シンデレラの時計を止めて


新人教師は覚えることが多くて頭が痛くなりそうだったが、この一週間で大まかには理解出来た気はする。
スーパーに寄って今夜の献立を考えていると少しだけ仕事モードから解放されていた。
黄瀬は部活があるので花音よりも帰宅は遅いらしいので、急がずに夕食の準備が出来そうだ。
マンションに着き着替えてから、ちょっとだけ休もうとソファーに座った途端に携帯が鳴り出し飛び上がっていた。
恐る恐る画面を見れば案の定、母親からの着信で迷っている内に切れる。
同窓会のあった日に誰もいない自宅のリビングに「家を出ます。さようなら」と簡素な書き置きを残してきたが、今頃は怒りまくっているに違いない。

まぁ正直、同窓会の後はお見合いしても良いかな、とかなり投げやりな気分だったが、偶然黄瀬と再会して何故か偽装結婚する羽目になるとは人生解らない。
今まで母親の命令に従ってきた花音が自宅に戻らないばかりか、お見合いさえもすっぽかすつもりだと知ったらどんな顔をするのか。
初めてとも言える反抗にちょっぴりワクワクしている自分がいた。
またまた携帯が鳴り出し機種変して実家の番号を消去しようかな、と思っていれば黄瀬からだ。


「あ、オレっス。今から帰るけど何か買ってく物ある?奥さん」

「……奥さんって。えっと…あ、牛乳をお願いします」

「了解、じゃあね」

早くご飯の準備をしなければとキッチンに向かい野菜を刻み始めると軽やかなチャイムが鳴っている。
学校からだと思っていたが駅から電話したのかなと急いでインターホンに出れば、何故か母親の怒りを含んだ声が流れてきた。


「花音さん、なんで帰ってこないの?」

「え、……なんでって。というか、なんでお母さんがここに?」

「探偵を使ったのよ。早くドアを解除しなさい」

探偵?……怖っ!そこまでするかと震えていると、苛立っている母親とは別の声が聞こえてくる。


「あの……通っていいっスか?」

「は?ああ……どうぞ」

「あれ、鍵がない。……ん?707号ってオレんちだけど、何かご用ですか?」

エントランスのオートロックの前で母親と黄瀬が話しているのを聞いて、青ざめた花音は慌てて部屋を飛び出してエントランスへと走っていた。


「お母さん!」

「え、花音さんのお母さんだったんスか?」

「花音さん、貴女…。まさか高校生と一緒に暮らしているの?」

海常の制服を着た黄瀬を眺めてから母親は尋ねてくるが、何と答えれば良いのか解らない。


「今、教師をしているんでしょ?なんて淫らな、」

あ、それもバレてるんだと、今更釈明するのも面倒になってきた。


「貴女、恥ずかしくないの?お見合い相手がいるっていうのに、高校生と同棲だなんて。お父様に何て言えば…」

母親の呆れきった顔を見て花音の中で何かが弾けてゆく。


「恥ずかしいのは、そっちじゃないんですか?娘を借金の肩代わりの為にお見合いさせるなんて。私、そんなの嫌なんです。……好きな人と結婚したい」

「何を今更……。仕方ないでしょう」

「お姉さん達のどちらかがお見合いすればいいじゃないですか」

「あちらは貴女が良いって仰っているのよ」

「そんなの知りません、もう帰って下さい。行こう、黄瀬君」

ずっと二人のやり取りを見ていた黄瀬の手を引きオートロックを鍵で解除してドアをくぐり抜けていた。


「花音さん、お父様に報告しますからね!」

「ご自由にどうぞ」

「……失礼します」

一応ペコリと頭を下げてから黄瀬がドアを閉めるとガチャリと施錠された音がする。
カツカツとヒールを鳴らして立ち去る母親を一度も見ずに歩き方出す花音に手を引かれるままにエレベーターに乗っていた。


「……あんまし似てないんスね、花音さんとお母さん」

「あの人、義理の母親だから。姉二人も彼女の連れ子」

「そうなんスか……。なんかシンデレラみたい」

「嫌なとこ見られちゃったな」

「タイミング悪かったっスね。てか借金の肩代わりにお見合いって本当に?」

「本当だよ」

部屋に戻り夕食作りを続けようとしたら黄瀬にソファーに座らせられる。


「なんで教えてくれなかったんスか」

「……教える必要あった?黄瀬君は誰でも良かったんでしょ?あ、面倒だと思ってるなら、結婚の話は無かった事に、」

「今更、無かった事になんて出来ねーよ」

「え」

学校で黄瀬に迫られた時と同じような低い声にドキリと心臓が跳ねるが、手首を掴まれてしまい逃げられない。


「それに面倒だなんて思ってねーし。ここ出て、行くとこあんの?」

長期で居候させて貰える友人は一応居るが、あの母親が怒鳴り込んで来るのを思えば迷惑をかけるので、躊躇してしまい力なく頭を左右に振っていた。


「でも……黄瀬君にも迷惑かけちゃったし、」

「あんなん、迷惑って程じゃない。ぶっちゃけもっと酷い修羅場にあったことあるし」

「……」

絶対に女関係だなと思ったが今は言わない方が賢明だろう。


「私……いてもいいの?」

「いいっスよ、もちろん。オレの奥さんなんだから。でも、ちゃんと話して欲しい、花音さんの事。あと……二人の時は名前で呼んで、欲しい」

「ん……解った」

珍しく黄瀬が照れたように前髪をかき上げながら言うので、ちょっと意外でまじまじと見ていた。


「なんスか」

「涼太君、なんか可愛いから」

「可愛いなんて言われても嬉しくねーし」

「あ、赤くなってる、可愛い」

「花音さん、唇を塞いで欲しいんスか?」

「すみませんでした。私、ご飯作ってきます」

「遠慮しなくても、痛っ!」

「だから、そういうのナシだって言ったでしょ?」

「……けち」

早くお風呂に行けと背中を押すと渋々ながらにバスルームに歩き出す。
今夜はオニオングラタンスープつくるよ、と告げるとマジっスか!と嬉しそうに笑う黄瀬に花音は癒されていた。


20131129
20131207修正


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