしたり、それなのに他の男と一緒だと疑って怒る、しょーもないオッサンだってこと」

「それは、」

「あと藍田さんがあのオッサンと居ても、幸せになれないってのもオレには解る」

「っ、うるさいっ!」

ドン!と拳を思い切り胸に叩きつけると黄瀬の眉が僅かに歪む。


「新人の女の子をプロデューサー気分で育て上げてるつもりで、藍田さんの気持ちなんか全然考えてない」

「うるさい!止めてよ!」

感情が溢れてポロポロと涙が零れ始めると、優しく抱き寄せられていた。


「ずっと我慢してたんでしょ?」

「してない、」

「あのさ…オレと一緒の時は泣いたり怒ったりしていいから」

「…泣きたくない、泣かない」

そんな強がりを言いながらも涙は止まらなくて、部屋に戻ってからもソファーに座った黄瀬の腕の中で、子供みたいに璃乙は泣き続けていた。


20130216


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