シュガーボーイとスパイスガール



撮影用の服をショップで借りてからスタジオに向かう途中、反対車線を走る車に見覚えがあると思えば白戸の妻が運転していた。
昨日も貴方のダンディーな旦那さんは私と浮気してましたよ。そう言ったとしても彼女はあの綺麗な顔を歪ませることは無い気がした。何しろ子供を三人も作ったのだから。
ハンドルを握る手に無意識に力をこめて、早くスタジオに行こうとアクセルを踏み込んでいた。


「おはようございます」

「おはようございます、藍田さん」

テスト前らしい黄瀬は鏡の前でノートを開き、シャーペンをくるくると回しながら挨拶してきた。
璃乙が大量の洋服をラックに掛ける間も背中に視線を感じてチラリ、と横の鏡を見れば黄瀬と目が合う。


「なに?」

「やっぱ、好きだなーって思って」

「は、」

「藍田さんのセンスが。あ、なんか誤解しちゃった?」

「してないし」

頬杖をついてこちらを眺める黄瀬は余裕ある笑みを浮かべていた。


「黄瀬君さ、」

こないだの夜まで童貞だったとか嘘でしょ。
そう聞きたくなる程に女の扱いに慣れているように思える。


「彼女とかいないの?」

「ファンの女の子全員が彼女なんで」

「なんだそれ」

こないだのインタビューの答えじゃん、と思わず吹き出していた。
仕事場で数少ないタメ口で話せる黄瀬との会話はやはり気楽で、最近俳優からのご指名が多い師匠の緋川が居ない現場でも、彼の存在だけで安心することが出来る。


「ね、藍田さん」

「ん?」

「顔赤いけど風邪?」

「…違うよ」

確かに昨晩から微熱っぽくて頭痛が酷いが、まさか黄瀬に気付かれるとは驚いていた。


「嘘つき」

「嘘なんてっ」

「あんまし無理しないでよ」

立ち上がった黄瀬の大きな手が璃乙の額にあてられ、微熱があるのに人肌がやけに心地好い。


「ほら、やっぱ熱い。また素っ裸で寝たんスか?」

「……」

昨晩の情事を知っているのかと一瞬ギクリとしたが、額に冷えピタを貼られた冷たい感触に気を取られていた。


「それ、あげる。でも本当に無理しないで欲しいっス」

少し困ったような表情は璃乙を心配してくれているのだと解り、素直に頷いてしまう。


「藍田さんは頑張り過ぎ。もっと素直になった方が良いっスよ」

「仕事なんだから頑張って当たり前でしょ」

「酔って寝てる時は素直で可愛いかったのに」

「覚えてないし」

あの晩、何ラウンド交えたか解らないままに微睡み始めた璃乙は静かに涙を零していた。
女の涙なんて鬱陶しい面倒なものだとしか思っていなかった黄瀬は初めて透明な雫を綺麗だと感じたのだ。


「オレさ、embrasse-moiの仕事は今までで一番気合い入ってるんで。藍田さんのスタイリングも楽しみだし」

黄瀬はembrasse-moiの企画にも積極的に参加して、ファッション誌では初のコラム連載にも挑戦するらしい。
璃乙だって気合いが入っているのは同様で多忙な緋川も今回はほぼスタイリングを任せてくれていた。
私服はヤバいモデルが多い中で、センスの良い黄瀬に信頼されているのも嬉しくてつい口元が緩み出す。


「私も黄瀬君に着せたい服が沢山あって、楽しみなんだ」

「目指すは、embrasse-moi創刊号売り切れっスよ」

「言うねー。売り切れじゃなかったらどうする?」

「んー…。藍田さんの言うことを何でも聞いてあげる、とか?」

「じゃあ、巻頭を黄瀬君のオールヌードで飾ってもらおうかな」

「それ、袋とじものっスよ!」

バカな話題でも久しぶりに本気で笑えた自分に安堵しているとメイクさんが入室して来たので、微熱があるのも忘れて準備に取りかかっていた。


20130128


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