カタコトノハ


みんなで仲良くご飯を食べてから黄瀬のマンションに戻ったのは随分と遅い時刻だった。


「花音さん、お帰りなさい」

「……ただいま」

当たり前のそんな会話が酷く嬉しくて、でもきっと今日が最後になるだろう。互いにお風呂に入り終わった頃には夜も更けていて、部活の後に花音を迎えに行った黄瀬は疲れもあり眠気に襲われていた。


「あの……涼太君。お願いがあるんだけど」

「なんスか?」

「今夜は一緒に寝て欲しいの」

「え」

まさかのお願いにフリーズしている黄瀬に「変な意味じゃないよ!」と言い訳すると、ガッカリしたような脱力したようなリアクションをしている。
花音からそんな事を言うなんておかしいとは思ったが実家から戻って、精神的に疲れているのかなくらいしか考えなかった。


「はい、どうぞ」

「お邪魔します」

彼の部屋の広いベッドに乗り上げてふかふかの布団に潜りこむと柔軟剤とは違う香りが鼻先をくすぐる。それは黄瀬自身の匂いでドキドキしてしまうのに、安心出来て癖になるような不思議な感覚だった。


「花音さん、こっち向いてよ」

「やだ」

「……」

「え!」

問答無用でくるりと身体を回転させられてしまい、目の前には琥珀色の優しい瞳があり、更に腕枕をされている。


「せっかくだから花音さんの顔を見ながら寝たい」

「涼太君に見られてたら、寝れないよ」

「なんで?見惚れちゃう?」

「……ばか」

「オレは……ずっと花音さんを見ていたい」

空いた手で花音の頭を撫でた後に頬を包むと真剣な表情で呟き、更に言葉は続いた。


「花音さん、ずっとオレと一緒いて」

プロポーズみたいな言葉に心臓が跳ねて、そのまま抱き寄せられて広い胸に顔を埋める。何か答えた方が良いのだろうが、彼の望む返事はしたくても出来なかった。花音だってずっと黄瀬と一緒にいたい。同じように考えてくれてるのが嬉しくて仕方ないのに、ただ好きなだけなのに、側にいる事も叶わない現実が悲しいだけだ。
本当に小さくイエスの意味で頷くと胸元をおでこで擦ったが、彼にそれが伝わったのかは解らなかった。静寂が続く中でいつの間にか黄瀬の小さな寝息が聞こえてきて、それを鼓膜に刻みつけたいと思いながら瞼を閉じていた。


(涼太君が好き)

そんな言葉が聞こえたのは夢の中だったのか、翌朝黄瀬が目覚めると隣に花音は居なかった。朝御飯を作っているのかと思ったがキッチンからは何の物音もしないし、嫌な予感で眠気も吹き飛んでベッドから降りる。リビングのローテーブルの上に1枚のメモが置いてあり、恐る恐る手に取り全てに目を通した頃にはガクリと片膝をついていた。


【涼太君、ごめんなさい。やっぱり私、パパを助けてあげたいから実家に帰ります。一緒に暮らせて凄く楽しかった。今までありがとう。バスケット頑張ってね。 花音】


綺麗な文字が並ぶメモ紙を見ている内に花音の色んな顔が脳裏に浮かんでは消えてゆく。最後に浮かんだのは実家に迎えに行った時のあの嬉しそうな顔。


「……なんで。なんで行っちゃうんだよ」

まだ好きとも言ってないのに。
父親を思う気持ちは当たり前だ。それでもやりきれない思いで胸が締め付けられる。昨日は義母に騙されて実家に戻った。でも今回は彼女が決心して帰ったのを思えば再び迎えに行ける訳もない。
ふらりと立ち上がり花音の部屋を覗いてみると綺麗に整理整頓してあり、荷物はほぼ残っているようだ。

ふわりと花音の香りが漂って、今にも帰って来そうな気がしたが、彼女はもう帰って来ない。じわりと熱いものが目尻に浮かんだ時にリビングに置きっぱなしのスマホが鳴り、慌てて走って手に取るとモデル事務所からでポイッとソファーに投げ捨てた。モデル辞めようかな。しつこく鳴り続けるスマホから目を反らしてそんな事を考えていた。


20140221




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