処女に十字架


慌てて出てきたので黄瀬が帰宅したらきっと困惑するだろうとこっそり電話をしていたら、鬼の形相の義母に携帯を奪われバッテリーを抜かれた後に再び返されていた。


「 花音さん!」

たった一言しか耳に届かなかったのに名前を呼ばれただけでじわりと胸が熱くなっていて、黄瀬の存在が自分の中でどれだけ大きくなっていたのかを実感していた。
瞼を閉じれば意地悪な笑みや強気な態度、たまに垣間見せる照れた表情が鮮やかに浮かんで、ぎゅうっと胸が締め付けられる。そんな余韻に浸っていると乱暴にノックされたドアが開いて義母が再び現れた。


「花音さん。色々と調べたけど、あの黄瀬って子、バスケットボール以外でもモデルで有名らしいわね。そんな子と同棲して、世間にバレたらどうするの?彼の人生を台無しにするつもり?」

「そんなつもりは、」

「そんなつもりが貴女になくても、黄瀬涼太の将来を確実に潰すことになるの」

悔しいが、ぐうの音も出ない正論に唇を引き結ぶと義母はお見合いの日程が今週末だと告げてくる。曾祖父が江戸時代に始めた呉服店の藤白屋はデパートに発展し、店舗数も増えたがファストファッションが頭角を現した今では銀座本店を残すのみ。サラリーマンをしていた父が社長になり提案した若者を取り入れる革新的なプランは、保守的で頭の固い幹部達に拒否されていると聞いていた。
売り上げは赤字続きで多大の負債を抱える中で吸収合併して、更に出資をしてもいいと名乗り出たのが人気ファストファッション社の社長だった。しかしその条件がアパレル関連のニューイヤーパーティーで会って気に入った花音との結婚だというのだから困った話だ。

父とはずっと話していないし、デパートの不振状況はニュースで見た限りは変わらない様子。お見合いの話をとても怒っていて、花音を政略結婚させる位ならデパートを手放すとも言ってくれていた。でも、花音は知っている。父は嫌々ながらも継いだ老舗デパートに愛着を抱いている事を。亡くなった母親と初めてデートしたのが藤白屋のカフェで大切な思い出になっているのだ。

黄瀬との事についても悩みは尽きない。好きになっても結局彼とは教師と生徒で、花音との関係がバレれば義母の言う通りに不味い事態に陥る。何よりも輝かしい未来が約束されている黄瀬の邪魔をしたくなかった。それに彼には気紛れに性交渉する相手がいる。セクハラを散々してきたが、男慣れしていない自分をからかうのが楽しかったのだろう。何しろ女は選びたい放題だ。
この一方通行の恋心を封印して花音が政略結婚を受諾すれば全てが丸く収まり、めっきり白髪の増えた父を助ける事が出来る……が、あの義母はセレブな生活を続けられると喜ぶのが想像出来て非常にムカつく。

黄瀬と一緒にいて、もっと彼を知りたかった。初恋とは違うこの気持ちをゆっくりと紐解き、そして共に生きていきたかった。
でも今はこの選択を撰ぶしかない。彼に電話をしたのは迎えに来て欲しいと願うものだったが、現実的に考えてもこの家に来るとは思えないし、せめて最後に声が聞けて良かったと携帯を握り締める。
ちゃんとご飯は食べたかな、なんて母親みたいな心配をしつつ、黄瀬と一緒にご飯を食べるありふれた日常が懐かしくて恋しい。

こんな風に誰かを恋しく思うだなんて。
恋に恋していた時とは違う切なくて、でも焦がれる思いが苦しかった。
どうせこうなるのなら出会わなければ良かったとは考えたくない。黄瀬と偶然再会して新婚ごっこをしてセクハラされて……好きになってしまった事を後悔したくない。
真っ暗な携帯の画面を見つめていたら黄瀬の生意気な笑みが浮かんできそうな気がして、花音はぼんやりと眺め続けていた。


20140203



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