アポロの裏で愛を呟く 帰り道運転しながら涙が溢れて視界が霞み、夜の街のカラフルなネオンが目に滲みる気がする。 まさかこんな風に恋に終止符をしかも自分から打つなんて、昨日まで考えてもいなかったがこれも失恋と呼べるのかと頭を傾げた。 不倫だから白戸から別れを告げられるのに怯えていたし、こんなに涙を流す程には好きだったんだと気付き、不覚にも嗚咽を上げながら自宅マンションを目指す。 「え…黄瀬君?」 マンションのエントランスの隅っこに立っていた黄瀬は、足早に近付き心配そうに璃乙の顔を覗き込む。 「オレ、緋川さんからメール貰って心配で心配で。大丈夫だった?あのオッサンになんかされなかった?」 「あー…、危うく種付けされそうになった」 「え、」 「でも椅子で脅してマナちゃんに謝らせて、それから…殴って別れて来た」 種付けという言葉に赤面するウブな反応が可愛いくて、黄瀬の頭を撫でてやった。 「スッキリしたような気がするけど、今はまだよく解んないよ」 きっと明日からじわじわと別れた実感が沸いてくるのだろう。 「藍田さん…部屋に行っても良い?」 「ん。お茶でも飲んでって」 エレベーターに一緒に乗り込むと璃乙は口を開いた。 「マナちゃんの相手が白戸だったから…だから緋川さんも黄瀬君も、今日の話し合いに私が居ないようにしたんでしょ?」 「あ…、うん」 「ありがと、気を遣ってくれて」 黄瀬が何か話そうとした瞬間にエレベーターが到着して部屋に向かう。 温かい紅茶を二人分淹れてから、リビングのソファーに座る黄瀬の隣に並んだ。 「本当はさ、緋川さんは『現実を知った方が良い』って、話し合いに藍田さんを呼びたかったみたい。オレもあのオッサンの正体をばらしたい気持ちはあったよ、ぶっちゃけ。色々と鈴木さんから聞いてたから」 「……」 「でも藍田さんをこれ以上傷付けたくなかった。悔しいけど、あのオッサンを好きな訳だし。まぁ結局、ばれたけど」 「なんで…そんなに優しいの?」 「え、藍田さん?」 ポロリと涙が頬を伝い落ちると黄瀬は、おろおろと狼狽えている。 「こんな私に…優しくしないでよ。酔っぱらって黄瀬君を襲うような仕方ない私を。…正直あの夜は誰だって良かったんだと思う」 「あの夜、藍田さんを送ったのがオレで本当に良かった」 「…黄瀬君?」 「あ、えと…えっち出来てラッキーとかじゃなくて、ずっと曖昧だった気持ちがハッキリと恋だと自覚出来たし、他の奴から藍田さんを守れた訳だし」 何とか言い終えた顔はほんのりと赤く染まっていて、でも真剣そのものだった。 「オレ本当に、こんな気持ちは生まれて初めて。バスケの練習中に上の空とかさ…今までならあり得ないし。オレ、マジで藍田さんが好き、大好き。だから…好きな子に優しくすんのは当たり前でしょ」 璃乙の頬を撫でて愛しいと言わんばかりの、黄瀬の柔らかな表情にまた涙腺が緩み始める。 好きだと初めて言われて予想以上に嬉しいが、直ぐに答えられない申し訳ない気持ちに苛まれていた。 「藍田さん、泣かないで。別に今は返事はいらない。ただどうしても、オレが伝えたかっただけだから」 「ん…、ありがとう。今日は頭ごちゃごちゃだし、ちゃんと答えられなくてごめんなさい。なんか腕が痛いし」 「あいつに何かされたの?」 眉を潜めて勘繰る黄瀬に緋川に送ったメール『種馬を懲らしめに行きます』の詳細を話すと案の定爆笑された。 「椅子を振り回すとか、すげーじゃじゃ馬っスね。悪いけど殴られても仕方ないっしょ、あのオッサン」 「初めて人を殴ったけど、殴った私の手も痛いし」 「あ、赤くなってる」 「やだ、」 止める間もなく腫れた手の甲にキスを落とされて、そのまま上目遣いの琥珀色の瞳に捕らえられてしまう。 「黄瀬君、こういうこと自然にしちゃうとか、天然タラシなんじゃないの?」 「オレが落としたいのは藍田さんだけっスよ」 「ばか。そんなやらしー目で見るな」 「ヒドッ!」 艶やかな視線が照れ臭くてそっぽを向くと、気が抜けたのかお腹がきゅるると鳴り出した。 「何か作る?」 「お願いします」 同棲カップルみたいな会話をしてから冷蔵庫を見に行く頼もしい広い背中を璃乙はじっと眺めていた。 20130307 |